みなさんこんにちは。「その辺のもので生きる」オンライン講座、講師のテンダーです。
この講座では危険度のある内容が比較的多く取り上げられます。それをオンラインでやる、というのは並大抵のことではありません。一体、本講座では何が行われるのか、また何を目指しているのかについてを書き留めました。講座受講の前にぜひあらかじめご一読ください。
1. オンラインで講座を受けるために
A. 危険を伴う技術が伝承されるとき、具体的には何が起きているのか?
・試しに想像してみて見てください。学校にて木版画を作る授業があったとします。生徒さんの机には木の板と彫刻刀があり、初めに先生から彫刻刀の使い方、木の性質などの話があります。
その後、各自思い思いのデザインを彫刻するわけですが、生徒さんが作業に没頭している間、先生は一体何を見ているのでしょう。おそらく、生徒さん一人一人の彫刻刀の持ち方や木を押さえる手の位置など、生徒さんの安全に直結する情報を、先生は非常に注意深く見ていているだろうと私は推測します。
というのもおそらく一般的な授業では、木版画を学ぶことよりも、大怪我をしないことの方が優先されることだからです。
なぜなら誰か一人でも大怪我をすれば、授業は中断され、そもそも学ぶどころの事態ではなくなります。もし怪我をした人に十分な手当がされたとしても、同じクラスにいた面々の多くは流血や痛みの光景を思い返しながら、おそらく前よりも力を込めずに、時には木版画のデザインを変えて、彫刻刀を無難に使うようになるでしょう。
ここであなたにお尋ねします。
先生が生徒の手元を見ずに、表情やおでこのみを見ていた場合、事前に生徒の安全を守ることはできるでしょうか。
おそらく、極めて難しくなりますよね。
全く同じように、オンラインで何かを「伝える・受け取る」ときに、受け取る側が自分の表情やおでこの情報しか講師に伝えない場合、講師は安全上の注意を促すことはまずできません。なぜなら、講師からはそれぞれの参加者さんが、危ういことをしているのかどうかを知る方法がないからです。講師は作業が安全に終わるのを祈るか、もしくは悲鳴が聞こえてから慌てるかのどちらかしかありません。
ここからわかることは、危険度を伴うオンライン講座を受講するということは、講師からの情報を受信するだけではなく、あなたには、あなたの情報を講師に配信する必要があるということです。この考え方を私は「講座の受配信」と呼びます。あなたは情報を受け取り、かつあなたの重要な情報を講師へ配信する。(残念ながらあなたのおでこの情報は、講師にとってあまり重要ではありません)
具体的には、オンライン講座中に作業に入ったら、あなたの手元や作業自体が映るようにカメラやスマートフォンを動かしてください。カメラを動かすことは、サービスや気遣いではなく、この講座を安全に進めるために必須の作業だとご理解ください。
そのためには、必要な受配信機材の条件があります。詳しくは「その辺のもので生きる」オンライン講座・受配信のための準備をご覧ください
B. 合成されたノイズについて
オンライン講座で情報を受け取るとき、学校で授業をするのとは様子の違うことがたくさん発生します。
学校で授業をしているときは、教室に関係のない人が入ってくることはほとんどありません。親御さんが遠い部屋から大きな声で「もうお風呂入ったー?」と聞いてくることもありませんし、友達からスマートフォンに送られてくる面白動画を自由に見ることもできません。
要は学校での対面授業では、伝承される内容と関係のないノイズ(負荷)が少ないのです。
それに対してオンライン講座では、参加者さんの受講環境や、来客や、親御さんとのお風呂の順番についてや、友人関係とそのタイミングを制限するものがありません。
こういったことは、講師が口でいくら「○○しないように」と言ってみたところで、「つい」やってしまう・発生してしまいがちなものです。さらには、あなたを取り巻く他人の行動まで、いちオンライン講座が制限することはまず無理です。
(ゆえにこれまでの世界では「ついやってしまうこと」を権威や権力によって統制してきましたが、それはこの講座が目指すものではないので、私はそういう設計はしません)
こういったノイズの一つ一つは小さいものかもしれませんが、それが積み重なっていくと、受講者の能力とは関係なく、目的を妨げる障壁になり得ます。
例えば、周囲がうるさくて講座の音を聞きづらく、説明の肝心なところでネット回線が途切れ、復帰のために焦り、ようやく作業に入って集中し始めたところに来客が来る。
私はこれを「合成されたノイズ」と呼んでいます。
合成されたノイズが大きくなると、あなたの能力とは関係なく、現実的に作業はできなくなっていくでしょう。
そしてまた、ノイズにより作業が遅れ、作業が遅れることで講座全体の進行が遅くなり、進行が遅くなると講座全体の時間が伸び、長丁場で疲れて余計に作業が遅くなる。そして長くなればなるほど、外部からの介入が発生する確率は増す、という悪循環が始まります。それは誰の得にもなりません。
この講座では「オンライン講座では、誰しも合成されたノイズに巻き込まれうる」という前提で全体の設計をしています。なぜなら、ネット回線に負荷がかかって途切れたり、隣の部屋に救急車が来たりは、一人一人が頑張ればどうにかなる「問題」ではなく、努力とは無関係に起きうる「境遇」だからです。
この境遇に対してこの講座では、
- 作業時間とフリータイムを1セットとし、比較的たくさんのフリータイムが入ります(フリータイムでは休憩をしてもいいし、終わらなかった作業に取り組んでも構いません)。
- 諸事情により、<進行についていかない判断を自分でしたとき>のための「こちらはよろしくやってますボード」の事前配布
- 誰しもが後から再挑戦できるための録画の用意を主催側がします(ゆえに別途録画する必要はありません)。
それでもやはり、あなたが講座の時間内に最大限学びたいのであれば、あなた側の環境にノイズが発生しないように環境を整えることを私はお勧めします。
意外に思われるかもしれませんが、
・大きな画面を使う(詳しくは 「その辺のもので生きる」オンライン講座・受配信の準備 に、TVとスマートフォンを繋げる方法の解説があります)
・密閉式のイヤホンを使う(外部の音が聞こえづらくなります)
・スマートフォンやパソコンの通知を切る(特にzoomを使うデバイスの通知)
・講座に参加しない人が同席する空間では受講しない
・バーチャル背景を使わない(バーチャル背景はごちゃごちゃ動くので、他の人の脳に負荷をかけます)
・移動しながら受講しない(集中しづらいだけでなく、デバイスのバッテリーや電波など、他のことに脳を使う状況になってしまうため)
などは効果が高いように私は思います。
(身も蓋もない言い方かもしれませんが、自分以外の人間がその場にいる、というのはかなり大きめのノイズです。ヒトにとって他人の重要度は高いのです)
その他、それぞれの環境によって発生しうるノイズは違うでしょうから、一度想定してみることをお勧めします。
以上を整えたうえで…もちろんお風呂の順番はあらかじめ決めておいてください。
2. この講座の目指す、学ぶときの「あり方」について
A. 「知らない」と「できない」の決定的な違いについて
私はこれまでに、たくさんの講座を提供してきたのですが、そのたびに直面し、そして毎回驚くことがあります。
それは多くの人が、自身のまだやったことのない作業についてを「できない」とはっきり答えることです。
正確に言うならば「やり方を知らない」もしくは「自分ができるかどうかを、まだ自分は知らない」だけのことだと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
わざわざ私がこの話を挙げるのは、細かいことを言いたいからではありません。
知らないことを知ろうとする「好奇心」に根ざした心体のあり方と、
できないことを(できないだろうけど)やってみる「確認」に根ざした心体のあり方では、
取り組む姿勢が全く違うと思うからです。
「自分はできない」から出発すれば、「できた!」は遥かに遠く(できること自体が奇跡に)なりますが、
「知らないこと」を「知る」ことは、全ての人が生まれてこのかた繰り返し続けてきた、普遍的で平易な、今日も繰り返している当たり前の作業です。
私からすれば、「できない」と言うだけでとても物事のハードルが上がります。できるかどうかまだわからない時点なのに「できない認定」を自らに下すことで、わざわざそれを乗り越える動機が必要になってしまうからです。
だから、できないと言わずに、初めての体験も「やったことがないからまだ知らない」と言ってほしいのです。
また、私はみなさんと「できるかできないかゲーム」をするためにこの講座をしているのではありません。
「できるかできないか」で一喜一憂するのではなく、みなさんにただ、できるやり方を「知って」ほしいのです。
B. 失敗とは何か? について
また、老若を問わず人と何かを一緒にやるときに驚くことが、私にはもう一つあります。
それは、一回やってうまくいかないだけで、即座に失敗認定を自分自身に下す人の多さです。
そして自分自身に失敗認定を下すと、大抵の人は「…うん、もう…いいかな」とわかった風な態度を取ってやめてしまいます。
なぜ、そんなイバラの道を行きたがるのでしょうか?
おそらくご存知だと思いますが、私もみなさんも、一回で何かを完全に達成できるほどの知的かつ肉体的な能力を持っていません。
それなのに一回で失敗と判断して取組をやめていたら、ほとんどのことを達成できず、むしろ達成できないことを増やして挫折感を育てるために取り組んでいるようなものです。
ちなみに私が「ものの見方と考え方」を習った発明家の藤村靖之博士は
「失敗かどうかがわかるのは、実験を15回繰り返したあと」
と言っていました。
超一流の発明家が15回までの失敗は失敗じゃない、と言っているのに、それよりも圧倒的に知識も経験も劣る私や(おそらく)みなさんが1回で挫折して、何か得られるのでしょうか。
もちろん得られるはずはありません。
だから、私は言いたい。
ちっぽけな自尊心や、人によく見られたい気持ちは、何かを学ぶときはひとまずそこに置いておけ、と。
純粋に「なぜ(失敗が)起きるのか?」を風のように透明になって、息を潜めて観察してほしい。
なぜならそれは、とても知的で面白い作業だからです。それを繰り返していたら、15回の実験なんてあっという間に過ぎてしまいますし、それこそ、世界中の科学者たちが夢中になって繰り返してきたことなんだろうと私は思うのです。
だから胸を張って、世界中の科学者のあとに続きましょう。
そもそも藤村博士の「失敗」は、3日かけて周到な考察と準備をしたうえでの失敗、という意味です。
おそらく小さな試行錯誤の一つ一つは彼の失敗に含まれていません(=失敗ですらない)!
C. 「YSS(やりたくないことはしなくてもいいシステム)」について
この講座は「YSS(やりたくないことはしなくてもいいシステム)」を採用しており、あなたが講座内容に取り組まないことで、講師は文句を言ったり叱ったり、嫌になっちゃったりしません。
そもそも人間の脳は、「安全と安心が保証されない限り、効率よく学ぶことはできない」ようになっているので、本人がやりたくないときに無理にやってもほとんど意味がないのです。(大人の皆さんは、興味がないのに学んだ授業の大半を思い出せない、という普遍的な現実によってこの脳の仕組みをいつでも体験することができます)
そして、講座は前もって決められた日時に開催されるわけで、はたして当日のあなたがどんな気分なのかは、どう頑張っても今知ることのできない情報です。
だから当日やりたくないことがあれば、遠慮なく前述の「こちらはよろしくやってますボード」を掲げてください。
そして万が一、後日になって興味がちょっと湧いてきたら、自由に録画を見てみてください。
講師に対して必要以上に従順にならぬよう、よろしくお願いします。
「怖い!」と思った時の指針
例えば、初回の「アルミ缶を使い倒そう」の回や、金属加工を扱う回ではガスバーナーを使います。
どうやらガスバーナーを使ったことのある人は日本ではとても少ないようで、リハーサルでバーナーを扱ったときは、モニター越しにそこかしこから緊張感が漂ってきました。
その後、リハーサルの参加者さんに感想を聞いてみたところ「怖かった」という声が多かったのですが、さてはて「怖い!」とは一体なんでしょう?
私が思うに、「怖い!」とは、
「身の危険を伴う作業をするうえで、自分には制御できない要素がありそうで、心細い」
という意味ではなかろうか、と。
例えば、チェーンソーで木を伐り倒す作業を私はよくしますが、チェーンソーで木を伐るときはいつも「若干の怖さ」の只中に私はいます。なぜなら、どんなに準備しても考えても、突風が吹いたり、木の内部に外から見えない割れや腐りがあったりで、思った方向に木を倒せない可能性がゼロにはならないからです。自分が木の下敷きになったり、倒れた木が大きな石を跳ね、それが自分を直撃する可能性はいつもあります。
ただ経験上、そんなことは「しょっちゅうは起きない(と思い込んでいるだけかもしれませんが…)」のと、そういった不測の事態が起こらないよう極めて厳密に注意を払うので、リスクを許容して作業にあたることができています。
ひるがえって、バーナーを使うとき。
私は、もはやほぼ怖さを感じません。
私にとって、バーナートーチは今ではほとんど制御できる対象になっているからです(一回めはもちろん違いました)。
そのために重要なのは情報と知識だと私は思っていて、具体例を挙げると
・カセットボンベに入っているブタンは空気より重いから下に溜まる(だからガスを出しっぱなしにしても、テーブルの上で作業をしていれば、よほど床にガスが溜まらない限り、滞留したガスには引火しません)、
・バーナートーチはカセットコンロとほとんど同じ構造で、ガスの流量制御と、引火させるための圧電素子(ライターの着火部分も同じ)があるだけです。ライターもコンロも、火がつかない時は何度もカチカチやりますよね。その時に怖さを感じていますか? おそらく、多くの人はそこまでの怖さを感じていないと思います。
こんな感じで、いくつかの情報を得るだけで、恐怖心はずいぶん変わるのではないでしょうか。
講座では、できる限りの情報を提供するつもりではおりますが、それでも「怖い・危ない・やめておこう」と思った場合は、遠慮せずに作業を中断してください。
録画もありますし、後日慣れている人に付き添ってもらって練習する方法もあります。
補足として、このプログラムを一緒に作っている国際文化フォーラムの室中さんが人生で2回目のバーナートーチ使用時に、焼きチョコを作った時の写真を載せておきます。
ちなみに室中さんは、リハーサルでバーナーを使った時は、なかなかうまくいかず、終わったあとに放心状態になるくらいの重みのある体験だったようです。
たった2回でこの笑顔。
要は馴れの問題でもあると、私は思います。
スピードについて
講座の進行するスピードについても解説が必要です。
私テンダーは、参加するみなさん全体の疲労やストレスの総和が最小になることを目標に、この講座を進行します。
これは言い換えれば、一番進行の遅い人に合わせて進めるつもりがない、という意味です。
というのも、この講座のリハーサルで進行の遅い人に合わせた際、私がひとりで作れば20分で完成するアルミ缶ストーブ作成に、なんと4時間!かかりました。12倍!
これまでに述べたとおり、オンライン講座では個人の進行度の遅さ=能力の低さではありません。合成されたノイズなどの、主催側に管理できない要素が多々あるからです。
だからこそコントロールできない要素を基準に進行速度を決めるのは大勢の利益にならない、と私は判断しています
4時間もかかると大勢が疲れてしまうので、先に述べた合成されたノイズのリスクも高くなります。そうすると企画自体が倒れてしまい、誰の得にもなりません。よって、講座は長くても3時間以内に収まるよう進行を加減します。
しかしこれは、脱落者は放置する、という意味ではありません。
この講座では、基本的に3人でひと組のグループを組んでほしいのです。一講座ごとにグループは一貫され、フリータイム中はグループ画面に切り替わります。
もし進行度合いに余裕のある人がいたら、進行が遅れている人のサポートをしてあげてください(もちろん、その人が必要としていれば、ですが)。これは面倒を見なきゃいけない、という意味ではなく、3人とも余裕がなかったり、休憩が必要だったりした場合は、話し合って良いように進めてください。
またフリータイム中に私や、国際文化フォーラムスタッフに質問することもできます。
繰り返し書いているように、録画も用意しています。
この講座は、講座の時間だけで完結するものではなく、その人の一生を貫くような技術体験を知ってもらうために行われています。どうか講座内のたった180分で全てを賄おうとせずに、もっと大きな尺度でご自身の体験と、他者との関係性へと、眼差しを向けてみてください。
それでは引き続き、「受配信のための準備」ページをご覧ください。