横浜中華街
よこはまちゅうかがい
China Town, Yokohama
1858年の横浜開港以来、欧米人とともに中国人も多く住むようになった。特に、1871年に日清修好条規を締結した後、貿易、料理、洋服仕立てなどのさまざまな職業をもった人々が集まり、中国人の街を形成した。その後、大正(1912〜1926年)から昭和(1926〜1989年)にかけて、料理店が増加した。20万人以上の死傷者を出した1923年の関東大震災や第二次世界大戦で焼け野原となったが、中華街として復興し、現在のような活気のある街となった。
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