松下 佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)
〈新しい能力〉の氾濫とその背景
この20年の間、さまざまな「能力」や「力」が教育界で提唱されてきました。例えば、国内では「生きる力」「社会人基礎力」「学士力」「学力の3要素」「21世紀型能力」、世界的には「キー・コンピテンシー」「PISAリテラシー」「21世紀型スキル」などなど。私はこのような能力を総称して〈新しい能力〉と名づけました。〈新しい能力〉とは、1990 年代頃からの後期近代社会(ポスト近代社会)といわれる社会において求められるようになった能力のことです。
後期近代社会の特徴としてグローバル化、情報化、流動化を挙げることができます。私たちの生き方や働き方はこういった社会の変化の影響を否応なく受けています。例えば、情報化。ウィンドウズ95の発売に沸いたのが1995年。それから20年、今やAIが囲碁のトップ棋士を打ち負かし、自動運転の車が公道を走り、雑誌記事でさえAIが書く時代です。子どもたちが社会人として生きていく頃にはもっと大きく変わっていることでしょう。オックスフォード大学のC・A・フレイとM・A・オズボーンは、2013年に出した「雇用の未来」という論文のなかで、10〜20年後には、今ある702の職種のうち47%がコンピュータに代替されるだろうと予測しています。
流動化には空間と時間の両方の意味があります。例えば、人びとが国境をこえて行き来しながら学び、働くようになったことは、空間的な意味での流動化です。人生で、いったん就職してまた大学に戻るということには、時間的な意味での流動化も含まれています。
流動化はリスク化もはらんでいます。特に日本の場合、1990年代半ば以降、終身雇用制という定番が崩れて、人びとが自らの力で人生のさまざまな局面を切りひらいていかなければならなくなってきました。グローバル化は流動化を推し進める役割を果たしています。
このような後期近代社会の特徴は、多かれ少なかれ、また多少時期のずれはあれ、多くの国々で見られます。だからこそ、後期近代社会において必要な〈新しい能力〉が世界的な関心事になっているわけです。
〈新しい能力〉をどう捉えるか
〈新しい能力〉は、冒頭に挙げたようにさまざまな「○○力」の総称ですが、私がこのような総称を使ったのは、まずは一括りにした上で、一つひとつ検討して、そのなかから教育目標として価値のあるものを選択したり、再構成したりしようと考えたからでした。
OECDのキー・コンピテンシー
〈新しい能力〉のなかで私が最も共感を覚えるのはOECD-DeSeCoのキー・コンピテンシーです。これは、「充実した人生」と「うまく機能する社会」をもたらすために、国籍・民族・階層・ジェンダーを問わずすべての個人に形成すべき能力として提案されたものです。
このキー・コンピテンシーは「道具を相互作用的に用いる」「異質な人びとからなる集団で相互に関わりあう」「自律的に行動する」という三つのカテゴリーからなり、それが3次元座標のように組み合わさって機能すると考えられています。これらは、「対象世界との関係」「他者との関係」「自己との関係」という人間の活動を構成する三つの軸に対応しています。その中心、いわば座標軸の原点にあるのは、思慮深さ(reflectiveness 振り返って自分でよく考えること)です。
能力の普遍性と時代性
ところで、こう書くと、これらの能力のどこが新しいのかと感じる方もおられるのではないでしょうか。
その通りです。人間の活動が主体(自己)、対象世界、他者の三者で構成されるというのは、いつの時代も変わらぬ構造です。したがって、能力の3軸構造も一定の普遍性を持つといってよいでしょう。しかし同時に、その中身は時代によって変わってきます。
例えば、対象世界には、かつてなかったような地球規模の課題(例えば、持続可能な発展や格差の縮小など)が含まれるようになり、その際の道具として外国語や科学、政治、テクノロジーなどの知識やスキルが必要とされるようになりました。また、他者の範囲は大きく広がり、人種・民族・宗教・文化などの異なる他者と協働したり、対立を何とか調整したりすることがいっそう重要になってきています。さらに、人生のプランを立てたり、人生で何度も学び直したりする能力も、これまで以上に求められるようになってくるでしょう。
例えば、対象世界には、かつてなかったような地球規模の課題(例えば、持続可能な発展や格差の縮小など)が含まれるようになり、その際の道具として外国語や科学、政治、テクノロジーなどの知識やスキルが必要とされるようになりました。また、他者の範囲は大きく広がり、人種・民族・宗教・文化などの異なる他者と協働したり、対立を何とか調整したりすることがいっそう重要になってきています。さらに、人生のプランを立てたり、人生で何度も学び直したりする能力も、これまで以上に求められるようになってくるでしょう。
学力の3要素
では、「学力の3 要素」は、〈新しい能力〉としてどんな特徴を持っているのでしょうか。ご存知のように、学力の3要素は、2007年の学校教育法改正で条文に加えられましたが、2014 年12月の高大接続改革答申や次期学習指導要領の議論のなかで内容や適用範囲が拡張され、今や初等中等教育だけでなく高等教育(大学のアドミッション・ポリシー※1)にも影響を与えています。その中身は、①知識・技能、②思考力・判断力・表現力等の能力、③主体性を持って多様な人びとと協働して学ぶ態度の三つにまとめられています。とりわけ②の能力には、PISAリテラシーの影響がはっきり見てとれます。
この3要素は、私の見るところ、知っていること(knowing)、行うこと(doing)、あること(being)に対応しています。OECDがEducation2030事業で主唱している、「21世紀の学習者のための4次元の教育」では、知識、スキル、人格(character)にメタ学習※2が加わって4次元になっていますが、最初の三つはやはりknowing、doing、beingに対応していて、学力の3要素と共通しています。
先ほど挙げた3軸が、〈能力を育てる関係性(対象世界との関係、他者との関係、自己との関係)〉に焦点をあてていたのに対し、こちらの3次元は、〈育てたい能力に包摂される人間の属性〉に焦点をあてています。そしてどちらも、「思慮深さ」「メタ学習」といった形で、自分の学びを振り返り、必要とあれば学び方を変えることに特別な位置を与えています。
この〈3 軸×3 次元とメタ学習〉(図1)、そして〈普遍性と時代性〉という視点を持つことで、氾濫する〈新しい能力〉を整理するためのメガネが得られるのではないでしょうか。
【図1】能力の3・3・1 モデル(3軸×3次元とメタ学習)
3 軸 – 対象世界との関係 – 他者との関係 – 自己との関係 |
×
3 次元 -(教科固有の)知識・技能 -(教科横断的な)能力 -(主体性・協働性などの)態度 |
+
メタ学習
※1 大学の入学者受け入れ方針。大学の特色や教育理念などに基づき、求める学生像をまとめたもの。
※2 自分の学びについての振り返りを行いながら、学び方について学ぶこと。能力は固定的ではなく伸ばせるというマインドセットも含む。
どのような学びが必要なのか
アクティブラーニング・ブームに釘を刺す
ただし、能力リストをいくら作っても、実際の学習活動に具体化されなければ意味がありません。こういった〈新しい能力〉を育てるために推進されているのが、アクティブラーニングです。一昨年来のアクティブラーニング・ブームで、ペアワークやグループワーク、ディスカッション、振り返りなどを入れて、子どもに外化(書く、話す、発表するなど)をさせればアクティブラーニング、といった型だけのアクティブラーニングも広まってきているように感じます。
すでに文科省自身が、アクティブラーニングによってめざしているのは、特定の型を普及させることではなく、「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を通して、必要な資質・能力を総合的に育むことだ、と釘を刺しているほどです(中央教育審議会教育課程企画特別部会「論点整理」2015年8月)。
この「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」は、アクティブラーニングを対象世界との関係、他者との関係、自己との関係から掘り下げたものといえると思います。私は、アクティブラーニングが手法にとどまらず「深い学び」を組みこんだものになることの必要性を「ディープ・アクティブラーニング」として提案してきました。では、どうすれば、それが可能になるのでしょうか。
中1国語の「詩」の授業から
先日参観した中1国語の「詩」の授業を例にとってお話ししましょう(図2)。
深い学びをするために必須の条件は、事実的知識(事例)だけでなく、その根底にあって他の事例(ときには他の分野)にも使えるような概念や原理、一般化が明確で、〈深さの軸にそった上り下り〉が豊かになされていることです。この授業では、中原中也「月夜の浜辺」のボタンや自分が失恋後に見たクリスマス風景などの例を使いながら、詩を読み解くポイントとして、①「いつ、どこで、何を見て」作られたか、②景に情がどう映し出されているか、が説明されました。③の修辞法のところも同じような説明形式の授業でした。ここまでは教師主導の授業で、生徒がやっている認知活動は主に、「記憶する」「理解する」です。
こうして詩を読み解くポイントをいったん理解した後、修辞法の知識を応用(活用)して、この学校の校歌を分析するという課題に、生徒たちはグループワークで取り組みました。学校の理念が盛り込まれた、新入生合宿で習ったばかりの校歌です。これには自校教育的な意味合いもありました。その後、グループワークで出てきた意見をクラス全体で共有すると、先生が想定していなかったような意見も出てきました。そして、さらに今度はこの学校にもっと古くからある美文調の生徒歌を素材として、個人ワークで修辞法の概念を応用、分析するという課題が提示され、この授業は終わりました。
この二つの素材への「応用する」「分析する」活動を通して、修辞法が理解し直され、より深い理解になっていくのです。新しい素材がどう分析できたかは、理解の形成的評価の役割も果たしています。
入学直後の4月中旬の授業なので、この時点ではまだ生徒同士の活動は限られていましたが、その後、情報を共有するのに便利な「ロイロノート」や「まなボード」なども使いながら、個人ワークやグループワークの成果を共有するための試みもなされています。こうして「深い学び」に「対話的な学び」も結び付けることで、〈新しい能力〉を育てるためのアクティブラーニングが具体化されつつあるのです。
教材
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
(後略)
中原中也「月夜の浜辺」より抜粋
〈新しい能力〉を意識すること
このような授業はそれほど目新しいものではないと思います。むしろオーソドックスな授業といってもよいかもしれません。ただ、〈新しい能力〉を意識してみると、授業の特徴や課題がより明確になってきます。
例えば、この授業は、先ほど述べたように、まだ他者との関係づくりや主体性・協働性という点では弱いです。また、今回は事実的知識(事例)から概念や原理、一般化へ「下りる」ところは説明形式でしたが、単元や教科によっては、あるいはもっと生徒たちの力がついた段階では、「下りる」プロセスも、生徒主導の活動にしていくことが考えられます。
アクティブラーニングは時間がかかるとよくいわれますが、ICTツールを使うことでグループ内やクラス全体での共有がやりやすくなりますし、子どもたちのICTリテラシーを高めることにもつながります。
こんなふうに、どんな〈新しい能力〉を育てるのか、それをどう育てるかを意識することで、アクティブラーニングの質を高める視点が得られるのです。
※事業報告書『CoReCa2015-2016』(2016年9月発行)に掲載。所属・肩書きは掲載時のもの。