公益財団法人国際文化フォーラム

ロジカルに考え、アクティブに学ぶ

山田英雄(かえつ有明中学高校教諭)

アクティブラーニングの実践というと、グループワークやジグソー法、ディベート、プレゼンテーションなどの手法を授業で展開していると予想される方が多いのではないか。もちろん、本校でもこのような手法を用いることもある。ただ、手法ありきでは何のためのアクティブラーニングなのかが不明瞭になる。生徒たちの学びに対する能動性を活かすためにはどうしたらよいかという、より根本的なポイントに焦点を当てるべきだと思う。そこで本校では、アクティブラーニングへ橋渡しをするための基礎トレーニングに力を入れている。好奇心がわき起こり、もっと学びたいと思っても、学ぶためのツールがなければそれ以上アクティブであることは難しくなる。これを回避するために、どの生徒も学びのツールを身につけるべきである。ここでは、どのようなステップを踏み、アクティブラーニングへと進める取り組みをしているのかを中心に報告したい。

クリティカルシンキングのトレーニング

本校では、主に総合学習の時間を使って、図書館の支援を受けながら、ロジカルに考え、アクティブに学ぶ姿勢を涵養するために、クリティカルシンキングのスキルをトレーニングしている。またベンジャミン・ブルームのタキソノミーを援用し、体系的に、かつ継続して実施している。中学一年生では情報収集能力を鍛え、中学二年生では情報分析のやり方、そして中学三年生では情報を発信することに重きを置きながら、三年間かけてトレーニングする。

例えば情報収集のトレーニングとして、中学一年ではブレインストーミングの方法を覚える。「自分の学校がもっとよくなるには、どうしたらいいだろうか」などのトピックを与えるのだが、その際には「批判厳禁、質よりも量、人の意見にいつでも乗って、自由に発想」といったルールでいろいろな意見を出し合う。特に、「批判されない」ことは、能動的な気持ちを活性化する。つまり、「何を言っても大丈夫」であることを担保するのである。これこそがアクティブラーニングの基礎をなす。

また、正しく情報を受け取るために、事実と意見を区別するトレーニングを行う。例えば、「あるテーマパークは大人気だ。いつ行っても混んでいて、どのアトラクションも長蛇の列だ」はどこまでが事実で、どこからが意見なのかを考えさせる。本当に「大人気」なのか。空いている日はないのか。「どのアトラクションも長蛇の列」は事実なのか。どうしたら証明できるのか。このようなクリティカルな視点をもつことで、気づきが多くなる。

中学二年生では、集めた情報の分析方法をトレーニングする。基本はグルーピングである。分類基準を決め、同類項をまとめたり、階層構造を構築したりする。例えば、文房具のもつ意味合いについて分析するために、「シール」を取り上げる場合、四〜五人の班をつくり、「シール」とはどのようなものかを各自で付箋に書き留める。一枚の付箋に一項目を書き、できるだけ多く書き出す。各自が書いた付箋を班ごとに大きな模造紙に貼り出す。ここからグルーピングしていく。共通項を全員で見つけながら、似ているものをグループごとにまとめるのである。生徒たちは「シール」のもつ役割や意味などを再認識したり、思いもよらなかった点に気づいたりする。

このように、誰でもできる「型」を提示して、その通りに生徒がタスクに取り組み、ある一定の成果が得られれば、生徒は自発的に取り組むようになる。これを通して、新しい視点からものを見たり、結果的には能動的に意見を言うようになる。これこそ、アクティブに向かうための基盤となるのではないか、と考えている。

こうしたスキルがあれば、グループワークをしなくてもアクティブな学びは起こりうる。例えば講義を聞いていて、もっと知りたくなり、自分から図書館に行き、情報収集し分析するという行動に結びつくのであれば、これも十分アクティブラーニングと呼べる。

この絵からどんなストーリーが創造できるか、ブレスト中。

教師はファシリテーター

アクティブラーニングの手法に習熟していなくとも、教師が生徒のガイド役になる時間を確保するだけで、十分アクティブな学びを創出できると考えている。極論すれば、「生徒に下駄を預ける」ような心持になることだ。しかし、教師は何もしないのではない。例えば、高校一年生へのタスクで、ある英文を読み、書かれていない次の段落の内容を推測させる。まずは個人で、そしてペアで。続いて三人以上で、各々の推測した内容についてコンセンサスを得られるかどうか議論させる。時間を見計らい、複数の生徒に発表させる。出てきた推測を比較検討し、どれが無理なく論理的かを確認する。いわゆる「当てずっぽう」ではなく、書かれている部分に論拠を求めて推測することがポイントとなる。教師は彼らの論理性を判定し、議論が進むようにファシリテーターの役割を担うのである。

また教師は、答えが一意に定まらず、予定調和に終わらないためのトリガークエスチョンを与えて、生徒の能動性を刺激する。例えば、高校一年生に、「あなたが文部科学大臣だったら、どんな教育を実施し、どのような社会にしたいか考えてみよう」「そのためには、どのような子どもたちを学校で育てればよいのだろうか」などと問いかける。これらは、生徒が問題を自分のこととして捉え、答えは自分しか知りえないような問いかけである。また、「自分の住んでいる町の問題点を挙げ、解決策を模索してみよう」といった、より身近な問題を考えさせるのも中学生くらいには適切だと思う。

更に事前に知識が必要となるようなトリガークエスチョンもある。例えば、地学や歴史の時間に、原始時代の知識を得た後に次のように問いかけてみる。「ある映画で、原始人がマンモスと戦うシーンがあった。どこか不自然な箇所はないだろうか。またそれはなぜだろうか」。ある程度オープンエンドではあるが、知識がないと取り組むのが困難な発問である。ただ、グループなどで実施すれば、多くの気づきが期待できる。また、政治経済などの時間に「TPPが発効したら、日本はどうなるだろうか。米農家、製薬会社経営者、自動車製造会社経営者の立場に立って論じてみよう」のような発問は、知識・データの読み解きスキル・類推力など、より高度なレベルが要求される。

いずれにしても、「自分だったらどうするか」と考えた時点ですでに能動的である。ここで大切なポイントは、「なんとなくそう思う」だけでは不十分である、という点だ。もちろん、「勘」や「ひらめき」はとても大切だが、なぜそのように考えたのかを、証拠や根拠をもって説明できることにより重きをおく。そのために、必要な知識が欠落していたら、情報収集すればよいし、またその情報が自分の主張の根拠となるかどうかを比較・対照させたり、原因・結果の観点から考察したりする。この行為こそがアクティブであり、基本は中学時代のトレーニングで培ったスキルである。

授業内のほんの一部でもアクティブラーニングにできる部分を設けることは、さほど困難なことではないと思う。大切なことは、生徒の能動性を引き出すための継続したスキルトレーニングと、解答に至るプロセスの論理性をチェックすること。そして、トリガークエスチョンを工夫し、教師はファシリテーターとして機能することが、アクティブラーニングのカギとなるのである。

校訓「怒るな働け」とは現代社会では何を意味するのか、について議論。

※事業報告書『CoReCa2014-2015』(2015年8月発行)に掲載。所属・肩書きは掲載時のもの。