公益財団法人国際文化フォーラム

グローバルな視野を育てる

西村パーク葉子


オーストラリア・ニューサウスウェールズ州教育地域社会省中等教育部アジア言語学習推進プログラム支援オフィサー

私は1990年にオーストラリアの高校で日本語を教え始めました。当時使われていた教科書は文法中心で、会話の文脈もまったく自然ではありませんでした。目の前にいる生徒たちの目が輝くような授業をやりたくて、ゲームやクイズなどの活動をいろいろ考えました。もちろん楽しいだけで終わってはいけないのですが、楽しければより多くの生徒が集中して学ぶようになります。

そして1年後に、当時クイーンズランド州日本語教育アドバイザーであった、早稲田大学の川上郁雄教授に誘われて日本語教科書『Mirai』の制作に関わるようになりました。その当時、外国語の授業ではことばだけでなく文化も教えることが提唱されるようになっていましたが、多くの場合、ことばと文化は別々に教えられていました。例えば、日本語の授業では文法をやって、別の時間に折り紙を折ったりするのです。

『Mirai』ではそれを融合させようとしました。「戸惑いのあるところに学びはある」という川上教授の考えを取り込んだのです。例えば、オーストラリアから〇〇さんが日本に行きました。ホームステイ先の玄関で、みんなが靴を脱いであがっているのに戸惑う。日本の△△さんがオーストラリアのホームステイ先でハグされて恥ずかしくて戸惑う。このときこそ、「なぜ?」を考えるいいチャンスです。こういう事柄をマンガ等で提示しました。

異なるものを受け入れる姿勢を育てる

現在オーストラリアでは、日本語の授業のなかに文化を入れる、つまりことばを学びながら文化も学ぶことが大前提とされています。Intercultural Language

Learning (ILL) と呼ばれています。数年前ILLを取り入れた教科書『iiTomo』の執筆に参加しました。生徒自身が文化の違いに気づくような質問をたくさん入れ込んだのです。ここが違うと教えるより、生徒に気づかせる。そして比較させ考えさせる。そういう機会を与えることで理解が深まっていきます。もっと興味もわいてきます。

ILLでは、自分が属している場所がファーストプレース、相手の場所はセカンドプレースとしています。そして、そのどちらでもない新しい場所、それがサードプレースです。サードプレースを見つけることは、多文化社会を築くために非常に大切です。靴を脱ぐのはいや、ではなくて、靴を脱ぐことを知るのです。なぜここで靴を脱ぐの?という問いが浮かんだときに、生徒は深い意味や、違う考え方や価値観があることを知ります。そしてそれは、ある文化・価値観をもった自分の再発見でもあるのです。そういう経験を通して、自分とは異なるものを認める姿勢、その間に境界線をつくらない姿勢が身につくのではないかと思います。それをことばの学びを通してやっていこうとしているのです。

文化はことばにも表れてきます。例えば、「いただきます」や、「もったいない」には日本人の価値観が表れています。もし生徒が「もったいない」に相当する表現が自分の言語にはない、ということに気づき、あったらいいな、使いたいなと感じたとしたら、それはその生徒自身の成長といえるのではないでしょうか。

教材に本物を使うこともとても大切です。教室での学びをどう生徒の世界とつなげることができるのかをいつも考えるのですが、本物を使うと、生徒はその話題、題材を真剣に受け止めます。そして、生徒は実在する、あるいは実在した人の本当の声に生き生きと反応します。

『iiTomo』の1ページ。自文化と比較させたり、考えさせたりする質問が入っている。

「居場所」となる学びの場

今、私は「継承日本語(Heritage Japanese)」にとても関心があります。2011年にニューサウスウェールズ州で継承日本語のコースが正規の学校教育の一環として始まりました。このコースをとる生徒は日本にルーツをもつ子どもたちです。そうした子どもたちは年々増え、そのルーツも多様化してきています。今はそれぞれの学校にコースを設けることが難しいので、希望する生徒は土曜学校という公立校の一つのセンターに通うか、あるいは通信教育で学習するという形をとっています。

継承日本語コースで難しいのは、生徒によってスタートポイントが異なることです。日本語力も日本の習慣や文化に対する理解もみんなばらばらです。一人ひとりにあわせた内容と目標が必要になってきます。その反面、プロジェクトワークでいっしょに何かをつくるときには、各生徒の特徴がとてもプラスに働いて、得意なところを出しあって、弱いところをカバーしあい、学びあうことができるという利点もあります。

継承日本語には専用の教科書はありません。シラバスと生徒たちの興味や目標にあわせてあらゆるメディアにあるものを教材として活用します。非常にチャレンジングですが、やりがいも大きいです。自分自身の学びにもなります。私も教えている二年間にいろいろなことを生徒といっしょに学びました。

継承日本語コースの生徒たちの多くは自分のアイデンティティーについて悩んだことがあるようです。それが、日本語や日本文化、価値観を学ぶことで、親との関係が深くなったりします。また、教室自体が仲間と出会うための場、語る場となっています。この仲間と学びあうことがアイデンティティーの形成にも大きく影響します。日本語を学ぶだけでなく、もっと大きな場であるわけですから、「居場所」となるような雰囲気をつくることも大事だと思います。

生徒たちへの思い

生徒たちが二十一世紀で活躍するのはもちろん、社会の役に立ちたいと思ってほしい、自分ができることは何だろうと考えてほしい、という思いがあります。広い視野をもって、どこにどんな問題があるのか常にアンテナを張っている人になってほしいと強く思います。このことは継承日本語か、外国語としての日本語を学んでいるのかにかかわらず、みんなにいえることです。一見遠くにあるグローバルイシューを自分にひきつけて考えられるような大人になってほしいと思っています。そのために、日本語を通してどんなことを、どのように学ぶべきか、日本語教育の可能性を常に考えたいと思っています。

※事業報告書『CoReCa2013-2014』(2014年10月発行)に掲載。所属・肩書きは掲載時のもの。