写真が
教えてくれた
本当の
私
A
私は3人姉妹の次女だ。小学生の頃、2歳上の姉と一緒に、ピアノ、絵画、習字、水泳など、いくつも習いごとをしていた。やめたいと思うこともあった。でも、姉には負けたくないと思ったので、習い続けた。姉のことを私のいちばんのライバルだと思っていた。でも、私は、周りの人に姉と比べられ、「お姉ちゃんはよくできる」とよく言われた。そう言われるのがいちばん嫌だった。私が7歳の時に妹が生まれた。私はみんなと同じように、妹をかわいがった。しかし、実は、新しいライバルの出現に、大変なことになったと思っていた。なぜなら、妹は、ただいるだけで、みんなに注目され、かわいがられたからだ。私はそんな妹がうらやましかった。私には、姉や妹に勝てるものが何もなかった。だから、みんなに嫌われないように、せめて「いい子」でいようと思った。その頃から、家でも、学校でも、「いい子」のふりをして過ごすようになった。
●質問:知弥は学校でいい子でいるためにどんなことをしたと思いますか。
B
学校で「いい子」でいるために必要なものがあった。それは成績だ。成績が良ければ、先生にほめてもらえる。そして、先生にほめられると、私はもっと「いい子」でいようと思った。しかし、5年生の担任は生徒をほめる先生ではなかった。私は、先生にほめてもらえず、「いい子」でいられなくなっていった。そして、6年生の3学期から学校を休むようになった。両親は必死に私を学校に行かせようとした。でも、私は絶対に行かないと言って大きな声で泣いた。結局、私は両親に「中学からは登校する」という約束をして、学校に行かなくなった。しかし、中学校の入学式の日、5時半に家を抜け出し、祖母の家に逃げ込んだ。一度離れてしまった学校というところに戻る勇気はなかったのだ。結局、3年間中学校には行かなかった。
●質問1:知弥はどうして「いい子」でいようと思ったのでしょう。
●質問2:知弥は高校でどんな生活をすると思いますか。
C
中学の3年間が終わる時に「高校には行ったほうがいい。高校を卒業していないととれない資格もある。だめだと思ったらやめてもいいから。」と母に言われた。その言葉に励まされて、定時制高校に入学した。入学式の数日後、クラブ紹介があった。写真部の顧問の先生が、大きな写真を見せながら、中学生の時に不登校だった子も活躍している、と話していた。それを聞いて、私にもいいチャンスかもしれないと思い、すぐに写真部に入った。それから、学校に行くのが楽しくなった。高校を1週間でやめようという気持ちはなくなっていた。私は、えりなという女の子の写真をずっと撮った。そして、えりなを撮った作品は、(財)国際文化フォーラム主催の「高校生フォトメッセージコンテスト」で優秀賞を受賞した。私は、生まれて初めてうれし泣きしそうになった。
●質問:知弥は小学校、中学校でどんな生徒だったと思いますか。
D
私は幼稚園の頃から、男の子によく間違えられた。間違えられても何とも思わなかった。むしろ、男の子っぽく振舞うほうが楽だった。でも、今思うと、男の子に間違えられた時、何とも思わなかったのではなくて、何とも思
わないようにしていたのだろう。
ある日、写真部の先生に「男の先輩と話をしている時のあなたの顔は『女』らしくなっている」と言われた。最初は、自分にそんな顔があることが信じられなかった。先生は、「あなたは自分が「女」だということを認められないんだよ。女として堂々と勝負できないと自分で思っているんだよ」と言った。その時、心が激しく「ズキン」と痛んだ。先生の言うとおりだと思ったからだ。そういえば、私が今まで撮ってきたのは、かわいい女の子ばかりだ。それは、私が彼女たちのような「女」らしさに憧れていたからだ。そして、「女」らしくない自分から逃げるために、男の子
っぽく振舞っていたのだ。