2012年3月3日、上智大学国際言語情報研究所と共催したシンポジウム「未来を生きぬくための外国語教育に挑む」で、『外国語学習のめやす2012 高等学校の中国語と韓国語教育からの提言』を発表しました。これは、「人間形成とグローバル社会を生きぬく力の育成をめざす外国語教育」の提案でもあります。
TJFは、外国語教育は学習した言語を使ってその話者とコミュニケーションすること、そして言語と不可分の文化に焦点をあて、文化理解を深めることをめざすものだと考えてきました。さらに、多様な言語や文化的背景をもつ人たちが共に暮らす社会で、学習した言語を使って生徒たちが社会的な活動をしていけるようになることをめざすべきだと考えるようになりました。それには、言語運用と文化理解に加えて、21世紀のグローバル社会を生きるためのさまざまなスキルや能力(コンピテンシー)の養成も重要です。外国語教育はこのような力を育むことに大きな役割を果たせる。そのためには、どんな目標、内容、方法で外国語教育を実施すればいいのか。この課題に向けてプロジェクトチームを立ち上げ、6年間模索してきました。
プロジェクト始動までの経緯
TJFは、1990年代後半から韓国語と中国語を「隣語」と呼び、日中韓の政府機関、民間の財団、高校や大学、そしてそこで教える先生方と協力しながら、日本の高校における隣語教育の充実をめざしてきました。教師のネットワークづくりやさまざまな情報提供をしながら、隣語教育が抱える問題に少しずつ解決の道筋をつけていくなかで、大きな課題として浮かび上がってきたのがガイドラインづくりでした。高校の学習指導要領では、英語以外の外国語は英語に準じると記されているだけで、具体的な目標や学習すべき語彙・表現など指針となるものが何ひとつ述べられていません。
2005年、文部科学省が公募していた「わかる授業実現のための教員の指導力向上プログラム」に、中国語と韓国語の授業改善に関する研究を申請してはどうかとの話がTJFにあり、これが大きな契機となりました。
2006年1月8日、TJFの事務所にTJFと同じ志を抱いた16人のメンバーが集い、2年度にわたる文科省の委嘱事業「高等学校における中国語と韓国朝鮮語の目標・内容・方法に関する研究」として、「外国語学習のめやす」はスタートしました。
隣語教育に新しい風を吹き込む
当時、米国や欧州では、ネイティブと同じように話せることを目標とするのではなく、学習者中心、内容重視、コミュニケーション志向など、新しい外国語教育が始まっていました。
それを隣語教育に取り入れたいと、1999年米国で発表された「外国語学習のナショナルスタンダーズ(Standards for Foreign Language Learning : Preparing for the 21st Century)」や2001年に欧州評議会が発表した「ヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: CEFR)」など、先行研究の検討を始めます。しかし、CEFRは英文で264ページ、ナショナルスタンダーズも46ページ。これらを理解するにはそれぞれの背景にある外国語教育理論や、世界の外国語教育がめざすものについての知識が求められました。こうした膨大な量の情報をわかりやすく解説する役を一手に引き受け、外国語教育の新しい風を吹き込んでくれたのは、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校の當作靖彦教授でした。ナショナルスタンダーズ作成メンバーの一人である當作教授は、その役目を果たすため6年にわたって何度も日米を往復してくださいました。
「これからの中国語・韓国語教育にはビジョンが必要だ。ナショナルスタンダーズの作成にあたっても、何よりも先に外国語を学ぶ意味を検討した」當作教授の話を受け、プロジェクトチームは議論し、隣語を学ぶ意味として、(1)他者の発見(異文化の受容、隣なるものの認識、他を知るよろこび、他の相対化・対象化)、(2)自己の発見(自らを知るよろこび、自らの相対化・対象化)、(3)つながりの実現(わかちあい、わかりあい)があると確認しました。これらはその後「外国語学習のめやす」完成に至るまでずっとつながっていく、プロジェクトのビジョンとなりました。
パラダイムシフト
「授業の目標は、ハングルが読めるようになることです」「言語に関する知識(文法・語彙・発音)を蓄積すればやがては使えるようになるのだから、それまでは我慢して勉強しよう」 、このような授業が当たり前のように行われていました。この点について、當作教授はメンバーにこう問いかけました。
「外国語学習の目標は、文法や語彙の知識を増やすことだろうか。本当の目標はコミュニケーションができるようになることであり、文法や語彙はその目標を達成するための言語知識にすぎないのではないか」
當作教授にこれまでの常識を否定された教師たちは戸惑いました。しかし、教師自身も今のままでいいのかと疑問に思っていたのです。中国語や韓国語の初めての授業で、生徒たちはこう聞きます。
「先生、この授業取ったら、しゃべれるようになる?」
彼らには、はっきりした目的がありました。学んだことばを使って中国や韓国の人と友だちになり、旅行や買い物、食事ができるようになりたいのです。教科書を順番どおりに教えていたのでは、1年たってもそこまで到達できないことに教師も気づいていました。
生徒たちの気持ちに応えたいとの思いが、次の一歩へとつながります。まず生徒が興味をもっていたり、生徒に関心をもってもらいたいと思うテーマを中国語は16、韓国語は13選びました。次に、生徒がそれぞれのテーマで具体的に中国語や韓国語を使ってどのようなことをしたいのか、教師として目の前の生徒にどのようなことができるようになってほしいかを検討しました。その結果、テーマごと、四つの学習レベル別に、「~ができる」という能力記述文(Can-do Statements)のかたちのコミュニケーション能力指標ができあがりました。
この指標を中心に、委嘱研究の報告書として『高等学校の中国語と韓国朝鮮語 学習のめやす(試行版)』が2007年3月にまとめられました。
次なるステージへ
学習のめやすが目標とする「人間形成とグローバル社会を生きていく力の育成」のためには、具体的にどんな力を身につけたらいいのか。それが新しい課題でした。2009年3月、當作教授を含め、集まったメンバーはこの目標を達成するために、まず文化領域に注目しました。外国語を学ぶなかで、文化は多様であり変化していくものと見る視点を身につけられるよう、テーマごとに文化事象を取り上げ、どのように捉えるかヒントを挙げました。
次に重視したのが、多様なことばと文化的背景をもつ人びとと積極的に対話し、共に新たな社会をつくっていく能力でした。言語と文化に加え、第三の領域としてグローバル社会が誕生します。それぞれの領域で身につける能力は「わかる」力(知識・理解目標)、「できる」力(技能目標)、「つながる」力(関係性構築目標)の三つとし、3×3(スリー・バイ・スリー)のかたちができあがりました。「わかる」と「できる」に着目している人たちはいましたが、「つながる」力の育成をめざした外国語教育の提言は初めてといえるかもしれません。
さらに、三つの連繫が三つの領域、三つの能力を強化すると提案しました。連繫の一つめは、授業の中心である生徒の関心・意欲・態度や得意とする学習スタイルにつなげることです。こうすることで生徒たちは主体的、能動的に学習を行えるようになり、生涯にわたって学習を継続できるようになることをねらっています。
二つめは、授業で取り上げる内容を、生徒たちがこれまで学習したことや経験したこと、他教科で現在学んでいる内容とつなげることです。これによって学習効果が高まり、外国語の授業で扱う内容が豊かになります。
三つめは、教室外の人、モノ、情報を積極的に教室に持ち込んだり、また教室外にでかけていったりして、教室での学びを現実社会とつなげることです。これによって学習がリアルになります。これら三つの領域における三つの能力と三つの連繫を3×3+3(スリー・バイ・スリー・プラス・スリー)と呼ぶことにしました。
この3×3+3を授業で実際に行うには何が必要か。そのための効果的な方法として當作教授から紹介されたのが、学習シナリオです。最終的な活動の目的、場面状況、コミュニケーションの相手などを設定してから、一連の活動を脚本を書くように考えていくのです。
生徒たちが「わかる」「できる」「つながる」力のすべてを獲得することをめざしたシナリオでは、中国や韓国を訪問したり、隣国からの訪問団を受け入れたりといった筋書きになってしまうのは当然のことです。ただ現実にはこうした機会はすべての学校にあるわけではありません。せっかくシナリオを作っても、実行するのは難しいと敬遠されてしまうのではないかとの意見も出ました。
しかし中国語や韓国語を母語とする人は、いまや身のまわりにたくさんいます。インターネットに簡単にアクセスできる状況からも、教師のやる気と工夫次第で、リアルな活動、学習者にとって意味があって動機が高まるシナリオは作れるはずだと、メンバーたちは創造力をフルに発揮し、120のバラエティー豊かなシナリオが、複数回の授業をまとめた単元案のかたちで実を結びました。
隣語から外国語教育を変える
「めやす」づくりに取り組むことは、高校の中国語教育と韓国語教育だけでなく、外国語を学ぶことそのものの意義を問うことでした。現在の社会状況を踏まえたコミュニケーション能力の獲得、そのための外国語教育の内容、方法について見つめ直すことでもあります。その思いを、タイトル『外国語学習のめやす2012 高等学校の中国語と韓国語教育からの提言』に込めました。
今の教育では「習得した知識技能を活用して課題を探求する」ことが求められています。「めやす」はさらに踏み込んで、課題の解決方法を考えたり、解決に向けて行動を起こすことができる人材を育てる外国語教育をめざしています。学びのあり方をさらに発展させる可能性が高く、教科を越えて拡がる普遍性をもっています。21世紀の多言語多文化社会で共に生きていく力を身につけることこそが、外国語教育の新たな役割であると確信しています。
3月の冊子発行、6月の「めやすWeb」のオープンをもって、ひとまず目標は達成しました。TJFの提案は予想以上の反響をもって迎えられています。しかし、ここからが新しい出発です。
「ナショナルスタンダーズの提案が、教師の間で共有されるまでには、10年かかった」という當作教授のことばが今、重みをもって感じられます。
『外国語学習のめやす2012』で提案した新しい外国語教育の実践を広めていくことがこれからのミッションです。
3×3+3(スリー・バイ・スリー・プラス・スリー)の構成図
[能力]わかる | [能力]できる | [能力]つながる | |
[領域]言語 | A 自他の言語がわかる | B 学習対象言語を運用できる | C 学習対象言語を使って他者とつながる |
[領域]文化 | D 自他の文化がわかる | E 多様な文化を運用できる | F 多様な文化的背景をもつ人とつながる |
[領域]グローバル社会 | G グローバル社会の特徴や課題がわかる | H 21 世紀型スキルを運用できる | I グローバル社会とつながる |
+
連繋 | 関心・意欲・態度/学習スタイルとつながる 既習内容・経験/他教科の内容とつながる 教室の外の人・モノ・情報とつながる |
『外国語学習のめやす2012』作成メンバー
〔全体監修〕 當作靖彦(米国カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)
〔中国語部会〕 植村麻紀子(神田外語大学専任講師)、胡興智(日中学院専任講師)、胡玉華(関西学院大学常勤講師)、千場由美子(大阪府立柴島高等学校教諭、2010年5月から参加)、藤井達也*(埼玉県立伊奈学園総合高等学校教諭)、森茂岳雄(中央大学教授)、山崎直樹(関西大学教授)
〔韓国語部会〕 任喜久子(大阪府立花園高等学校教諭)、釜田聡(上越教育大学教授、2010年4月から参加)、金順玉(フェリス女学院大学非常勤講師、2010年4月から参加)、金孝卿(国際交流基金日本語国際センター専任講師)、中川正臣(韓国培材大学専任講師、2010年5月から参加)、阪堂千津子(東京外国語大学非常勤講師)、山下誠*(神奈川県立鶴見総合高等学校教諭)
〔事務局〕 中野佳代子(TJF業務執行理事)、水口景子(TJF事務局長)、長江春子(TJFプログラム・オフィサー)、中野敦(TJFプログラム・オフィサー)*部会リーダー
※『事業報告2011-2012』に掲載。所属・肩書きは事業実施時のもの。