公益財団法人国際文化フォーラム

学校のソトでうでだめし報告

「ひおき再発見~聞き書き作家・塩野米松さんが仕事と暮らしを聞く」を鹿児島県日置市で実施しました!

2024年10月6日(日)に「ひおき再発見~聞き書き作家・塩野米松(しおのよねまつ)さんが仕事と暮らしを聞く」を実施し、日置市内外から35名の参加がありました。

第1部では、毎年約100名の高校生が森や海の名人に聞き書きを行う「聞き書き甲子園」のドキュメンタリー映画を上映した後、塩野さんに聞き書きについて講演してもらいました。第2部では、日置市で活躍されている3名に塩野さんが公開インタビューを行いました。話し手になってくださったのは、10年前に日置市に移住し、ツキヒガイの養殖なども行いながら、持続可能な漁をめざしている漁師の佐々祐一(さっさゆういち)さん、日置市日吉町で和洋菓子店「御菓子司 前田家」でおもに和菓子づくりを行っている前田ゆりえさん、美山苗代川の鮫島佐太郎氏に師事した後、1985年に日置市吹上に松韻窯を開き地元吹上の土にこだわる陶工の徳田正人(とくだまさと)さんでした。

聞き書きの魅力についてお話する塩野米松さん

若い人たちにとっての聞き書き

「聞き書き甲子園」(聞き書き甲子園実行委員会主催)は、毎年約100名の高校生が森や山、海などの名人・名手に聞き書きを行うプログラムで、塩野米松さんは第1回から今年の23回まで聞き書き講座の講師を務めています。

塩野さんは、自分が聞き書きを始めるきっかけとなった法隆寺の宮大工、西岡常一棟梁との出会いについて語りました。西岡棟梁のところに取材に行き、話を聞いていくうちに、「自分が話を切り取ることは、お猪口で海の水を汲んでいるようなもので、そこに自分の解釈をつけたところでせいぜいコップで汲むぐらいのことにしかならない、それだったら西岡棟梁のことばをそのままお伝えするほうがずっと皆さんに届くだろうと思った」といいます。そして、西岡棟梁が読者の方々にしゃべっているようになっている原稿を見て、これはおもしろいやり方だと思い、それから使うようになったのだそうです。

その後、左官屋、石屋などの職人さんたちの聞き書きをいろいろやって、本にするために並べてみると、日本人はどう生きてきたのか、仕事に対してどういう考えをもっているのかが見えてきたと語りました。

これを高校生にやってもらっている理由として、「テレビや新聞などで報道していることをそのまま繰り返すような空虚なことばで語るのではなく、自分で考えてもらいたい。個人をいっぱい集めたら世の中ができる。先に世の中、結論があって、その答えをことばだけで探している間は考えられない。個人に戻すために、一人ひとりが個人に向き合うことが必要で、そのためには聞き書きはいいやり方だと思った」ことを挙げました。さらに、「聞き書きはしゃべってもらったことばしか使わないので、読んでもらえるようにさえ並べれば読み物ができる」こともいい点として挙げました。

そして、「おじいさん、おばあさんたちにどうやって生きてきて、どんな職業をしてきたのか、そのためにはどんな道具を使ってきたのか、(木こりだったら)どういう木の倒し方をして、いい木というのはどういう木なのか、それは誰が決めるのか、全部ことばで集めてきなさい」と教えるそうです。若い人にとっては人に対面して、本当のことばを交わす大きなチャンスであり、これを一回でも経験すると何かが得られると思って、自分は聞き書きの宣教師の役をやってきたと結びました。

仕事と生活を通して生き方を聞く

3名の話し手の方々に対して、その仕事に就くことになったきっかけや経緯などを塩野さんが聞いていきました。

左から、塩野さん、佐々さん、前田さん、徳田さん

漁師:佐々祐一さん

佐々さんは神奈川の高校を卒業後、アメリカの大学に進学、外資系のコンサルタント会社勤務を経て、漁師になるために約10年前に鹿児島県日置市に移住しました。このプロフィールを見て塩野さんは「つっこみどころがたくさんある」と、兄弟姉妹や家族の職業について細かく聞いていきました。お父さんが遠洋漁業の会社に勤めていたことがわかると、漁師になったことと関係しているのかを探ります。そして、お父さんが小さい頃よく海に連れて行ってくれたことで、楽しさを知ったことが現在の原点にあったのだろうと思うと佐々さんは話しました。

外資系コンサルタント会社勤務から漁師への転身のプロセスにも迫っていきます。佐々さんは日置市に来て、漁師になるための研修を3年間受け、その後独立しました。塩野さんが、若い漁師を育成する制度をやっていた市町村が日本中にあったことにふれると、佐々さんは、自分が受けていた研修もその一つで、自分のあと3人が来て、2人は続いていて、もう1人は今年独立だといいます。

漁が初めての人が研修をうけたとしてどれぐらいで一人前になるのかを、収入や船の装備に係る費用などまで突っ込んで聞きます。佐々さんは、ちゃんと食べていけると思うまでに5年かかったといいます。いま力を入れているツキヒガイの養殖はまだ試験段階で、技術的には20%ぐらいの完成度だという佐々さんに、「みなさんの期待を背負っているんじゃないですか」と塩野さんが尋ねると、「はい、これから若い子たちにおいでおいでと言って成り立っていくような産業にしていかないとと思っています」。そして「養殖も含めて漁師ですか?」という塩野さんの質問に対して、「そうですね。昔の定義でいくと、『あんなのは漁師じゃねえ』っていわれかねないですけど、これからの時代はどまんなかだと思います」と答えました。

ツキヒガイを持つ佐々さん(佐々さんのinstagramより)

和菓子職人:前田ゆりえさん

1891年創業の「御菓子司 前田家」は現在4代目。洋菓子と和菓子、そしてパンが主力商品です。3代目までは和菓子が中心でしたが、4代目のゆりえさんのご主人が高校卒業後、関東の洋菓子店で修行を積んだこともあり、現在は洋菓子、パンをご主人が、和菓子をゆりえさんがおもにつくっています。お店ではたくさんの種類の和洋菓子が売られているので、塩野さんが「袋物はありますか?」と聞くと、「和菓子も洋菓子もパンも袋物はありません。あんこも含めてすべて手づくりです」。

ゆりえさんが和菓子づくりを始めたのは結婚後。お義父さんに教えてもらいながら、「いつも向き合って和菓子をつくっていました」と語る昭和10年生まれのお義父さんは、とても厳しかったそうです。4代目がパンをつくることには反対で、協力も一切してくれなかったといいます。

お義父さんは、和菓子職人に弟子入りするために高校を中退させられたことで、「親をたまにはうらんじょったんでなあ」とお義母さんは言っていたそうです。なので、お義母さんは、ゆりえさんのご主人には高校卒業後、進学してほしいと思っていたそうですが、本当にお菓子の道に行きたいなら修行に行ったほうがいい、別な勉強をしたければ進学しろというお義父さんのことばを「夫はきいたんです」。

新聞で大学の講座などを見つけると聞きにいくほど勉強が好きだったお義父さんは、「職人仲間の私には『この生き方でよかった』と言っていましたし、それはうそじゃないと思っています」と振り返っていました。

結婚前に住んでいた鹿児島市と日置市で文化の違いはありますかという塩野さんの質問に、「人口が多いところで過ごしたので、ここに来たときは人が少ないと思いましたけど、すごくいいところだなって思います。それで魅力的な人がいっぱい近くに住んでいるんです」とゆりえさん。「パンがもっと売れますよ」という塩野さんのことばに、会場が笑いに包まれるなか、塩野さんの「幸せですか?」の問いに、「そうやって楽しく暮らさせていただいています」と微笑みました。

お店のカウンターには手づくりの和菓子や洋菓子が並ぶ

陶工:徳田正人さん

会場に並べられた徳田さんの作品(右)

焼きものの勉強を本格的に始めたのは32歳のときだったという徳田正人さんに、「遅いですね。どう心が変わって焼きものやになろうとしたんですか」と塩野さんが尋ねると、「どうせ死ぬでしょう。死ぬときに後悔したくない。おもしろかったと思って死にたいと思ったから始めたんです」と徳田さんは答えました。

その答えの背景を探るために、32歳までの足跡や生まれた家や親の職業、兄弟姉妹について聞いていきました。徳田さんは、「あんまりいいたくないんだけど」と前置きして、20代の頃の生活について語りました。東京で何年か生活した後、親に鹿児島に呼び戻され、知り合いのところで働き始めたものの、「ただ行っているだけで仕事がつまらない、仕事が終わってから毎晩飲んだくれていたら、血を吐いたんです」。30歳で仕事を辞めた徳田さんは、2年ほど、全国のあちこちの窯を見に行っているうちに、「どうせ死ぬんだから、好きなことをして死にたい。よしこれをやろうと思って、県の工業試験場に行き、勉強しているうちに、日置市美山の佐太郎窯から募集があり行くことになったと話しました。実は20代の荒れていた頃、趣味で毎週日曜日にお弁当を持って、美山の川野さんの窯元に行き、ロクロをでの練習をしていたのだそうです。

徳田さんとほぼ同じ年齢の塩野さんは当時の職人さんたちの修行について、「中学校を卒業してすぐに丁稚に入って雑用を始めて、例えばお茶碗をつくるとしたら、目をつぶっていても何をしても同じサイズのお茶碗がつくれる修行を延々とした」ものですが、30歳を過ぎていくとどうなるのか尋ねると、「最初はちっちゃな湯飲み茶碗をただ渡されて、それを毎日作る。それをまる1年近くさせられて、先生が納得すれば、次にこれをつくる」修行をしたと徳田さんが語ります。その修行の意味を塩野さんが「どんなに天気が悪かろうが、腹が立とうが、同じサイズのものをつくれるようになるには頭じゃなくて、手を修行するしかない」と説明しました。

佐太郎窯で修行を始めて3年経って、黒千代香(くろぢょか)を手で挽けるようになったのを見て、先生が「少しずつ独立する準備をしたらどうか」と言ってっくれて、いまのところに窯をかまえたといいます。

地元の日置市吹上の土にこだわる理由を聞かれた徳田さんは、「製土やさんに頼めば、全国のいろんな土が手に入りますから、ぼくも買った方が体力的にも早くできるんだけど、どうしてもね、この土だけでやりたいというのはありますよ。ここにしかないんですよ」と、吹上の温泉から自ら土を掘って持ってくると語りました。そして、「ぼくにとっては宝ですね」と言います。そして、「素材そのものがもっている個性、そいういうのを引き出すような焼き物をつくりたい」と語りました。 40代の頃、作家なのか職人になるのかだいぶ悩んだけれど、「最初は何気ない茶碗だけど、何かこの茶碗にひかれるというものをつくりたい」と言うと、塩野さんが返した「それは商品だろうが、作品だろうが関係ないですね」ということばに、徳田さんは「関係ない。自分のなかで納得したらもういいかなと思っています」と答え、さらに塩野さんが「そうですよね。人に判断をゆだねていたら自分がつくる理由がないもんね」と返すと、「ええ、やっぱり自己なんですよ。全部自分に向けてしか作れないんですよ」と結びました。

来場してくださった方の感想

終了後に行ったアンケートに28名の方から回答がありました。「大変よかった」が74%、「よかった」が22%に上りました。また、今後聞き書きの体験の場があったら、32%が「参加したい」、57%が「中高生に勧めたい」と回答しました。

どんな点がよかったかという問いには、以下のような記述がありました。

  • ひとりの人と出会い、そばにいてその人の声を聞き、その人のことばで語ってもらっていたので、とても心に残りました。
  • 聞き手につながるためのインタビュー、とてもグイグイ聞くのだなーと思いました。聞く側の知識も大事ですね。
  • 人の十進分類法みたいで、いろいろな分類に分かれていておもいしろいなあと思いました。中学生、高校生にも聞かせたいなあと思いました。  
  • 塩野さんの聞き方、知識の豊かさに基づく聞き方に感動しました。
  • 塩野さんの生聞き書き、学びが多くありました。想像以上にぐっと突っ込んだところまで聞いていくんですね。信頼がつみあがるプロセスを見ることができて貴重な経験だった。
  • 聞き手がいいので、お三方のそれぞれの職業の職人の方々の生き方や、その職に対する熱い思いを聞くことができてとてもよかったです。
  • 日置の方の話を聞けて楽しかったです。話されていた方も楽しかったと思いました。質問から~広がる~いろいろな話の広がり(ちょっと泣きそうになってしまいました→たぶん深いところの話まで広がったからかも)学びになりました(できるか?は別ですが)。
  • あくまで話し手のありのままを記す。話し手が読者に話している、語りかけているようにまとめる、というところに関心を持った。
  • その人の生きざまが見えてくるようでおもしろかった。人は語りたいのだなあと思った。
  • みなさんの個性が際立っていました。                           

成果

聞き書きとは、インタビューする相手の生き方や考え方が浮かび上がるように質問し、相手のことばを受け止め、質問と回答を繰り返し、対話を深めていき、最終的に原稿にまとめるものです。こうした作業を通じて、自分と異なる意見や考えを聞くことで、自分と向き合い、自分の考えを明らかにし、新たな考えにたどりついたり、人に伝わる表現方法を考え探ることができます。若い人たちが聞き書きを体験する場をつくることをめざし、今回は聞き書きのことを知ってもらい、その魅力について理解してもらうことを目的としました。

そのために、聞き書きの名手である塩野米松さんに、聞き書きとは何か、若い人たちが聞き書きを行う意義は何かなどについてお話してもらいました。そして、聞き書きでは実際にどのような対話が起こるのかを多くの人が体験できるように、日置市で活躍されている3名の方々に公開インタビューをしてもらいました。当日は、聞き書きや塩野さんのお話に興味をもった方、日置市在住の方々のお話を聞きたいと思った方など、日置市内外から計35名が会場に来てくれました。

会の終了後、参加した方々からは、塩野さんの豊富な知識から出てくる質問と話術に驚き、何よりも日置市に魅力あふれる方々がいらっしゃることに感動したという声が多く聞かれました。 聞き書きは、町の歴史を残したり、町を知ったりするために、さまざまな地域で行われていますが、その過程で人の一生が浮かび上がり、それぞれの素晴らしい人生にご本人や周囲の人が気づくと、聞き書きに関わった方々は言います。今回のインタビューは短い時間でしたが、聞き書きの神髄が伝わったのではないかと思います。

課題

話し手個人の収入の増減や経費など、かなり突っ込んだところまで踏み込む場面については批判的な感想も寄せられました。聞き書きは、生き方を浮かび上がらせるために、その人の生活や仕事について具体的に突っ込んでいくことから、往々にしてプライバシーに踏み込むことになります。通常は、話し手と聞き手の非公開な場面でのインタビューであり、かつできあがった原稿は話し手に読んでもらい、了解を得るという手順を踏みます。しかし今回は公衆の場でのインタビューだったため、いきなりプライバシーが公開されることになりました。こうした公開インタビューで話し手のプライバシーをどう守るかについては運営側の大きな課題として残りました。

事業担当:千葉美由紀


事業データ

ひおき再発見~聞き書き作家・塩野米松さんが仕事と暮らしを聞く

日時

2024年10月6日(日)13:00~16:00

場所

鹿児島県日置市立ふきあげ図書館

主催

公益財団法人国際文化フォーラム

後援

日置市教育委員会

協力

日置市図書館

講師

塩野米松(作家)

話し手

佐々祐一、徳田正人、前田ゆりえ

参加者

日置市内外から35名