わたしの世界では、二つの情念がまるで二本の柱のように天地を支えています。もし一本でもたおれたらわたしの世界はくずれてしまいます。
わたしには女の子として自慢できるところはありません。きれいな顔、すてきなスタイル、すばらしい歌声などとはまったく縁がありません。でも、そういう人たちにくらべて、わたしは幸せだと思います。わたしは外見には気をつかわないので、その分の時間をつかって家族や友だち、そして自分の世界を大切にすることができます。
写真1:世界には次の世代へと伝えられていくものがあります。それは肉親の情です。よく、年配の人たちはいちばん失敗した人たちと思われてしまいます。でも、ほとんどの場合、かれらはもっとも罪のない人たちです。年寄りで時代遅れだからという理由で、かれらの長所はよく無視されます。わたしの両親はよく年配の人たちの欠点について話し、批判します。わたしと同じ年ごろの人たちもかれらのことを軽蔑しています。でも、おじいちゃん、おばあちゃんたちのおだやかに枯れた顔にはしわだけでなく、智恵や愛情もあることに気づいている人がいるのでしょうか。もしかしたら、わたしたちが年をとってから、やっとわかるのかもしれません。
(父方の祖父母と母方の祖父母)
写真2:わたしは父の世代の人たちといっしょにいるのが好きです。かれらは成功していて自信があって、子どものように元気で若く、また老人のように智恵があり落ち着いているからです。おじさんたちは成熟していて、自分にほこりをもっていますが完ぺきではありません。大人ではありますがスーパーマンではないからです。おじさんたちには感謝しています!わたしたちに美しい世界をつくってくれた人に感謝します!
(わたしの父)
写真3:わたしはぐっすり眠っている人を観察するのが好きです。人は夢の中で心のとびらを開くからです。だれでも必ず本当の自分をさらけ出します。どんなに見栄をはっていても、疲れたときには本当の自分が出てきて、うれしそうな笑顔をつくることもできず、眉間にしわをよせるでしょう。(寝言で)ののしることさえあります。おじさん!まさか本当はこんな人だったの?
(母方のおじ)
写真4:わたしは弟と妹が好きです。でも、本当は自分自身が好きなのです。弟と妹のなかにはわたしの姿があります。かれらはわたしで、わたしはかれらです。自分がむかし来たのと同じみちを歩いています。かれらの笑い顔は、むかしのわたしを思い出させます。わたしたちの体のなかには同じ血が流れているのです。わたしたちは肉親の情というくさりでつながっています。あなたたちはわたしの家族であり、肉親です。
(私の弟と妹)
写真5:いつのころからか、わたしの男友だちを本当にかっこいいと思うようになりました。どこから見てもかれらはみんな完ぺきで、欠点がないことが最大の欠点といえます。かれらが楽しいとわたしも楽しいし、かれらがつらいとわたしもつらいです。わたしたちは友だちだからです。友だちと一生いっしょに歩み、苦楽ともに分かち合う、これは男女の愛情よりも真実の愛で、肉親の情以上に親密なものです。これからどんな困難があっても、手を取り合っていきたいと思います。
(私たちのクラスの男友だち)
写真6:わたしは男っぽい性格なのでほかの女子とはだんだん離れてしまいしたが、あなたはいつもわたしのそばにいてくれます。遊んだり、さわいだり、笑ったりしたあとも、あなただけがわたしの悲しみと寂しさを知っています。わたしもプライドがあるので自分の悲しみや寂しさを認めたくはありませんが、そんな時もあなたはそっと私の強情な心をなぐさめてくれて、わたしのプライドを保たせてくれます。あなたに会えたことを神様に感謝します。
(私の美しい“妻”)
写真7:ついにあなたの立ち去る背中を撮りました。タイトルは「悲しい別れ」。わたしは今でも、どちらが悪いのかわかりません。わたしたちは二度と仲直りしないでしょう。まさかあなたとの友情がこんなにもろいものとは。いままでのことは全部見せかけだったのだろうか。本当はわたしが悪いとでもいうのでしょうか。過去にもどりたい。
(もう二度と友だちになれない友だち)
まるで王家衛監督が製作した映画「2046」のように、わたしの世界は絶望的に美しい・・・。