人々は自分の物語を持っています。あなたと同じように、私は生まれ落ちてから言葉を覚え始めるまで、その中の細かく言うなら、言い尽くせないんです。それで、あなたがまだ知らない事を話してあげたいです。あなたもなにか突き動かされることがあるかもしれません。
運がよいことに、私の家は明るく楽しい家です。生活は私たちが助け合って素晴らしくなり、人の生命は私たちが助け合うによりに引き継がれます。子供のとき、親の教育は新しい考えに理解があります。私の親は英才教育をする親のようではなくて、何でも子供に自由に勉強させます。彼らは私に楽しい自由な童年時代を作ってくれました。子供のとき、私は思いのままに、画くことが大好きで、母の眉をかく筆で、真っ白で新しい壁に得意な絵の大作を書きました。しかられると思っていましたが、意外にも創造力があると褒められ励ましてもくれました。そのことを思い出す度に、母に感謝する気持ちがいっぱいです。彼女の励ましを一番最も大事な贈り物として、心にしまってあります。その後、うまれながらの絵画の興味は雨後の竹の子のように大きくなっていきました。名前を忘れた絵は先生にほめられましたから、将来有名な画家になりたいという夢を持ってきて、筆で人間の世界をかきます。
諺で「女は生まれてから十八変化する。」と言います。容貌だけでなく、興味も段々変わってきました。その間、切手を集めることや旅行することにも興味がありました。十歳の時、好きな絵はきれいにしっかりと包装して心の奥にしまっておきました。時々、絵をかきたい気持ちが湧きます。その時、それは私が一番好きなミルクチョコレ-トを食べる時の味わいのように、じわじわと心の中に広がってきました。私は書道に出会ってからのことでした。書道は黒と白の二つの色で作る微妙で美しい世界です。私は「先生を見つけてくれ」と言って母に絡み付いて放しませんでした。もう少しで、「紅楼夢」の中の「詩痴香菱」のようになるところでした。自分が優れた字を書き出した夢さえみました。「志有るものは苦を恐れず」、遂に書道の先生を見つけました。彼は大学の副教授で、子供の時から、書道を習い、十年の日本留学の経験がありました。中国人の諺に応じて、よき師は「金のわらじをはいて探す」です。私は驚くほど早く進歩しました。半年後、新世紀全国書道大会に参加して、銅賞をもらいました。賞を受けた喜びの気持ちは言葉でいい表せないほどのものでした。「舞台上の一分は舞台うらの十年の努力の結果だ」と言うこの時の確信は私しか分からなかったでしょう。小さな灯り、一枚の紙、一本の筆でおくる幾夜もの苦行。今、それは一つの本当に小さいメダルに取って変わりましたが。
年とるにつれて、書道への理解は深まり、書道は形だけではないという事を知りました。所謂「字は人のごとく」ということです。私が好きな書道家颜真卿の雄勁な筆跡は質実剛健、彼のようです。清貧に甘んじ清廉潔白、つらい生活に困った時、「乞米帖」と言う名作をかいて、美名を百代まで残していきます。彼の名言は「黒髪早く学ぶべきをしらず、白頭はただ知の遅れを悔いる」です。これはよく私が諦らめようとする時、私を励まして、私は努力し抜きました。その後、だんだん賞を受けることがおおくなり、国を出て、美しい世界を見に行くチャンスももらいました。12時、日本からの招待で江戸川書き初め大会の授賞式に出席しました。6年間の書道の勉強、感じるものが多く、一言では語り尽くせません。
貴方は今、答えを出せない難題に悩んでいるかもしれません。長い間進展のないことを諦らめようとしているかもしれません。わたしは心から頑張り抜いたほうがいいと言いたいです。「夜明け前が一番暗い」のです。
私はもう17歳ですから、子供っぽい気持ちを捨てて、青春の一歩を踏み出します。