11-058
雨青/上海市甘泉外国語中等学校・高等部 (中国上海市)
Yuqing/Shanghai Ganquan Foreign Languages Middle School (Shanghai, China)
雨青上海市甘泉外国语中学 (中国上海市)
本人が書いた文/Original text本人原文본인이 쓴 글
いとこと一緒に家の近くの公園で写真を撮った(13歳)
和表妹在我家
公園で遊ぶ(5歳)
在公园玩耍
わたしは中国の京劇にすごく興味持っています(12歳)
小小京剧迷
  自己紹介
私は多重性格がある女の子で、ある時は前向きで、ある時は内向的です。 内心は善良ですが、ちょっとそそっかしくて、ちょっと臆病です。
   私は笑うことがすきで、嬉しい時は声を出してわらいます。私は自分の喜びを分け合い、人に私のその時の気持ちを伝たいです。挫けた時、私はほんの少し笑おうとする、自分を励ますために自分に勇気を与えるために 自信を取り戻し、初めからもう一度努力して成功するまで頑張ります。こちらは私の朗らかです。
   日ごろ休暇になって休む時、私はいつも一人で本を見ることが好きで、ネットで雑談したり、テレビを見たりします。道で知らない人に会って道を尋ねられると、いつもたいへん緊張してしまいました。これは私の内向的です。
   ある朝、私は制服を着て鞄を背負って上機嫌で歩いていました。ふと通りの大きい鐘を見て、叫びました。「まずい!遅刻する!」言うなり私は走り出しました。「キー」激しいブレーキの音「わ!」急いで止まりました。自転車に乗って通りの曲がり角から出てきた老人が素早くブレーキをかけなければ、自転車と衝突していたかもしれないです。「ちょっと…」「すみません。すみません …」一連の謝り、老人は頷ました。「君、歩く時は…」老人が話を言い終わるまえに、私は再びかけ出しました。された老人は呆けたばかりしました。これが私のそそっかしいです。
   夏休みに両親とお寺の上にはお寺まいりに行きました。歩いていると献金箱を見つけました。一枚五元の紙幣さつを取り出してつめこみました。少し歩くとまたひとつ献金箱がありました。しばらく考えて「まあいいか。」 終始一貫と思いお母さんは数元のばら銭を置いてきました。こんなかんじでどの見物ポイントにひとつの献金箱があって、自然とすべてにすこしずつ入れているとすぐにポケトの中のお金がなくなってしまいました。 こちらは私のは善良です。
   小学校の時を思いかえしてみると、一度授業中に歯が落ちたことがありました。私は先生に教える勇気がなく、ずっと口の中に含んでいました。しかし、先生は問題を出す時なぜか私に答えさせようとする、びっくりしてのみ込でしまった私は一日中心配でたまりませんでした。放課後になって家に帰って両親に知らせると泣くに泣けず笑うに笑えず、私を生む年を間違えたと言いました。つまり、龍年ではなく兔年であるべきだということです。私は自分でもかつて両親が私の生まれ年を覚えまちがったのではないかと思いました。これは私の臆病です。
   今私はもう甘泉外国语中学の高校二年の学生です。考えてみれば当初日本語科を選んだ理由はただお父さんの「日本語ができれば日本の原作アニメ-ションをみるぞ。」という一言で、今となってはその時の自分は本当に幼いと思いました。つまり、幼かった私はまんまと父のおいしい話にひっかかった訳であります。
   私の父は日本語が分かるから、日本語の勉強においてはやたら厳しいです。中学校二年の時 私は父に日本語の3級能力試験に参加させられたが、いろいろな原因で結局合格できませんでした。これは私にとって大きなショックで、そのせいで私は日本語に対して自信をなくしました。しかし、ある出来事によって私は再び自信を取り戻すことができました。わが学校のホームステイ活動に参加して、私はある50才ぐらいの日本人を招待することになり、はじめ緊張していた私だったが彼女と交流したあと、特に「あなた日本語が上手ですね。」と言う言葉に私とてもはげまされました。私は日本語の勉強に再びに熱心に取り組めるようになりました。このあと私は何度もこのような活動に参加し、たくさんの日本人の友達もできました。日本人との交流は私の日本語の勉強にも大きな助けとなりました。 
   いま私はもう日本語能力試験1級に合格しました。認定書を手にした時、私の目はなみだがあふれんばかりでした。
   私は今回の活動に参加できたことを光荣に思うと同時に、それを通して中国語を勉強しているほかに 少しでも中国の文化を知ってもらえればいいと思っています。

日本語を勉強し始めてからもう五年になりました。今はわりと上手に日本人と交流できるようになり、とても嬉しいのですが、日本の文化や習慣があまりわからず、「ホームステイ活動」に参加している時、何度も失敗をしたことがあります。
   ある日本の授業で先生に日本の方が作った「であい」のウェブサイトを見せてもらってから一衣帯水の日本に対して新しい見方がありました。水島優の作ったHPによって日本中学生の学校生活を全面的に知ることができました。朝昼の授業や放課後のクラブ活動など学生にっとて趣味を育てることの大切さを強く思い知らされました。玉城俊一のHPで日本の高校生の多芸多才さを見せてもらいました。その心地よい歌声に引かれました。そんな素晴しい曲を作ったのがこの高校生だなんて驚きました。それと日本の祭りも見ました。私が興味しんしんといった感じで見っていると授業が終わってしまいました。名残惜しいですがしかたありません。
   その日家に帰るとすぐにコンピューターをつけて、インターネットでこのウェブサイトをみつけました。よく読んでみると、いろいろな社会的な習慣のほかに学校や家庭での生活なども多くの共通点がありました。みんな様々な興味を持ち、やさしい家族を持っています。
   私が一枚一枚と写真を通して水島優のことを知るにつれ、私と彼女の共通点がどんどん見えてきました。私にも多忙な父親がいて、家事を全てこなす母親がいます。私もスポーツが大好きです。彼女とはまるで双子のようです。
   後に先生から、わが学校にも「であい」の活動参加の誘いが来たと聞き、私は喜んで応募しました。
   他国の皆様に上海についてもっと詳しく了解してもらうために私は初めて一人でカメラを持って、城隍庙という所に行き、黄浦江に行き、おばあさんとおじいさんが住んでいた石庫門にも行きました。上海の様々な景色をカメラでおさめました。残念なのは自分が下手なせいでとった写真には何枚も気に入らないものがありました。それでも私は日中の高校生の交流において多少の貢献ができたことに喜びと興奮を感じています。人と人がお互いに理解し合えば世界はもっと平和になると思います。
   しばらくして、日本の国際文化フォーラムから感謝状をいただきました。実は私もこの活動でいい勉強になりました。
   様々な国の人々は外見こそ違っていますが、心はお互いに通合ってるはずです。

 自我介绍
我是一个有着多重性格的女孩,有时开朗,有时内向。内心善良、也有点莽撞,有点胆小……
    我爱笑,成功的时候我会放声大笑,我要把我的快乐分享给每一个人,告诉大家我的喜悦的感受。失败的时候我也会微微一笑,以作自勉,给自己勇气,重振自信,从头开始继续努力,直到成功……这就是我的开朗。
    平时放假休息时,我常常喜欢一个人看看书,上网聊聊天,看看电视。在路上遇见陌生人问路,总会显得很紧张。这又是我内向的一面。
    清晨,一个身着校服的女孩背着书包一蹦一跳地去上学,无意中看到街上的大钟,大叫一声:“惨!要迟到啦!”说罢,不顾一切地在路上狂奔起来,“吱”,一声紧急的刹车声,“哎……”,连忙站住,一个老人骑着自行车正从街的拐角里冲出来,要不是老人刹车及时,也许就要和自行车要“亲密”接触了。“你……”,“对不起,对不起……“一连串的道歉,老人点点头:“小姑娘,走路……”,没等老人把话说完,我又不顾一切地飞奔。把留给我忠告的老人晾在那儿。这就是我的莽撞。
    暑假里,父母带我去寺庙上香拜佛,一进寺门,看见一个捐款箱,忙拿出一张五元的钞票塞了进去,走了不多一会儿,又是一个捐款箱,想了想,算了,给吧,有始有终么!于是又把几元零钱放了进去,……就这样,每一个参观点都有一个捐款箱。自然,每一个都放一点,直把身上的零用钱都掏出来才算完。这就是我的善良。
    记得念小学时,有一次上课时一颗松动的牙齿掉落了,我不敢告诉老师,一直含在嘴里,谁料提问时老师偏偏让我回答,我一紧张牙齿滑入肚内,害得我一天提心吊胆,放学回家父母得知后哭笑不得,说我投错了胎,不应该属龙应该属小白兔,我自己也曾怀疑可能是父母记错了我的生肖。这就是我胆小的一面。
    现在我已经是甘泉中学高二的一名学生了,还记得当初决定学日语仅仅出于父亲的一句学日语可以看很多的日本原版动画片,现在想想当时自己还真是幼稚啊!也正是我的幼稚真好中了父亲设下的圈套。
    由于父亲懂一些日语,因此他总是盯着我背日语,初二的时候就让我参加了日语能力考3级,因为种种原因我最终没能合格,这给了我很大的打击,也让我对日语失去了信心。重拾信心是在一个偶然的机会,我参加了学校组织的ホームスティ活动。我接待的是一个50岁左右的日本人,开始的时候我非常紧张,但和她的交流以后,我感到很轻松,特别是她那句你的日语说的真好啊!给了我很大的鼓舞。让我对学习日语又有了新的动力。此后我又参加了多次这样的活动,交了很多的日本朋友,在与日本人的交流中我的日语也有了很大的提高,对学习日语的也越来越有兴趣了。现在我已经通过了日语能力1级考试。当拿到证书的那一刻我热泪盈眶。我想这个不单是我一个人的功劳,如果没有大家的鼓励和帮助也不可能有我今天的成功,在这我向大家表示感谢。
    这能参加这次活动我我觉很荣幸,我也希望通过我的努力,能让在学习中文的外国友人,对中国的文化有稍许的了解。

我学习日语已经有5年了,现在已能较熟练的和日本人进行交流了,这一点让我非常欣慰,但对日本的风土人情却了解甚少,以至我在几次的“ホームステイ”活动中,在日本人面前出了不少洋相。
    直到在一节日语课上,老师让我们看了日本人制作的“であい”网站才让我大开眼界。让我对一衣带水的日本有了新的看法,在水岛优制作的网页中让我比较全面的了解到了日本中学生的学习生活,从白天的读书到放学后的俱乐部活动,让我深深感到日本人对学生兴趣培养的重视;玉城俊一的网页中让我看到了日本中学生的多才多艺,那动听的歌声让人陶醉,尤其让我惊讶的是如此美妙的词曲竟然出自这位高中生之手。在他的网页中还让我目睹了一次日本民间的祭祀活动……正当全神贯注地游览时下课铃响了。
    我意犹未尽, 那天回家后我迫不及待地打开电脑,通过互联网找到了这个网站,仔细游览之后我发现除了许多不同的风俗外。他们的学校和家庭生活与我们有很多相似之处,我们都有广泛的兴趣、都有温馨的家人。
    当我随着一幅幅精彩的照片走进水岛优的生活时,我发现,他与我相似之处简直太多了:我也有一位早出晚归忙于工作的父亲,也爱好陶艺;也有一位包揽家务的母亲。我也很喜欢体育。我觉得我和她就像是一对双胞胎姐妹。
    后来听老师说日本友人邀请我校学生参加“であい”的活动,我非常高兴的报了名。
    为了形象的介绍上海,我第一次一个人带上相机来到城隍庙,来到黄浦江畔,来到了外公外婆所居住的石库门……记录下一幅幅“上海风情”。遗憾的是由于自己摄影技术太差,冲洗出来的好几张照片我都不太满意。但我依然兴奋不已。因为我也为中日高中生之间互相了解做了有益的工作。我想人类只要能互相多了解一点,那么这个世界将会更和平。
    此后不久,我收到了日本国际文化交流中心颁发的“感谢状”,其实更应该表示感谢的是我,因为我通过这次活动学到了很多东西,也得到了锻炼,更让我感受到一个真谛:不同国度的人们表面上有一些不同,其实心灵是相通的。

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