育林/長春市朝鮮族中等学校・高等部(中国吉林省)
Yulin/Changchun Korean Secondary School(Jilin, China)
育林长春市朝鲜族中学(中国吉林省)
本人が書いた文/Original text本人原文본인이 쓴 글
育林(ユクリム)
私です。今は高校二年生です。
这是我,现在已高二了。
私と本
私は文化と歴史について興味を持っています。だからたくさんの本を買って読みました。今は「史記」・「三国遺事(サングクユサ)」・「写真と画から読む韓国の歴史」・「朝鮮文学史」・「背包走天下自助遊-吉林」・「異域風情叢書-日本」・「異域風情叢書-韓国」……など40冊ぐらいです。しかし専門的な本は10元~20元では足りません。40元~100元ぐらいです。とても高いです。私はこのような本を買うために、お菓子も食べないで、毋からもらったお小遣いをためます。だから、私は友達にプレゼントをあげた事が少ないんです。これを見て、クラスメ一卜にけちとかグランデ二世と呼ばれます。お菓子をあまり食べないので子供頃から太っていた私がだんだん痩せてきました。
我对文化和历史比较感兴趣,所以买了许多关于文史的书来阅读。目前已有「史記」・「三国遺事」・「사진과 그림으로 보는 한국의 역사」・「조선문학사」・「背包走天下自助游―吉林」・「异域风情丛书―日本」 ・「异域风情丛书―韓国」…等40余本。可是这些书都比较贵,所以只能省着零花钱去买。为了省钱买书而不吃零食,从小时候起就是个小胖子的我逐渐变瘦了。
未名湖
写真を撮った所は北京大学のロマンチックな未名湖(ウイミンフ)です。未名湖には多くのロマンチックな恋愛話が伝わっています。多くの雑誌や新聞には自分の初恋が未名湖であったという話が書かれています。写真を撮った時は春の初めでしたからまだ緑で囲まれていませんでした。だから恋人が見つかりませんでした。
这里是北京大学富有浪漫色彩的[未名湖]。未名湖流传着许多浪漫的爱情故事。很多杂志和报纸上载有关于自己的初恋在未名湖的文章。这张照片是在初春时照的,还不是绿树成茵,鸟语花香时节,所以没发现一对情侣在窃窃私语的场面。
子供頃の私と姉
左は私の姉です。今は延辺大学で「中韓双向翻訳」を勉強しています。大学一年です。右は私です。私は可愛いですか。ここは「長春市動植物公園」の孔雀がいる所です。写真が古いので画像がちょっと悪いです。
左边是我的姐姐。现在就读于延边大学—中韩双向翻译专业。是大一。右侧是我,可爱吗?这里是[长春市动植物公园]有孔雀的地方。因为是老照片画面效果有点不好。
ともだち
私のクラスの学級長です。相龍(サンリョン)と言います。私の仲良しです。彼はバレーボールとサッカーをはじめ,スポーツが大好きです。後ろの黒板にある文字が見えますか。「距会考仅12天」と書かれています。これは「会考まで後12日」という意味です。会考は高校卒業のテストのことです。中国の学生の勉強はとても忙しいです。だから黒板を見ると頭がガンガンします。
他是我们班的班长,叫郑相龙。是我的铁哥们儿。他喜欢打篮球,踢足球等体育活动。
看见后面黑板上写的红字了吗?上面写着[距会考仅12天]。会考是关于高中毕业的考试。中国学生的学习压力很大,所以每当看到黑板上写的字我就感到头疼。
家族の祭り-백날(ベンナル)
この写真は私が生まれてから百日になった日に撮った記念写真です。朝鮮語でこの日を「백날(ベンナル)」と言います。意味は「百日」です。朝鮮民族の習慣では生まれた赤ちゃんが百日になると友達や家族を誘ってパーティ一をします。これは家族の祭りです。しかし、残念ながら「조선옷(ゾスンオッ。韓国では韓服<ハンボク>と言います。民族服です)」を着ませんでした。
这是我出生后的第一百天照的相片。这一天朝语叫[백날],意思是[百日]。在朝鲜民族的传统里婴儿出生后的第一百天会邀请亲朋好友开派对,以此来庆祝孩子的百日。可惜,当时我没能穿上华丽的民族服装,至今也是个遗憾。
家族の祭り-(ドル)
この写真は毋方のいとこの子供が生まれてから一才になった日に撮った記念写真です。この子は僕の姉(いとこ)が韓国で結婚して生まれた子です。朝鮮語でこの日を「(ドル) 」 と言います。意味は「才」ですが普通は子供の一歳をさします。朝鮮民族の習慣では生まれた赤ちゃんが1歳になった時も友達や家族を誘ってパーティ一をします。これも家族の祭りです。しかし、残念ながら私のには写真を撮りませんでした。
这张照片是我的小外甥一周岁时的照片。这天朝语叫[]。在朝鲜民族的传统里婴儿一周岁时会邀请亲朋好友开派对,以此来庆祝孩子的第一个生日。这个孩子是我的表姐嫁到韩国后所生的第二个儿子。惭愧的是,我虽然过了[],却没照上纪念相片。这也是我的一个遗憾。
家族の祭り-진갑(ジンカプ)
この写真はおばあさんの진갑(ジンカプ)の写真です。진갑とは70歳の誕生日のことです。しかし、 朝鮮民族は환갑(フヮンガプ)をもっと大切にします。환갑は60歳の誕生日です。これも家族の祭りです。残念ながら私はおばあさんの환갑の日にまだ生まれていませんでした。진갑환갑の日、ふつう「오래오래앉으세요(オレオレアンズセヨ)!」とお祝いの言葉を言います。直訳すると「長く長く座ってください!」で「長寿」の意味です。おばあさんの前にたくさんのお菓子が並べてあります。多くはおばあさんの진갑のためにわざわざ延辺でかいました。しかしおいしくありません。色と形ばかりです。母の話によるとおばあさんは韓国でうまれて5歳のとき家族と一緒に中国に来たそうです。そして、よく「故郷」についての歌を歌っていました。おそらく、故郷が見たかったのでしょう。おばあさんは2年前亡くなりました。結局、おばあさんは一回も韓国へ帰ることができませんでした。
这张是姥姥回甲时的照片。回甲是指70岁生日。但是在朝鲜民族的传统里更注重花甲。花甲是指60岁的生日。遗憾的是姥姥花甲时我还在妈妈的肚子里。花甲和回甲时通常对老人说「오래 오래 앉으세요!」。直译就是[久久地坐着吧!],但其实是来祝福老人健康长寿。摆在姥姥前面的大部分食品是特意从延边买来的,不过这些食品虽然好看可不好吃,中看不中用。听妈妈讲,姥姥出生在现在的韩国,因日本的殖民统治一家人被迫从朝鲜半岛来到中国。姥姥常常唱起关于故乡的歌,也许是她老人家想念故乡的缘故吧。姥姥两年前因病去世。结果一次也未能回过韩国。
   ぼくのおいたち
   ぼくの名前は育林、朝鮮族です。ぼくの話している朝鮮語は韓国慶尚道の方言です。ぼくは中国で生まれましたが、祖先は現在の韓国慶尚北道平海の出身です。平海は今では海水浴場と観光で有名なところだそうです。ぼくの祖先の起源はまだはっきりしていなくて、いま調べているところです。
   ぼくは、1986年3月28日、吉林省長春市双陽区(当時は「双陽県」と呼ばれていました)山河街三専朝鮮族村後解家屯で生まれました。両親の話では、小さいころのぼくは病気がちで、毎日のように点滴をうけていて、とても心配したそうです。
   親の仕事の関係で、幼稚園のときは遼寧省阜新市に移り、漢民族の幼稚園に通いました。そのあと、また三専にもどり、朝鮮族小学校付属の幼稚園で朝鮮語を勉強しました。
   5歳のとき長春市に来て、長春市二道区朝鮮族小学校(当時、「二道区」は「二道河子区」と呼ばれていました)の就学前クラスに通い、7歳で小学校1年生に上がりました。
   小学校3年生のときエレクトーンを習い始め、それ以来音楽はぼくの生活でとても大事なものになりました。
   13歳のときに小学校を卒業、同じ年の8月に長春市朝鮮族中学校に入学しました。その年の夏休み、中国音楽学院学外向け音楽テストのエレクトーン9級に合格し(中国音楽学院学外向け音楽テストは9級まであって、1級が一番下のレベル)、バイオリンも習いはじめました。中学校の勉強が大変だったので、バイオリンは5級までしか習いませんでした。
   中学1、2年のときの成績はクラスで中の下でしたが、自分なりにがんばって、中学2年の期末試験ではすごくよくなって、クラスで十位以内に入りました。
   中学1年のとき、全校黒板新聞(訳注:黒板にカラフルなチョークを使って書く壁新聞)コンクール(中学全学年と高校1、2年が参加)で、ぼくがデザインした黒板新聞が2位になりました。そのとき、上位3位中、ぼくのクラスだけが中学で、しかも新入生でした。そのため、それ以降の黒板新聞コンクールでは、ぼくの作品は先生や生徒達の注目の的となりました。作品をつくるときに色の使いかたとデザインを工夫したので、すっきりしていてわかりやすく、きちんとした感じの作品になりました。
   中学2年のとき、ぼくは文化と歴史、中でも朝鮮族の文化と歴史に興味をもつようになりました。高校に入ってからも、ぼくの趣味はそんなに変わらず、同じような趣味をさらに深めていっています。でも、高校では、勉強についていけず、よくつらい思いをしています。

   「であい」をみて、7人の主人公の生活がよくわかりました。かれらを通して、日本の中高校生の生活を知り、また日本の風俗習慣も学ぶことができました。主人公一人ひとりがみんな得意なことや趣味をもっていて、とてもうらやましいです。
   ぼくが一番気に入ったのは、玉城俊一くんです。音楽が得意なところがいいです。そのつぎは、水島優さんと吉田功二郎くんです。水島優さんは写真が得意だし、吉田功二郎くんは動物を大事にしているからです。
  我的成长历程
我的名字叫育林,是朝鲜族,我说的朝鲜语是韩国的庆尚道方言。我虽出生在中国,但是我的本贯(本贯:姓氏始祖出生的地方名)却是现在的大韩民国-庆尚北道-平海。听说那里现在是著名的海水浴场和旅游观光地。关于我始祖发源的神话传说还未详,正在查找中。
   我出生于1986年3月28日,吉林省长春市双阳区(当时叫[双阳县])山河街三专朝鲜族村后解家屯。
   听父母讲,我小时候是个病秧子,天天打吊瓶,让父母操了不少心。
   我曾随父母做生意,在辽宁省阜新市上过汉族幼儿园。后来又回到三专,在朝鲜族小学幼儿园学习朝语。
   5岁那年来到长春市,在长春市二道区朝鲜族小学(当时[二道区]叫[二道河子区])上学前班,7岁时上小学一年级。
   从小学三年级开始学习电子琴,从此音乐变成为我生活重要组成部分。
   13岁时小学毕业。 同年8月在长春市朝鲜族中学就读。同年暑假,中国音乐学院校外音乐水平考级(中国音乐学院校外音乐水平考级一律定为9级,1级为起始级)电子琴9级通过,并开始学习小提琴。由于中学学习繁重,小提琴只学到5级。
   初一,初二时学习成绩在全班是中下等。通过我本人的努力,在初二期末考试中学习成绩突飞猛进,一跃成为全班前十名。
   在初一时,全校黑板报比赛(初中三个年级和高一、高二) 中,我设计的黑板报获得第二名。当时前三名中,只有我班是初中部,而且还是新生。所以在以后的黑板报比赛中我的作品便受到老师和同学们的关注。在作品中,我比较注重颜色的搭配和图案的组合,所以看起来大方、通俗、整洁。
   初二时,我开始对文化和历史感兴趣,特别是朝鲜民族的文化和历史。
   升入高中之后我的爱好没有太大的变化,还是继续培养我的爱好。可是升入高中之后,学习跟不上,时常让我感到苦恼。

在[であい]中我了解了7位主人公的生活。通过[であい]的7位主人公我也间接的了解到日本中学生的生活,也学习到了日本的民俗民风。每位主人公都有自己的特长和爱好让我非常羡慕。
   其中我最喜欢的是玉城俊一。我喜欢他音乐方面的特长。
   其次是水岛优和吉田功二郎。我喜欢水岛优的摄影特长,喜欢吉田功二郎爱护动物的行为。
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