夢は自国でなくても叶えられる

京都教育大学

夢は自国でなくても叶えられる

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ニコレットさん

役者

日本で会社勤務の経験を経て、現在は演劇の勉強をしながら舞台に立つニコレットさん。どうして日本で役者になろうと思ったのか、外国語でのお芝居にどうやって取り組んでいるのか、その原動力は何なのか、お話を聞いた。
プロフィール
ハンガリー出身。日本企業に就職、会社員として勤務する間に、演劇の世界に魅せられ、役者になるために2023年、ヒューマンアカデミー大阪心斎橋校に入学した。現在は同校で演劇を学びながら舞台にも出演している。これまでの出演作は「カーテンコール」「有限男と無限女」「まつ毛、ささくれ、夏の星」「CREATIVE DIRECTOR」など。

Q:日本で役者になったきっかけは何ですか。

実は、ハンガリーから日本に来て日本の会社に就職したんですが、そこでの仕事はあまり合わないと感じていましたし、本当に自分が何をやりたいのか全く分かっていませんでした。しばらくして最初に就職した会社から転職を考えていた時、どんな仕事が本当に自分に向いているかも分からない状態で、心の中にずっと不安がありました。 そんなとき、2023 年の5月に大阪でコミコン*があったんです。そのコミコンのことを知ったときは、コミックの作品自体をあまり多く知らなかったので、コミコン自体にはあまり興味はなかったんですが、 好きな俳優が来ると知ったので行こうと決めました。そしてコミコンに行って、好きな俳優に会えてから、いろいろ考えました。映画やその映画のメイキング映像なども見始め、難しそうだけれど、楽しそうで、やってみたいという気持ちがわいてきました。自分にもできるかどうか、自分には才能があるかさえ一切分かりませんでした。でも自分のやりたいことはこれだなとそのときに強く思って、すぐに演劇を学べる学校を調べました。 その時はまだ京都に住んでいたけれど、次の転職先を大阪にと決めていたので、大阪の学校を中心に調べました。そこで今通っている学校を見つけたんです。すぐに応募して、合格し、金銭面の都合もなんとかついたので無事に入学できました。 学校に入ってからは不安だった心がとても穏やかになって、落ち着きました。そのときに、私がやりたかったことはこれだなって分かりました。

入学が決まったからといって、絶対に女優になれるとは限らないけど、心の中の不安が消え、自分が進みたい道を見つけたという気持ちでした。もちろん、この業界の大変な面も知っていますが、どこまで行けるか見てみたい、挑戦したいという気持ちで前に進んでいます。

*コミック・ブック・コンベンションの略称。1970年に始まった漫画を中心としたポップカルチャーのイベント。現在は世界中で開催され話題となっている。

Q:どうして今通っている学校を選んだのですか

それをよく聞かれるんですが、分からないんです。 私は運を信じていて、演劇の学校に行こうと思って調べ始めて、一番最初に開いたのがその学校のサイトでした。 そこの学校の人と面談した時、説明を受けて、他の学校を見てもいなかったのに、私の行きたい学校はここだって、そのときになぜか分かりました。今、 後悔は一切ないです。 

Q:俳優の学校の授業ではどんな授業がありますか。

いろいろな授業があります。私が受けているのは演技とナレーションの授業です。それがすべての基本だからです。ナレーションの授業では、例えばNHKニュースのアナウンサーや番組のナレーターなどの課題が出て、そのやり方を教えてもらって練習します。 演技のクラスでは短い脚本などをもらってその演技に挑戦します。 みんなの前で演じます。クラスメイトや先生の前にお芝居をして、先生から評価をしてもらいます。一人芝居のときもありますし、二人、三人の芝居の場合も、色々あります。

Q:日本語で役を演じるのはどうですか。難しいですか。

ハンガリー語や英語など、ほかの言語で演じたことがないので、比較はできないですが、難しいところはあります。 私は演技力があるとよく言われるので、演技自体ではなく、イントネーションの問題があります。 私の日本語が、関西に住んでいるからか、どうしても関西のイントネーションになっているようです。関西弁を話しているということではなくて、イントネーション、アクセントが関西弁になっていると指摘されました。それで、今年出演した2回の舞台ではそれを直さないといけなかったんです。 1回目ではあまり直せなかったようなんですが、2回目はとても努力して直そうとしたので、うまくいったみたいでした。今のところ、難しいと感じるのは このイントネーションの違いだけです。 他の面では、外国語で気持ちを出せるか出せないか、それはその人によると思います。母語だったとしても気持ちを出せない人と、母語だったら出せるけど 外国語では出せない人もいるから、それは人によって差があると思います。 私は、結構日本語を話すようになって長いので、問題ないかなと思っています。

Q:今まで2回の公演に出演されたそうですが、 その2つの 芝居について教えてください。

一番最初のときは舞台が初めてだったのでわけがわからないまま終わった感じでした。 本番のお芝居は、授業の課題と明らかに違うし 、初めて会う人ばかりなので どうやって急にチームになるかがつかめず、 最後までほぼチームにはなれなかった感じがありました。みな優しかったし 最後はとてもいい気持ちで終われたんですが、 自分がまだ足りていなかったという気持ちがありました。よく声をもうちょっと出しましょうとか言われたり、 演技について何か言われたりするけれど、何も言われなかったので、何とも言えないですが 自分では精一杯頑張った感はあります。 次の2回目はとても良かったです。良すぎて 本当に何時間でも話せそうなくらいでした。 この6月末の舞台は、結構短い間、1ヶ月ちょっとで作りあげたもので、 しかも全員また初めての人ばかりで したが、みな最初からとても仲が良くて、舞台も 楽しすぎてもうやめたくないぐらいでした。 恋愛話を全部で20名のクラスが2つのグループに分かれて、1つのチームが10人で、そこからさらに2人組になって、ペアでそれぞれが別々のストーリーを演じました。そのメンバーとはとても仲良くなって楽しかったです。相手役の人とキスシーンもあって、それは新しいチャレンジでしたが、楽しかったです。

Q:ニコレットさんは、日本語で演技をするときに、自分がやっているキャラクターの気持ちは全部伝えられますか。

伝えられる自信はあります。逆に、私は考えすぎているとよく言われます。 キャラクターの演技のためにはキャラクター作りが必要です。 脚本ではそのキャラクターはそのシーンにしか出てこないわけです。 でも、そのキャラクターの過去や、どうしてそうなったか、などを考えないと演技ができないんです。例えば、この前の舞台は恋愛話だったんですが、 どうして相手を好きになったか、その人物がどういう人なのかや性格まで考えないと絶対できません。 キャラクターになることができないんです。 授業の課題に過ぎないですが、 例えば、この前、ある授業に手伝いで入ってたときにやったグループワークで、あるセリフを自分の違うイントネーションで、 気持ちをこめて言わないといけなかったんです。そこで 後輩たちが演じた時、みんなそれほど深く考えていなかった様子でした。でもそのとき 私が考えたストーリーは深すぎたので、先生にも笑われました。 そこまで考えているの?と。 セリフは正確には覚えていないですが、 本当にあなたが犯人だったんだ、みたいなセリフでした。私が考えたのは それを言っている人が奥さんで 、殺されたのは旦那さんで、探偵がいて、探偵が誰が犯人かを説明しているが、その人は 本当は旦那の愛人であり、しかも私の親友だった、 というストーリーまで考えて演じたんです。 その気持ちを入れる自分の親友が自分の愛している旦那さんを殺したというストーリーで、その 気持ちを乗せて演技したら、みんなは驚いていました。演じたあと、私が考えていたストーリーを言ってみたら、 なるほど、その気持ちはわかったとみんな言っていました。

Q:今からやりたい役がありますか。

私が大好きな俳優はヒュー・ジャックマンです。彼の演じるいろんな役を見ていつも驚くのが、本当に同じような役が一回もないことです。 彼のように、私も色々な役に挑戦してみたいです。たとえば、殺人鬼の役もやってみたいです。  ちょっとサイコパス系の、最初から殺人鬼だってわからない、それを隠そうとしている人の役をやってみたいと思います。そのような役は一応、学校の課題でもやったことはあって、その時も表情が上手いとよく言われたので、 実際の舞台や映像作品などでもやってみたい。ほかのいろいろなものにも挑戦してみたいと思う。チャレンジになるような、自分が成長できるような 悪役もとてもやってみたいと思っています。

Q:今から5年の間に、どのようなことをしたいと思いますか。

私の一番の理想は、12年日本で普通の仕事をしながら、いろいろな作品に出演して経験を積んでから、イギリスかアイルランドなど、ヨーロッパのほうに引っ越して、そこで活動することです。 ネットフリックス作品や、大ヒット作品に出演したいなと思います。これは結構大きな目標ですが、目標が大きくなかったらどこにも行けないと思うので、大きな目標を持つようにしています。 そしていつかできたら、大好きなヒュー・ジャックマンと共演したいです。娘役でも、どんな役でもいいのでいつか一緒に出演したいです。 だから目標は大きいです。

それからもちろん、私が役者を目指すきっかけをくれた人にも、お礼が言いたいです。その人は一マッツ・ミケルセンです。去年の5月のイベントで、この人に会ってから役者になろうと決めたので、感謝しているんです。この人ともし話すチャンスがあれば、絶対ありがとうと言いたいです。 あなたがいなかったら絶対にここまでは来られなかったと思う、と言いたいです。

 

(インタビュー:2024年7月)

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