伏見区の生家石黒商店(創業1893年)にておばんざいの調理・販売を開始。2012年Seafood Senior Meister 取得、2013年京都大学大学院おばんざい研究会内におばんざい伝承師制度創設。2021年京都新聞、そおろとおばんざい連載開始(全51回)。現在京都、岡山他にておばんざい教室を開催しおばんざい伝承師の育成に奮闘中。
家庭の味を伝えたい
Q:どうしておばんざいを専門にしたのですか。
専門にしようと思ってしているわけではないんです。わたしはもともと京都生まれの京都育ちで、昔は自然に伝わっていた家庭の料理が、ある時期からあまり伝わっていないと感じて、それをできるだけ若い世代の人に伝えていきたいという思いからかもしれません。昔は親が子供に家族の料理を教えるとか、それを伝えていくということは大事なことなんですが、最近はそれがなくなってきているように思ったんです。昔は親が子に家庭の料理を教えるとか、いろんなことをしつけから全部教えてきたんですけれども、ある時期からちゃんと家庭の中のことが伝わっいてないということがわかって、それがちょっと嫌だな、と思ったんですね。 お料理だけでなく、他のことも含めて、そうした伝統みたいなものがなくなってしまうと、何にもないようになってしまう。 京都だけではなく、ほかの地域でも、それぞれの地方の食べるものとか、 それが伝わっていかなくて消滅してしまうということが多々ありますよね。 私たちよりも上の年齢の人たちが、昔はこの家で作っていたものを食べさせてあげてはったものを、 いまは知らないという若者がとても増えたんです。 東京を中心に集中していくという一つの現象というのもあるからかもしれないけれども、そんな伝統みたいなものがなくなってしまわないように、自分が素敵なおばんざい料理のことを若者たちに伝えることができれば、と思ったんです。
「おばんざい」とは
Q:おばんざいとは何ですか。他の料理と何が違いますか。
おばんざいっていうのは京都の家庭料理のことです。一般的に日本料理っていうと、お料理屋さんで食べるお料理、たとえば懐石料理とか精進料理だとかのことだと思われてしまうところがあるけれど、それだけではないんです。親から子、子からまた次の子に伝えていく家庭料理。ただ、家庭料理というと、今はいろいろなものがあるけれど、ワンプレートのお皿に乗ったようなお料理、たとえば一つのお皿にスパゲティだけとか、 そのようなお料理はちょっとおばんざいとは言いたくないですね。できれば、一汁三菜といって、一つの汁に三つの菜、主菜と副菜、副菜、という感じで、いろいろな味を楽しむということが一番いいと考えます。 けれど、一日にそんなたくさん作ったら大変だと思う人もいるかもしれないけれどそんなことはないんです。、主菜は毎日いろいろなものに変えるけれど、あとの二つの副菜っていうのは、京都の人はとても上手で、何か煮っころがしを作ったら、上手に味を変えてそのおかずを二、三日使っちゃえば、準備はそれほどいらないわけです。もう一つ副菜も、一週間以上持つようなものがあるので、そういうのを作っておいて、ちょっとそこに何か味を足せば、できるんです。
精神的な文化―「地産地消」、「出会い」、「始末」
Q:おばんざいには京都の文化の精神的なものがあるというのはどういうことですか。
京都というのは、昔は天皇がいたところなので、公家文化がもともとあるんです。 そのような歴史的な文化もおばんざいの中には蓄積されて残っているんです。そのような精神的な文化や歴史が残っている面もあるし、それからその地域で採れているものをそこで消費することを「地産地消」というのだけど、その地域で取れたものも使っているという特徴があるんです。豪華なものではないんだけれど、 その季節のものを取り入れてお料理を作ります。日本は四季があって、その季節によって出てくる食材が違うでしょう。いつも同じではないんです。春やったら春のお料理があって、夏、秋、冬と、その時に出てくるお野菜や採れるお魚を使って上手に作ります。
それから、「出会いもん」という言葉もあるんですけど、 この時期のこの食材と、この時期のこの食材とを合わせて、つまり出会って、できたものがとってもおいしくなるというようなお料理もあるんです。たとえば、12月になると「海老芋」というおいしいお芋さんが出てくるので、それと、その時期に戻す棒鱈(ぼうだら)とを合わせて、棒鱈の戻したお汁で炊く、これが「出会い」です。また、夏に、乾燥のニシンを、その戻した汁で、ちょうど夏場に出てくる茄子という料理もあるんですが、それもその時期の食材どうしを合わせたもので、「出会い」というんです。この「出会い」というのは、今日あなたたちと私とが会ったという「出会い」もあります。京都の料理では、この精神的なもの、出会いを大事にします。そういう、出会った人たちと一緒にお食事するという時も、 その出会いを大事にしているといういう精神的な考え方がいつでもその中に入っているんです。
それから、「始末」という言葉もあります。たとえば、お出汁を取るのに使う椎茸や昆布は、出汁を取ったらまたもう一回使って、しぐれ煮みたいなものにすることもあるんです。このように、最後まで大事に使いましょうというのが始末の精神なんです。
昔と今―保存について
Q:今のおばんざいは、昔と違いますか。
今はね、冷蔵庫や電子レンジがあるでしょう。それから 輸送も、氷などを使って上手にできるようになりましたよね。 私が生まれる前ぐらいの昔の時代にはそういうものが何に もなかったので、 いかに保存して食べるかっていうことをすごく考えたんです。そういう意味では今はとても変わていますね。全国のどこからでも物は入ってくるし、季節に関係なくものが入ってきますから。
昔は一年中ものが入ってくるということはなくて、例えばキュウリは夏、わかめは春、タケノコも春にしか採れなかったんです。春にしか採れないタケノコとわかめを上手に炊いていたもので、これが「出会い」だったんです。
お漬物は保存食です。ある時期にたくさん採れた食材をどうにかして活用しようというところから始まっているものなんです。冬に取れる大根は、本来、春になるとなくなってしまうけれど、一年中大根を食べたいと思ったら塩漬けしてお漬物にしておけば一年間食べれるわけです。だからお漬物というのは日本の文化で、全国いろいろなところにあるんです。
一番うれしいこと
Q:今まで料理教室を開いていて、 一番うれしいことは何ですか。
皆が「おいしい」って言うてくれることです。
おばんざいを教えていて、習いに来るまでおばんざいは作るのが難しいものだと思っていたと言われることはあるんです。でも、私は、まず、私の味を伝えますが、家によって味付けというのは違って当たり前なので、 帰ってからかならずもう一回は作ってみてね、と言います。甘めが好きなお家、辛めが好きなお家、 薄いのが好きなお家、濃いのが好きなお家とそれぞれの家庭の味というのがあるのでそれは大事にしていかないといけないと思うので。それで分からへんかったらもう一度教えるし。 それで練習して覚えて欲しいって思ってます。 昔のおばあちゃんみたいに、 さっさっと感覚で作れるように自分のものにしていかないとあかんでしょう、お料理って。いちいち測って時間かかってしょうがないし、自分がいつも食べているようなお料理を出せるということは、それが簡単に作れるっていうことでしょう。何回か練習すればすごく簡単なので、 そうして教えています。その中で何回も作って美味しかったって言われたら、それはとても嬉しいですね。
おばんざいの未来
Q:おばんざいという料理をどのように伝えるのでしょうか。
私たちは、今の人たちのようにスーパーマーケットではなく、それぞれの食材を扱っている商店からいろんな地域のものを取り寄せたりしながら、料理を作っていました。 小さい時からそういうものに触れてきたので、そうした食材を使った料理というのもよく知っているわけね。 年配の方でも知らない方がたくさんいらっしゃるんだけど、私が昔食べてたいたもの、 おばあちゃんが作らはったもの、それを自分が作ろうと思った時に、 おばあちゃんなんかは、あれとあれと混ぜたらできるのよって言わはるでしょ。それをまねして 同じように自分も作ってみるんだけど、なかなか同じようにはできないんです。たとえば、計量カップで測るとか、スプーンで測って、この分量でって言うんじゃなくて、 ちょっと味見して作らはるのよね。本当はそうして作ったものが普通だったんだけれど、今の人たちは味自体を知らないので難しいんです。それをこれから残すのなら、ちゃんと分量を量って「こういうような味ですよ」っていうのを教えてあげなければね。そんなふうにおばんざいのお料理っていうものを伝えたいと思って今やっているところです。
Q:これからの若者たちに何か伝えたいことはありますか。
本当のものを食べてほしいです。 「ほんまもん」を食べてほしい。「ほんまもん」を知ってほしい。 今はいろいろな偽物がたくさんあるんだけど、「ほんまもん」を知ってほしい。 それを知って初めて、食の楽しさもわかると思うんですよね。
季節のものを味わうことで、まず一番おいしいものを食べられるんですが、ただ、最近は、ハウスができて、その食べ物をいつ食べるのが一番おいしいかわからなくなっているという問題があります。それから、今はみんな、魚の種類を知らなくなっています。 魚も日本中、いろいろなところで捕れるけれど、 輸入のお魚も多く入ってきているし、 カットされて身だけになって同じような味付けにしている魚もたくさんあります。そういうものばかり食べていると、そのものの本来の味がわからなくなってしまうでしょう。 本物を食べてほしいというのはそういうことなんです。
食べないとおいしさがわからないので、今の若い人にはまず 食べてもらいたいですね。 昔はおばあちゃんとかと一緒に暮らしていると、 おばあちゃんたちが家庭の料理を作ってくれてそれを一緒に食べていたんです。 でも今は、核家族になって、 バラバラになってしまって、それがなくなってしまっているので、 ちょっと考えものやなと思っているんです。伝わらないんですよ。たとえばその子どもの親が、おばあちゃんの味を覚えていて、奥さんに「この時期になったらこれが食べたい」って言うということはあるにしても、「よう作りません(作れない)」で終わってしまうこともあるようなんです。 それでおばんざいっていう看板を掲げているお店があると、 サラリーマンがたまにそういうところに行って、 食べたいと思っていたものを食べに行くっていう話も聞きます。 だから本当のちゃんとしたおばんざいを食べてほしいなと思っているんです。 本当のおばんざいというのは、本来はその家庭で培った味なんだけれど、 でもそれすら食べれない時代になっているので、おばんざいのお店ででもいいから、食べてもらえたらいいなと思っているんです。
(インタビュー:2024年7月)