感じ始めた違和感
私の親は、日本の学校に通っていて、絶えず自分のルーツを隠したりとか、仲良くしていた友達の親に「もう家の子と遊ばんといて」って言われたりとか、そういう経験がいっぱいありすぎたそうです。それで、そういう風にしてルーツを意識させられるくらいやったら、あえて民族学校に入れて自分のルーツに自信を持ってほしいと思い、悩んだ結果私を民族学校に通わせたっていうふうに聞いています。
私は民族学校に通えてよかったと思っています。そこでは、自分と同じルーツの子たちばかりの環境なので自己肯定感に溢れていて、人と違うとか日本人じゃないとか日本国籍じゃないとか、日本社会の中でのマイノリティって意識させられるよりは、自分のルーツを100%肯定的に楽しく誇らしく受け入れながら育つことができて、マイノリティとして自分が疎外されている葛藤などは学校生活の中ではほとんどありませんでした。
でも、葛藤がなかったかというとそういうわけでもなくて、学校から1歩出たらやっぱりマイノリティやし小学校の中学年とか超えていくと、周りと比べたりとかそういう発達段階で、人の目とかが気になったりする年頃やと思うんですけど、だんだんわかってくるというか、社会の眼差しに気づいていくというか。通学の道で罵声浴びせられたりとかもあったし、学校の中はすごくあったかいけど、1歩外に出たときの怖さとか、自分ってどういう存在なんやろうとかっていう葛藤は小学校高学年とか中学校、高校とか行くにつれてすごく大きくなっていきました。
救われた心
高校生の時にアルバイトの面接を受けて、「“李未来”って名前だったらお客さんから日本人じゃないってわかった時にすごく不快に思う人達がいるから、日本人の名前ないですか?」って店長さんに言われて、その時はまだ高校生だったからめっちゃ心臓がドキッとしたんだけど、1人だし相手大人だし、結構固まっちゃってどうしようとか、名前って何個もあるものじゃないじゃないですか。だけど多分このお店は私を好ましいと思ってないんだろうなっていうのはわかったから、もしお客さんに酷いことを言われた時に多分助けてくれない、だから、「ないです」って一言だけ言って面接終わったんだけど、それがずっともやもやしてて、でも親とかには言えないよねやっぱり。ルーツのことって親のことでもあるから。だから親にそのことを言ったらすっごい悲しむんだろうなっていうのがあって、だから言えなかったんだけど、日本人の塾の友達にそれをふと言ったんです。今でも忘れられないんだけど、全然ルーツのこととか詳しくないのに、ただ塾で出会っただけの子なのに、すごく仲良しで、そのことを言ったら、その子が3倍くらいのエネルギーですごく怒って、「なにそれ! 許されへん!」みたいな。私はそういうこと全部我慢して生きていかないと日本社会には受け入れてもらえないと結構思っていたから、怒ってほんまはよかったんやってその子の怒りを見て気付かされて。それでその子が「そんな店おかしい! 私が言ったる!」みたいな感じでその店に電話してくれて、ただの高3なのにね。店長に電話して「あなたどういうつもりなんですか」って言ってくれて。結局この店で働かなかったんだけど、すごく救われた。傷ついたけど救われた。
見えない敵
私は教師になって1年目に赴任した学校の校長先生から差別発言されて、もうびっくりして。私の中で学校の先生ってそういうのしないと信じていたから、1番安全な仕事やと思っていたんですけど。校長先生に呼び出されて話しているときに、「あなたが授業教えてるとかあなたが担任をしてるっていうことだけですごく嫌やって思う保護者もきっといる」「あなたが偏ってない人間やと思われるように、それを保護者にちゃんと証明しないといけない」っていう話を1時間半ぐらいずっとされて。ああいう時って本当情けないんだけど、その場で私は反論できなくて、同期の仲良しだった先生に「さっき校長室でこんなこと言われたんやけど」っていうのを話して。自分の声に出してみると頭の中でぐるぐる回ってるのと現実味が全然違ってて、その人に言った時に泣いてて。校長先生に親のことも否定されたし通ってきた学校のことも否定されたし、自分はどれだけ一生懸命でも保護者からクレームがくるみたいなことも言われたし、実際には1回も来てないけど。それを私は悩んだけれどちゃんと問題化しようと思って、ハラスメントがあった時に相談する学校の窓口みたいなところに相談した。自分があかんってことを認めて、ちゃんと校長先生に謝ってほしかったし、職場の人にもわかってもらいたいなと思って。それで最終的には一応謝罪をしてもらったけれど、結局1年で転勤になって、現実は厳しいなぁっていうのをすごい感じました。
私はそこから自分はどれだけ頑張ってもいつか攻撃されたりクレーム言われたりする存在なんだろうなっていうのがいつも頭の中に残ってて。例えば、1番緊張するのは始業式とか入学式とかに家帰って今年の担任私やったって聞いた時に、私がどんな人とか全然知らんとルーツのことだけでめちゃくちゃ嫌悪感を持つ人とかもおるのかなとか、4月がすごい緊張するっていうのは自分の中でずっとありましたね。今はほとんど無くなったけれど、見えない敵と戦ってる感はちょっとあるかな。なんか漠然といつ自分はそういう目に遭うかわからないみたいな、そういう見えない敵じゃないけれど、恐怖心みたいなものはずっと残ってますかね。
国籍の壁
私は日本で生まれ育った人として日本にすごく根差していて、日本が故郷みたいな感じなんですよ。でもよく「差別なんてもうないですよね?」って言われるけれど、やっぱり人生生きれば生きるほど人生のライフステージが変わるごとに見えてくるものもすごく多くて。例えば、結婚とかすごく露骨に出るなと大人になってわかりました。10年ぐらい前のことなんですが、私の知人が結婚差別にあって、その件で結構病んでしまい、仕事を休職するぐらいの時期がありました。3年以上付き合っていてもう結婚するとお互い同意してて、相手の親に挨拶に行った時に、嫌悪感を持たれてしまって。1ミリも自分のこと知らないのに100%拒絶されるって中々ないじゃないですか。これは、明らかな差別なわけじゃないですか。相手の中身とか一切知らずに物凄く嫌悪感を持たれるっていうのは。そういうことって私らのおじいちゃんおばあちゃん世代からすごく強い人が多くて日本の中で普段そんな世代の人と関わることなんてないから、結局そこの説得の所は心が折れてしまい、2人は別れたらしいんですが。
何の根拠もないのにそういう人に対してものすごい嫌悪感を抱くという、圧倒的な差別みたいなものに身近で初めて出会ったから私もすごくショックでしたし、自分の人生もすごく心配になりました。また、これからの子達、それこそ私が働いている学校の外国にルーツをもった生徒の子達とかが高校卒業して社会に出てそういう事に出会った時に誰に相談できるのかなとか、ほんとすごく自分も悩みました。
私ができるサポート
最近コロナ禍で、来日してきた外国人の家庭がしんどい思いしてるなっていうのは感じていて。例えば、最初の方に10 万円給付とかあったじゃないですか。ああいうのも住民票の届出とかをきちんとしないと、もらう権利があってももらえなかったり。日本の役所の手続きとか日本語の読み書きってすごく難しくて、それを後回しにしている家庭もすごく多いし、給付金が出るっていうのを知らない家庭も多くて。外国人の家庭で同じルーツのコミュニティや繋がりがあったら、その中でいろんな情報を手に入れる事ができるんだけど。そういうコミュニティとかがない、日本で孤立してる外国人の家庭とかもすごく多くて。本当にコロナ禍で困ってたり大変な状況に給付金もらえなかったりとか。やっぱり社会がしんどくなった時にまず切られる人たちやなっていうのをすごく感じて。私は同じ海外に「ルーツのある人」だけど日本で生まれているし、そういう意味ではマイノリティだけどマジョリティに近い。それにもっと大変な状況に置かれている人たちがいるから。その人たちと一緒にできる事をやっていきたいなっていうのを考えています。
例えば、日本で20年以上暮らしてる来日してきた人で、日本語の読み書きが難しいっていう人は割といて。コロナが流行った時に経営が厳しくなって、理不尽な理由でクビになったりしてる人がすごく多くて。でも、勝手にクビにするのって細かくみたら法律違反で。だけど「外国人やから日本の法律のことなんかわからんやろうな」みたいに思われてる。私も「それおかしすぎる」ってなったから「ちょっと手伝います」っていうので、未払いの賃金もらったりとか、ほんとにクビにするなら先に宣告しないといけないし。ちゃんと法律に沿った形で、もらえるものはきちんと相手からもらわないと。他には、家賃が払えなくなったっていう外国人の家庭の声をすごく聞いたから、コロナの支援でお金を借りたりできるようなところを見つけてきて、一緒に申請するのに付き添ったり、そういう形で生活の面で一緒に動けることをサポートしたいなっていうふうに思っています。
2つの世界
私は常に2つの世界を自分の中に持ちながらずっと育ってきたので、ものの見方とか物事の考え方とか、豊かやったかなと思います。
他は純粋に韓国語ができるので、大学生ぐらいからすごく韓国に行くようになって、韓国の高齢者施設とかにボランティアで働かせてもらったりとか、そこで世界中のいろいろなとこからボランティアで集まった大学生とかとすごく仲良くなったりもありました。
日本にいながら日本の中のいろいろな課題とかを解決していくために自分ができることもあるし、でも日本っていう中に自分は閉じこめられずに、韓国とか世界にも繋がっていけるような、そういう幅広く自分の生き方を選択していけるっていうのはすごく良かったなって思っています。
また、日本に渡ってきて三世代目だけどやっぱり苦労しているから、渡ってきた世代もそうだし、私らの親世代はもっと露骨に差別があって、家も借りられない・銀行でお金も借りられないとか。不動産屋さんの看板に〝朝鮮人お断り〟とか書いているぐらいの時代で、でもそれが当たり前で。だからそういう中でも人と繋がることをすごく大切にして支え合って生きてきた人たちだから、そういう海外に渡ってきて苦労してきた、親たちの姿を見て学ぶことも多いし、だからこそルーツのことも大切にしたいと思うし。でもそうして自分だけ幸せやったらいいわけじゃなくて、次はまた誰か困っている人のために自分ができることを考えたいと思うし、そういうのは単純に韓国にルーツがあるってことだけじゃなくて、なんかマイノリティやからこそ味わったっていうか、学んだことなんかなっていうふうに思っています。
(インタビュー:2022年9月)