ルーツが違う国で教師になる

大阪大谷大学

ルーツが違う国で教師になる

PEOPLEこの人に取材しました!

清武ハンズさん

高校教師

中学生の時にフィリピンから日本に来た清武ハンズさんは高校で英語を教えています。教師をめざしたきっかけや、自分のルーツではない日本で教師をする信念、ハンズ先生にしか教えられないこと、さらに日本がルーツではない人が日本で教師をすることに対しての意見を聞きました。

教師をめざしたきっかけ

2歳、フィリピンのおばあちゃんの家にて

Q:ハンズ先生の通っていた高校はどんなところでしたか?

外国人受け入れの高校で外国人が多かったです。多分大阪府で1番多い学校でした。日本人生徒もヤンチャな子が集まっていました。それぞれの母語でわちゃわちゃして、ヤンチャな日本人に絡まれて言葉が通じないので手が出てしまうこともありました。

Q:もともと教師という職業に興味はありましたか?

もともとはありませんでした。フィリピンにいたときは弁護士か警察官ばかりの家系だから僕もそういう道を歩むのだろうと思っていました。言い方は大袈裟ですけど、ずっと中学・高校はなんの夢もありませんでした。けれど、高校で色んな交流会があってその中でリーダーや実行委員などをやっていました。そこで、他の高校生と交流しながら少しずつ「いいな、こういう仕事」と思ったというのがきっかけです。

あとは高校のときフィリピン語が話せる日本人の先生がいて、フィリピン留学経験があるその先生とよく喧嘩をしていました。言葉は伝わるけど気持ちは伝わらなくて……。きっと私みたいな他の外国の生徒は困っているだろうという思いで、2年生の終わりから興味を持ち始めました。実際動きだしたのは3年生の夏休みくらいで、教員免許が取れる大学に行きたいと思い始めました。

Q:では、その先生に影響されたという感じですか?

当時は思わなかったけれど、今はもう恩師って感じです。

高校2年生、スポーツフェスティバルにて

Q:どうしてフィリピンではなくて日本の子供たちに教えようと思ったのですか?

日本人にだけ教えたいというわけではありませんでした。先生と生徒の間で言葉だけでは伝わらない部分がありました。当時、大阪にそういう外国人生徒が多く、先生になることにプラスして、そういう子たちの面倒がみたいという気持ちが合わさって先生になりたいと思っていました。日本人だけでなく、いまこの学校みたいにたくさんの外国人生徒がいて、可能であればこういう学校しか行きたくないっていうのもあります。もちろん日本人の子たちも見ていますが、一番は外国人の子たちを見たいと思っています。これからも外国人生徒が増えるのではないかなという話もいろいろなところから出てきているので、なおさら、もっと僕みたいな人を育てたいなという気持ちがものすごくあります。

Q:フィリピンの留学経験があった先生だからちょっとは話しやすかったとおっしゃっていましたが、日本人とのコミュニケーションの中で難しいと感じることはありますか?

2の終わりに来て日本語ができるようになるまでは34年くらいかかりました。その時はずっとコミュニケーションを取るのに困っていました。日本に15年くらいいる今は全然コミュニケーションは困らないけど、文化的に言ったら日本は本音と建前の文化じゃないですか。どちらかと言えばフィリピンはフランクで思ったことをすぐ言うので、仕事なりプライベートなり色々な面でトラブルになったりして、日本語を喋っていてもその文化の違いで結構困ります。

学びの第一歩

高校の教室にて

Q:ハンズ先生にしか教えられないことって何かありますか?

私しか教えられないというか、やはり自分の経験。外国人の生徒も日本人の生徒も、教えるときには自分の経験から話しています。そっちの方が生徒と繋がる気がします。実際には分からないけど、自分ではそれが一番生徒に伝わりやすいと思っています。結局、いま生徒指導部をやっていて、ヤンチャな子たちを相手することが多くて、自分も高校のときわりと真面目ではなかったので、そういう指導をうけることが多かったです。なのでその経験を踏まえ、説得や説明をします。昔に比べると、今の日本人生徒は外国人生徒に対して優しい感じがしています。僕のときはそこまででやさしくなかったので、その状況に「甘えるな!」と外国人の生徒たちには言っています。フィリピンの生徒が多いのですが、フィリピン語は必要に応じてちょっとだけ入れるようにしています。基本的に社会に出たら自分の母語を喋れても、日本ではそれは使えないことが多く、学校にフィリピン人の先生がいるからといっていつも僕を頼ったら、他の先生には頼らなくなるから、ちょっと厳しめな教え方をしています。僕もそういう風に育てられたから、その教え方をしています。

Q:ルーツの違う子供たちに勉強を教える楽しさっていうのはどこにありますか?

外国人生徒だけの授業(抽出授業)が多いのですが、英語と体育の授業だけが抽出ではなくて、日本人と一緒で楽しく受けています。ぼくは英語と抽出授業である文化を教えていますが、抽出授業では、わかりやすい日本語で授業をしています。また、歴史や文化のトピックが出てきたときは、外国人生徒に「自分の国はどう?」などその場で日本人の生徒とルーツのある生徒たちを繋げていく授業をしていて、そこが楽しいところです。逆に僕はフィリピンと日本しか知らないので、僕が生徒たちから学ぶこともあります。

多様なルーツの先生が増えるといい

授業で使っている教科書を見ているハンズ先生

 

Q:ルーツが日本じゃないけど日本で先生をすることはいいことでしょうか、またこれからそのような先生が増えるべきでしょうか。どう考えますか?

僕が一番お話したいのはここです。ルーツでない方がいいとまでは言わないけど、日本人相手にしても外国人相手にしても、全くルーツが違って国籍が違う人が先生として立ったほうが、今の日本はいいかなという気がします。やはりその経験をしている分も含めて、あとはその背景が全然違うので、これからの日本が今目指しているグローバルな社会をそのままいきたいのなら、多様なルーツのある先生を増やしていった方が良いかなと思います。多分これから日本に外国人がたくさん来るし、いちばんその子たちの事情がわかるのは僕とかそういう風なルーツを持つ先生だと思うので、そういう先生を増やすことでその子達もずっと日本に暮らしていくことができると思います。でも残念ながら全然増えなくて、大阪府の高校では、ベトナム人の数学の先生一人と、僕くらいです。興味を持っている生徒がいれば、その後押しをしたいなと思っています。

Q:私はベトナム国籍なのですが、日本で日本人に国語を教えたいと思ってます。今は帰化しようとしているけど、帰化しなかったらこのままグエンツィアンっていう名前で日本人に国語を教えるって、日本人の生徒からしたら抵抗あると思いますか?

抵抗はあると思います。ぼくが担任した時も成績不振な子達の懇談の時に、僕も当時は名前がカタカナだったので、親から反対されたわけではないけど、「先生が担任なん?」みたいな感じですぐには分かってもらえませんでした。だから外国人だけど普通に担任できるよというアピールをしました。最終的に卒業までもっていけた時にそのお母さんから「先生ありがとうね」って。日本人は割とプライドが高くて、日本人以外の人に教えられることに抵抗があるかなという気がしていて最初は苦労すると思います。それでも堂々と国語の教員免許持っているから教えていると言い切ったら大丈夫だと思います。

僕も採用試験の面接で「課題はなに?」と聞かれたので、枠校 (日本語指導が必要な帰国生徒・外国人生徒を受け入れる高校のこと)じゃない高校も外国人生徒が入学した時に日本語教育が受けることができ、支援が貰える学校を整えたいって言い切ってきました。それを実現させたいです。国語ももちろん日本語ですけど、外国人向けの日本語教育は全然違います。全員が全員できる訳ではないので、専門でなくてもいいからどの学校にも日本語を指導できる先生をおいていてほしいです。だから、もし日本語教育の免許も取れるのであれば、ぜひ取って欲しいです。

(インタビュー:2024年8月)

この記事にコメントする

Related Articles関連記事

日本でがんばる人びと

NEW!

子育ては「カタツムリと一緒に散歩」

日本でがんばる人びと

子育ては「カタツムリと一緒に散歩」

主婦
エンカさん

中国では高校の教師を務め、2013年にご主人の転勤により日本に移住し、現在、日本で3人の子育てをしながら、アルバイトで保育園に勤務されているエンカさん。母国を離れての生活や、日本と中国の暮らしの違い。そして、外国(日本)での子育てについて、…(続きを見る)

私たちが
取材しました

大阪大谷大学

好奇心の結晶

日本でがんばる人びと

好奇心の結晶

京都大学経営管理大学院  教授
アスリ・チョルパン先生さん

トルコ出身のチョルパン先生はイギリス、アメリカ、そして日本での滞在経験者。研究や出版物もさることながら、アメリカのハーバード大学やMITでも活躍なさったことのある今や国際的に認められている先生。…(続きを見る)

私たちが
取材しました

関西外国語大学

24年間タイ料理の魅力を日本に伝え続ける

日本でがんばる人びと

24年間タイ料理の魅力を日本に伝え続ける

タイ料理屋「熱帯食堂」のシェフ
プロンピン・ソンポンさん

24年前仕事のために日本に来て、色んな場所でタイ料理を作り続けているソンポンさん。現在、大阪府枚方市にあるタイ料理屋「熱帯食堂」で働いている。日本では、料理のレシピだけではなく、自分も日本について学んで合わせていく必要があるのか。ソンポンさ…(続きを見る)

私たちが
取材しました

関西外国語大学

関西外国語大学

comm cafe料理人、ルーパさんの素顔

日本でがんばる人びと

comm cafe料理人、ルーパさんの素顔

comm cafe料理人
ルーパさん

大阪府箕面市にあるcomm cafeでは各国の料理人たちが自国の料理を日替わりで提供している。その中で今回取材させて頂いたのはインド出身のルーパさん。ルーパさんが日々、どんな思いで料理を作っているのか、そしてその料理にはどんな工夫がなされて…(続きを見る)

私たちが
取材しました

大阪大谷大学

私は“わたし”

日本でがんばる人びと

私は“わたし”

高校教師
李未来さん

日本には多くの外国人が住んでいる。その中で私たちは、日本で生まれ育った外国籍の方に注目した。日本で生まれ育ち日本人と変わらない生活をしているのに、国籍が日本でないだけで起きる問題や困難などを実際にしりたいと思い、日本で生まれ育った在日コリア…(続きを見る)

私たちが
取材しました

大阪大谷大学

元ラグビー選手の素顔をノゾキミ

日本でがんばる人びと

元ラグビー選手の素顔をノゾキミ

花園近鉄ライナーズの普及担当
タウファ統悦 (とうえつ)さん

現在、花園近鉄ライナーズの普及担当を務め、子どもたちにラグビーに触れる機会を提供しているタウファ統悦さん。トンガ出身で普及担当に就く前にはラグビー選手としてプレーしていたタウファさんに普及の仕事や私生活について教えてもらった。 …(続きを見る)

私たちが
取材しました

大阪大谷大学