日本酒との出会い
Q:日本に来たきっかけは?
最初に日本に興味があったのは、多分、台湾人はみんな同じだと思います。日本に対して憧れがあったので、それで留学とかを考えていたんです、昔から。神話に興味があって、だから島根県を選んで来たんです。小学校の時に、小学校というか、子供の時に。その時代では、子供向けの本として、日本の神話とか難しい話とか結構使われていたので。そこですね、興味を持つ原点としては。
Q:なぜ日本酒を作ろうと思ったんですか?
大体原点はお酒が美味しいからですね。
「台中六十五」の物語
Q:どうやって日本酒の作り方を教えてもらいましたか?
急に来て、「これ教えてください」って言われたら、教える方の視点からだと、いきなり来て、技術だけ学ばせて、と。それはちょっと違うと思います。教えること自体が相当の苦労なんですよ。だから、それをなんで教えないといけないの、ということですよ。だから、まずは自分が本当に勉強したい心を見せないと。
Q:陳さんはどうやって自分の決意を表しましたか?
獺祭の頃はみんな素人だったから、そんなに深く掘ることはできないんですけど。まずは、ちゃんと与えられた仕事を勉強して、そして質問を出す。「なんでこうなんですか?」って。その上で、自分も勉強しないといけません。真面目に向き合うことです。
Q:お米「台中六十五号」を作る過程で、特に印象的だったことはありますか?
まあ、全てですね。まずは米の種もみ(お米の種)を探すのも、先がなかったです。最終的には、沖縄県の農家から入手できました。さらに、その時は田んぼを探しても勝手に米を作ってはいけない、という法律もありました。田んぼが見つからなかったから、知り合いから、「家に使ってない田んぼがあるから、それなら使っても大丈夫ですよ」という話でした。結構助けてもらったから、それで台中六十五号ができました。
台雲酒造合同会の設立と経営
Q:台雲酒造を設立してから、自分の中で何か変わりましたか?
どっちかって言うと、起業によって職人の目線から経営者の目線に変えないといけないから、多分一番大きいなのはそこかな。
Q:前に会社経営の経験はありましたか?
これが初めてです。勉強するってほどではないですが、知り合いの日本人の社長に色々訊いて、助けてもらいました、という感じですね。たくさんの方に助けてもらって、今の形になりました。
Q:どうやってネットワークを作りましたか?
自然的にできたんです。例えば、自分の頑張っている姿を見せるとか、それで自然に助けてくれる人が現れてきます。
Q:陳さんが頑張っているから、その社長さんが助けようとしたということですかね?
そうだと思います。
Q:最後に、日本で職人を目指す外国人へ一言、いただけませんか?
目の前のことをきちんとやること。うちのところでも、やることは基本ですけど、その上で何かできるか、という。例えば、洗い物が終わったら、床までもキレイにしているか。もし終わった後に、床に米がぽとぽと落ちていると、それはちょっと違うと思います。だから、全てを真っ当にすることが仕事なんです。
(インタビュー:2024年3月)