「武士に二言はない」文化に飛び込んだ経験

関西外国語大学

「武士に二言はない」文化に飛び込んだ経験

PEOPLEこの人に取材しました!

ラファエル・バトレスさん

モンテレイ工科大学の教授 (リサーチ・プロフェッサー)

メキシコ国立自治大学(UNAM)で学位取得後、フランス石油研究所、豊橋技術科学大学、東京工業大学資源化学研究所といった研究機関で、研究にも指導にも活躍してこられたラファエル・バトレス先生に、日本企業、また、研究分野で体験されたことについてお話を伺いました。

トップ画像は戸田先生とバトレス先生

日本への道

Q:どうして日本をお選びになったのですか?

まあ、子供の時から日本の文化に興味があって。日本の文化と日本語のものですね。言語にも興味があって、趣味として日本語の勉強を始めて、で、子供の時からですね。1991年、国際交流基金のコンテストに出て、インタビューとか、いくつかの簡単な試験を受けて、日本に行くことができました。

1週間ぐらいの旅だったのですけれども、少し延長して、あちこちの大学を訪問して、何人かの先生と話して、もしかして研究やる時に考え方も違うかもしれないことに気づいて、創造力にも役に立つのかなと思って、後で卒業したら修士で勉強した方がいいかなと思いました。

最初に、研究生として始めて、その後は修士課程に入って、その時に普通の修士課程と英語コース、両方ありました。で、指導教員に、もし博士号を希望するのであれば、普通の日本語コースにした方がいいっていう風に言われました。
で、4月から始まる日本語コースに入って、修士を卒業して、博士課程に入りました。ただし、その途中で、博士課程を辞めて、助手っていう、日本の大学の先生で言うと一番下の先生になって、主にまあ研究所だったので、東工大の中で資源化学研究所に属していました。教育っていうよりも、研究をやっていました。

博士課程は途中になったんですけれども、論文ドクター、博士論文という形で、研究と関係している論文をいくつか出版したら卒業できました。でも、家族の事情でメキシコに帰ることになりました。日本を出るのがとてもつらかったですよ!僕の国になったみたいでした。僕が帰る数カ月前、色々検討してくれました。大学を出たあの日、僕は教授の名前が書かれた入り口を見つめ、自分の名前、当時唯一の西洋人の名前を、憂いを込めて見ました。

日本企業で求められること

Q:日本で働くチャンスを高めるのに役立った資格やより優利になったことは何だと思いますか

店も14年目に入っているけど、一応は上司からの願いなんですけれども、その前に、2005年から、京都で5年ぐらい働いていて、一年くらい大阪市内の製菓学校の工場で勉論文とか研究のオリジナリティとか、そういうようなことで評価されました。
具体的に、その時にケミカルプラントの操作手順合成ということについて研究をやって、世界中の研究と比較してメリットが多いという形で評価されました。

Un sistema computacional que puede optimizar la producción de las plantas eléctricas

バトレス先生が書かれた、ケミカルプラントの操作手順合成の記事

Q:日本で就職したいのなら、日本での大学院、博士課程はお勧めですか?

就職するために、いろいろな方法があるんですね。主に目的は会社なのか、また
大学なのかですね、そういうことによって、道が違います。
だから、もし会社に就職したければ、ほとんどの場合は修士課程を出て就職した方がいいと思います。もし、研究とか教育に興味があれば、博士号まで勉強しないといけないと思います。よくその修士号が求められています。

Q:もうすぐ卒業する外国人として、日本企業に入るためにどうしたらいいでしょうか?

指導した学生の中に外国人の学生は何人もいました。その中に、日本の会社に就職した学生もいました。よく考えますと、特徴としては、また、どうやって就職できたのかということを考えますと、多分、特徴は日本語能力ですね。その日本語が流暢に話せることができて、書くときも上手にね。書類や設計の資料などを書かないといけないので、ただ話すだけじゃなくて、日本語を書くということも必要だと思っています。多分、やはり英語だけじゃなくて、日本語も一つの大事なポイントですね。

あと、残念ながら、いろんな会社がどこの大学を卒業したのかということも大事にしていますね。また、修士の研究ですね。どのような研究やったのかっていうこともよく聞かれる、面接で。学部っていうよりも、修士の研究ですね。

その大学でどのようなコンテストに参加したのかとか、どのような活躍や部活かなど。つまり、どんなことに力を入れたかという質問ですね。

Q:日本での仕事で重視されることは何ですか?

実はですね、僕と同じような外国人の先生、何人もいましたけれども、彼らにとって難しかったのはやはりルールですね。日本のいろんなルールをよく理解できなくて、それにもちろん日本語も。結局 、例えば委員会とか会議に参加しても何もできなくなる。だから、一つ大事で必要なのは日本のルールを理解することですね。5分前のルールとか、6s活動(職場環境の維持や改善を目的としているもの)とか、尊敬語とかそういうような日本語の使い方、それも必要ですね。5分前のルールというのは、会議や予約などに5分前に席に着いたほうがいいということです。

どのような時に敬語を使って、どのような時に敬語使わないとか。で、もし失敗したら、どうやって謝ったらいいかとか、そういうことを知らないといけません。

あと、その手紙の書き方とか。びっくりしたのは、手紙を書くときに、謙譲語で自分を小さな命にしている(へりくだっている)、丁寧な書き方ですね。丁寧に人と付き合うということも大事ですね。また、休みの方針も違います。日本人と同じような形で、仕事しないといけないと思います。

Q:そのように感じるに至った経験があったんでしょうか?

そうですね。東工大じゃないんですけども、研究室の教員と会議があって、先生が「ラファエル君、お前はいろいろ間違った」って。この一年で何が間違ったのかということを聞いてみたら、いろいろだったけど、大事なのは、自分で自分の間違いを無視していたこと。つまり、自己評価と適応力がよく要求されています。

あと、清水先生。清水先生は豊橋(技術科学大学)での私の上司でしたが、彼から最適化アルゴリズムについて学びました。また、「武士に二言がない」という日本文化についても学びました。これは、武士が何かをすると言ったら、または何かを約束したら、必ずそれを実行し、約束を絶対に守るということです。僕が「明日会いましょう」と言ったら、自分のスケジュールを注意深く確認した上で、明日会えると確信しています。どんなときに学生を𠮟るべきか?そして研究グループを率いる方法も教えてくれたのは清水先生でした。

バトレス先生(前列左端)、清水先生(前列左から2人目)、学生の皆さん

壁の乗り越え方

Q:日本で働いていたとき、一番で難しいことは何でした?

一番難しかったのは日本語ですね。授業と会議に出て、内容はほとんど分からない時もあったんですね。研究プロジェクトの中で、会社との共同研究のときも、そういうこともありました。例えばですね、最初に教えた、線形代数学の授業には、110人の学生がいました。その時にものすごく緊張していましたね。それだけじゃなくて、やはり専門用語もたくさんありますね。そして、日本語で教えないといけません。

Q:日本で勉強すること、そして日本で働くことを勧めますか?

それは人によりますけれども、日本で仕事するのは楽しいことがたくさんありますね。学生と話したり、学生を指導したりするのはすごく楽しかったです。あと研究するための研究費。メキシコと比べて、たくさん選択肢があります。研究計画などを書かないといけませんけれども、科研費ですね、いろいろ申請することができます。会社の研究補助金もあります。だからメキシコと比べて、そういうようなことはやりやすいと思いますね。

あと、そのメキシコのパーティーとか、日本の生活の中にはないので、まあ難しいですね。その代わりに、飲み会とかそういうようなこともある。日本の生活の中にいろんないいところがありますね。例えば、簡単に、海を見に行くことができますし、山とか森とか、それはすごく楽しいですね。それに、安全ですね。財布を盗まれるとか、そういうことは全然ないんですね、日本で。

安全性、資源とか、そういうことはすごく楽しいです。でも、もちろん、難しいところもありますね。特に最初に若い時に、叱られるとか、「お前なんでこう間違ったのか」とか、いろいろ叱られるのもあるんですね。ただ、最初はそういうことがあるとわかったら、多分大丈夫だと思います。そういう厳しい働き方、そういう厳しい日本のスタイルに慣れます。むしろ、そういう厳しい働き方、日本のスタイルに慣れなければなりません。つまり、適応力が必要ですね。

慣れたら、そのうち素晴らしいことを体験していきます。

たとえば、戸田先生とのコラボレーションはとても興味深かったです。私の学生の一人が物流問題に対する機械学習モデルを開発していましたが、ある日、材料分野で働いていた戸田先生が一緒に協力できると言いました。私は材料について何も理解していなかったし、一緒に何を作れるのかも分かりませんでした。戸田先生は、Spring-8 粒子加速器を使用して、金属部品の内部をナノメートルレベルで詳細に観察できる技術を開発しました。脳を3次元で観察するために医学で使用される断層撮影に似ています。戸田先生の学生が私にそのデータを共有して、材料の内部破壊を予測できる機械学習モデルを開発しました。何年も経ち、他のコラボレーションが成功した後、ある日、戸田先生が、私たちが一緒にやった仕事のおかげで、ある自動車会社がアルミニウム合金を開発し、その耐久性により自動車のサスペンションの製造に使用されたと言いました。自動車の軽量化とガスの節約を考えてみてください。日本でしか体験できないことたくさんあります。やってみる価値がありますね。

(インタビュー:2024年10月)

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