〈プロフィール〉
延世大学校UIC政治外交学部卒業
延世日本留学生会で代表を務め、日韓交流の活動を行う
大学卒業後、ベトナムのハノイのIT企業で人事担当
韓国に戻り、不動産関係の事業を始める
日本人向け家探し支援 「おうちコリア」を立ち上げる
2017年、韓国人向けの日本就職を支援する就活カフェ「KOREC」を立ち上げ、代表になる
新しく挑戦することが好きです
私は新しく挑戦することが好きです。挑戦すれば成長につながるという実感が得られます。高校生の時に英語の勉強をするためにアメリカに留学しました。アメリカに初めて行った時は語学的にも文化的にも大変でしたが、結局その経験は人間力の成長につながったと思います。 考え方がとても肯定的に変わって、どんな困難があっても恐れずに挑戦していこうという考え方になりました。どんな大変なことも肯定的な考え方で克服していきたいです。
日韓関係の改善が人生の目標です
アメリカで生活していた時にとても親しくなった韓国人の友達がいたんです。アメリカで苦しい生活を送っていた時、同じアジア人でもあったし、日本と韓国の文化も似ていたので、とても信頼していた友達でした。でも、その当時、日本と韓国の野球の決勝戦がありました。 逆転勝ちで日本が韓国に勝ち、その後、その友達から電話がかかってきて絶交宣言を受けたんです。ものすごいショックを受けました。今まで日韓関係は政府同士の問題だと思っていたのですが、友達を失うほど日韓関係が悪いということに気づき、日韓関係の改善に関する活動をしようと決めました。だから、韓国に来たのは、その友達の影響が大きいと言えますね。 それでもその友達のおかげで、人生の目標が決まったとも言えます。
脱毛症になるぐらい大変でも諦めない自分だけの方法
私が挫折し、諦めそうになった時、私は常に目標をリマインドし、自分の中で考え直すということをしています。アメリカ、韓国を留学する中で、挫折しそうになったことがありましたが、特に印象的だったのが韓国の厳しい環境下で身を置いた最初の一、二年です。どれほど大変かというと脱毛症になって、はげてしまったんです。それでも私は自分の目標をちゃんと認識し、私は今これをやりたくてやっているんだというところを考えると辛い時期を耐えることができました。今もモチベーションが下がったりすると、私の将来のゴールはこれで、そのために今何をしなきゃいけないのかというのを考えてみるとモチベーションがあがって、頑張っていけます。
日韓交流イベントの開催
私が一番記憶に残っているのは日韓の学生同士がお互いに交流を持つようにするために新しい企画を考えたことでした。日韓の学生約30人がチームを組んでソウル市を一緒に観光しようというイベント企画を実施しました。みんなで集まってお酒を飲んだり、カフェでの言語交換程度の交流をしたりするのとは違って、新鮮な企画でした。この企画によって私の起業アイデアの足場ができたと言えます。
ベトナムへのチャレンジ
実は私、大学時代に一年ほど休学したんです。外交官になりたいという夢を大学入学の時からもっていて、一年休学して、ずっと公務員試験を勉強していました。でも、結局公務員試験に落ちてしまいました。その試験に落ちてしまった時に、私は外交官じゃなくても日韓関係についてなにかできるのではないかと思いましたが、まだその方法がわからなかったので、当時はまず就職先を探そうとしたんです。私は就職先を探しながら、やっぱり海外でチャレンジをしたいという思いが強く、チャレンジをするなら考え方が柔らかい若いうちに行った方がいいのかなと思い、海外にすぐ行ける会社を探しました。当時アジアのどっかの国に行けたらいいなと思っていたのですが、内定をもらった会社がベトナムとフィリピンに送ってくれるということで私はベトナムに行くことになりました。
失敗と考えない
私は失敗を失敗と考えないのです。公務員試験に落ちた話は、一般の人からしたら失敗と捉えるものだと思うのですが、私の中では成長の一つの過程と捉えています。私は韓国の大学で日本語とは疎遠になっていました。大学に通いながら日本語で何か学びたいと感じ、また私自身の日本語力も上げないといけないなという考えがすごくあり、私は大学を休学して公務員試験を勉強していた1年間は日本語力も上げられ、同時に法律という専門的なことを学べ、その時学んだ法律の勉強とかが今の私の考え方につながった面もあり、全部今の私につながっているっていうのが私の考え方ですね。
やっぱり日韓関係に関わりたい
公務員試験に落ちてしまった後、私は外交官じゃなくてもできる日韓関係に関わる方法がわからないままベトナムでIT企業に就職していました。しかし、ベトナムに行ったら日韓関係とは全く関係のないことをずっとしていることに気づいたのです。日韓関係について関わっていきたいという思いが強く、人生一度だけだから自分が本当にやりたいことをやっていきたいと感じました。とりあえず自分ができることとして、日韓の交流を増やして一人一人の日韓に対するイメージや認識を変えられるんじゃないかと思いました。韓国では日本に対していいイメージを持ってない人たちがたくさんいたんです。しかし、私が大学時代に日韓の交流をたくさんしていくことにより、日本の学生と関わった韓国の学生が日本を好きになったりすることが多かったんです。だから、こういう交流を増やすことから始めて行けばいいのではないかと思いました。そこで、韓国で日韓の交流を直接作りたいと思い、そのような会社を起業するという選択肢がベストだと考えました。
「KOREC」を立ち上げる
韓国で就職することは大変なことなのです。とても優秀な子がいても就職できないこともあり、こんなに能力があるのに評価されないのはすごくもったいないと感じました。
そこで、私は韓国の学生たちの日本就職を支援する活動を始めました。このビジネスを始めた当初は、大学の教室などを借りて、無料で学生に日本就職の方法について教えていました。その経験をもとに色々な改善を繰り返していき、そのうちお金をもらって教育するようになって、就活塾というイメージができ始めました。
私の授業をもっとたくさんの人に受けてほしいという思いがあったんですけど、受講できる人数に限界があることに気付きました。そこで、私自身に話を聞かなくても、内定者同士や学生同士で会話し情報共有ができるような場所を設けることに決めました。当時日本では就活カフェというのが流行っていて、韓国でも作れればいいなと思っていました。それで、今やっている「KOREC」というカフェ形式の就職支援の会社を立ち上げることになりました。
だけど、カフェを作る際はお金も必要ですし、韓国で法人を作ったり、韓国の行政書士の方々やインテリア業者などの多くの人たちとコミュニケーションを取らないといけないというのがとても大変でした。また文化の違いだけではなく、法律も全く違って大変だったのですが、カフェを作れた時はとても達成感が大きかったです。
今はソウルのシンチョンというところに就活カフェ(KOREC)を設けていますが、店舗を増やしていきたいです。元々プサンに店舗を構えようとしていましたが、今は地方と都市部の交流にも興味があります。また、最終的にはこの事業を国からの支援金などの援助を受けながら活動をしていきたいと思っています。
交流を増やしていきたい
現在の就活ビジネスをする前に、私は日本人向けの不動産コンサルティング業を最初に始めていました。その不動産コンサルティング業では韓国に留学に来る人たちのサポートがメインだったので、留学というカテゴリーではなくて、留学し終わった後の就職っていうようなカテゴリーだけではなくいろんな方面でサポートして、交流を増やしていきたいなと考えていました。今後は就活や留学というカテゴリーだけではなく、様々な分野にカテゴリーを増やせていけたらなと思っています。観光面や若い世代の中、高校生での交流をというカテゴリーを増やして行けたらと思っています。
違う価値観の提示をしたい
今回の新型コロナウイルスの影響で、韓国でも経済的な影響が出ていて、また就職難が悪化すると考えられています。ということは、逆に韓国国内ではなく日本などの違う国への就職に興味を持つ人も少し増えるのではないかと、そのようなものの見方を私が提示していきたいと思っています。不安を感じている人も多いですが、日本で就職すると心に決めた人たちは今も一生懸命日本就職の準備をしています。
尊敬される人であり続けたい
これからやってみたいことはたくさんあります。私は今後一生日韓を軸に活動していくつもりですが、中国でもビジネスを展開してみたいと考えていて、そのために中国語の勉強をしています。また、私は最終的には政治を動かせるような人間になりたいと考えているので、政治家関連の人たちの団体に所属してみたいです。
いろいろな事業を行う中で、影響力があるとその分失うものも増えると思っています。私がやっている事業に対しての批判を受けることもあります。でもその中で、尊敬されるような人であり続けたいです。長期的なビジョンを持っている人や大切な人への愛を忘れない人は私も尊敬しているので、自分もそういう人でいたいと思っています。
(インタビュー:2020年6月)