〈プロフィール〉
1975年東京生まれ。建築家。2002年、永山祐子建築設計を設立。代表作に、「LOUIS VUITTON京都大丸店」や、「ドバイ国際博覧会 日本館」、「東急歌舞伎町タワー」などがある。国内外問わず、数々の大型プロジェクトを手掛ける。
建築における内と外の境界
Q:はじめに、建築における内と外の境界についてお聞かせください。
基本的には、建物の機能として雨風が入らない内側と外側というのが、内と外の考え方です。建築は、やっぱりそこが大前提としてあるので、どうしても止水ラインというのが、内と外を分ける境界ラインとしてあります。ただ、日本建築の場合は、その境界に幅があります。例えば縁側であったり、外側に雨戸があって内側に障子があったり。ガラスが入っていない時代から、内と外を分けるスペースとしてそれらが機能してました。一方、ヨーロッパであれば石造レンガ作りの建築が多くて、そこで内外がきっちりと区切られているので、文化圏によって内と外の境界のあり方は少し違います。
Q:永山さんの建築は、自然の要素が中に使われていたり、窓がすごく大きな建物だったりするものが多くて、あまり内と外の境界を感じさせないような建築をされているのかなと思いました。
やはり従来は内と外を分けるというプロテクトの意味があったと思うんですけど、技術力が上がって、ガラスも作れるようになって、現代では雨と風から守るという機能は満たしながらも、色々な作り方が可能になりました。私自身は、内外の境界は柔らかくしたいなと思っています。お庭があればそれを見たくなるだろうし、もっと中に自然を取り込みたくなる、必然の欲求です。雨風は防ぐ前提ではありながら風は取り入れたいなとか。自然換気と室内環境に関しても、なるべく外の自然の風を取り入れながら、機械空調に頼らないで過ごせるような考え方を心がけています。
Q:日本の建物は靴を脱いで入る一方、外国の建物は中まで靴を履くじゃないですか。日本の建物は外国の建物よりかなり内と外を分けているように感じますが、建築物的にはどうなのでしょうか。
先ほども少しお話ししたように、西洋の建物は基本的に石造りから始まっているので、内外の境界がはっきり分かれているんですけど、日本の建築っていうのは、柱を立てて、そこに面を埋めていく。柱梁の構造がしっかりできている上に漆喰で壁を作ったり、場所によっては襖や光を透過する障子をつけたりするので、そういう意味では、外との境界は柔らかい、ファブリック的な分け方かなと思います。靴を脱ぐ脱がないという儀式的なことで言えば、気持ちの切り替えはあるかもしれないけど、空間としては、西洋よりも少し柔らかい、段階的な繋がりなのかなと。縁側のような中間領域があるのが西洋との違いかなと思います。
違和感から作る~玉川高島屋SC本館グランパディオ
Q:具体的な建物の話を聞かせていただきたいです。永山さんが過去に設計された、「玉川高島屋SC本館グランパディオ」の設計で、屋内に多くの緑があり、それによって内と外の境界の在り方が変化した気がするのですが、取り入れる際に工夫した点などはありますか。
グランパディオはものを売る場所でも動線の場所でもなく、施設全体のための、人が休む場所になっています。その場所を、人が集まって気持ちよく過ごせる場所にしたい。また、元々二子玉川というのは、東京の避暑地とされていたような場所なので、そういうストーリーもある中で、元々外光が入らない場所なんですけど、人工的に心地よい光空間を作り、そこに緑を入れることで、少し公園的な雰囲気の落ち着いて過ごせる気持ち良い空間を目指しました。
Q:同じ玉川高島屋の設計で、「光の偶像」というのがすごく神秘的で印象残っているのですが、あのような形に至った経緯を教えてください。
最初にあの場所へ行った時に、天高が2層分あって、下にソファーが置いてあってお客様が休める場所だったのですが、なんとなく拠り所がないような感じでした。空間の大きさは活かしつつ、座るスペースはヒューマンスケールで、包まれた感じにできないかと考えました。それで、光によってその囲われ感を作るために、光の粒によってそれを表現しようと思ったんです。ネックレスのように2本のコードで照明を吊っていきました。ある角度から見ると光の粒がアーチを描くように吊られていますが、別の角度から見ると様々な高さに吊られた光の粒が広がるように見えてきます。アーチの配列は柱のスパンに合わせてあって、柱のラインで低くなり柱と柱のちょうど中間で一番高くなっていて、スパンごとに囲われ感を作り出しています。ヒューマンスケールに少し変えてあげることで、居心地の良さを作りたいと思いました。
突然体育館のなかにソファーが置かれて「はい、いいよ、くつろいでー」って言われても、あんまりくつろげないけど、たとえば公園の木の下のベンチでくつろぐんだったら、なんとなく木に包まれた感じでくつろげる。人って、拠り所というか、なんとんなく自分のスケールに近いものの横に寄り添いたくなるような気持ちがあると思うんです。今回はオリジナルの照明器具をデザインし灯体もコードも含めて全体的に空間の中でデザインしていくことで光に照らされた細い線と光の粒の集合体によって光の群像を作りました。雲のような存在でグランパティオの空間全体を優しく覆っています。デザインの始まりは空間に行ったときに落ち着かないなと思ったことがきっかけで、より落ち着いてくつろげる空間を考えました。
Q:実物を見させていただいたんですけど、すごく落ちつきのある、居心地の良い場所でした。
柱がたくさんあるんですよね。だから、柱をきっかけに拠り所を作っているんですけど、何もない場所に寄り添える場所というか、止まり木みたいなものがあると人はそこに止まろうかなという気持ちになる。そういう、空間の中に人の行動を促すきっかけみたいなものを散りばめていくというのが、特にインテリアデザインの時は、すごく大事なことかなと思います。
Q:自分が実際そこに行ってみて、居心地が悪かったからそういう空間にしたとおっしゃいましたが、他の設計される時も自分の居心地などは考えたりしますか。
しますね。この場所に作ってくださいという敷地があったとして、その場所に行って、まずはその場所の特性、たとえばすごく日陰が多くて、なんとなく暗いなと思ったら、じゃあどうやって光を入れたら良いんだろうとか、多分これは光を入れることを最初に考えた方がいいなとか。以前、下がケーキ屋さんで上が住居になっている店舗兼住宅建築の設計したんですが、元の建物を訪れた時に、ケーキ屋さんにいたら子どもたちの足音がしたり、逆に住宅ではお客さんに見えないように窓のカーテンを閉めていたり、パブリックとプライベートのバランスが良くないなと感じたんです。そこで、店舗と住宅の間に空気的な層を作って、音がしないようにして、そこから光も入るような住宅を作りました。実は些細な違和感から、作ることが、多いのかもしれないです。
ストーリーから作る~歌舞伎町タワー
Q:もう一つ永山さんの設計で、「歌舞伎町タワー」が印象に残っています。
そうですね。一番大事なポイントは、あの歌舞伎町タワーは、かなり特殊な超高層ビルであるということ。あの敷地は元々超高層が建てられないような場所だったんですけど、国家戦略特区を取ることによって建てられることになりました。国の戦略として、歌舞伎町にエンターテイメントに特化した超高層が立つことで歌舞伎町が変わる起爆剤となり、これから国として力を入れたい観光拠点として幅広い人に来てもらう場所になるという狙いがあります。歌舞伎町は元々海外の人にとっても有名な場所なのでインバウンドの方々に多く訪れてもらう場所となることが求められました。日本は風営法の影響で夜遊ぶ場所が減ってしまった。今たとえばすごいビッグアーティストがアジアのどこかでライブするってなったら、日本じゃなくてタイとか、全然違う場所が選ばれています。日本はもう一回そこを取り戻すべく、歌舞伎町の中に観光起爆剤となるものを作るのが国家戦略です。
オフィスが入らず、エンターテイメントに関わるライブハウス、商業、映画館、劇場ホテルで構成されている超高層ビルは日本初です。元々超高層というのは、オフィス家賃で成り立っているんです。だからそもそも仕組みが違う。あれだけの建物を建てて維持し続けるというのはなかなか大変なことです。家賃収入はある意味最初に貸し出してしまえば安定収入が入るのでディベロッパーにとっては安心なシステムなんです。だけど、もうそれをやらない。その約束で、超高層を建てたわけですよね。だから、頑張ってエンターテインしなければならない。
そうなった時に、今までの超高層のデザインとは変わっていないといけない。だって全然性格が違うから。今までの超高層っていうのは、オフィスなど権力っていうのかな、企業のパワーを示すような、ちょっとマッチョな、カチッとしたデザインが多かったけど、今回はそうではない。そもそもの成り立ち方からすごく変わっているので、私は、逆に全く違う、揺らぐような、儚い感じにしたいと考えました。エンターテインメントっていうのは結局儚い世界じゃないですか、一夜限りのエンターテイメントもあるし。そういう儚さと、元々あそこが沼地であったというストーリーから、水が下から噴き出してくるイメージとしました。
一番大事なコンテクストはあそこが戦後復興の場所だったことです。鈴木喜兵衛さんという物凄く熱い方がいました。彼が、戦後の本当に辛い時期に娯楽でみんなを奮起させるようにと一生懸命作り上げていった場所が歌舞伎町だったんです。みんなでもう一回頑張って復興していこうという人の気持ちとか勢いみたいなのが、下から噴き上がって、その勢いで保ち続ける噴水、みたいなものを想像しました。じゃあそのストーリーを噴水として表現するならどういうふうに表現しようか考えて設計しました。ガラスの角度を変えていくことで光の反射をコントロールしたり、ガラス表面に施した特殊なパターン印刷で水飛沫を表現したりしました。
Q:永山さんは先ほど、歌舞伎町のところが沼地だとおっしゃいましたが、やはり建築の前にはその地域の歴史を調べるのですか。また、永山さんの話を聞いていると、建築家さんが作家さんと少し似ていると感じたのですが、あるデザインをする前にストーリーや物語を作ることは考えますか。
そうですね。土地の歴史や特徴をリサーチし、そこにあるべき姿を考えていきます。建築ってすごく細かい要素で作られていて決定のプロセスが多いので、最初にコンセプトやストーリーなど目指すべき方向を決めて、それに沿って全てのものを考え、決定して行きます。歌舞伎町タワーは水という最初に共有したコンセプトに合わせて内装も一貫して水の表現を突き詰めています。噴水の水飛沫の表現、漣の表現、滴る水など、様々な表情の水を場所に合わせて素材と光で表現しています。
Q:自分が作ったストーリーが、現実的に困難だった場合はありましたか。
私がデザインしていくことは、たとえばコンセプトが水といっても、水をそのまま使うわけではないので、それをどんな形で表現するかっていうところで、もちろん技術的に難しい方法もあったりするんですが、実現可能な方法を模索しながら進めます。たくさんの人が関わるプロジェクトはコンセプトやストーリーを決める時に、分かりやすく皆がイメージしやすい普遍的で大きなテーマにすることが多いです。今回は水という根源的で変化のあるコンセプトだからこそ様々な表現方法があります。少し迷走しても割とそのあとちゃんと最初のテーマに戻ることができます。
Q:テーマを設定されるときは、自分が作り出すためのスタート地点を作るためのものなのか、それとも設計した後に訪れた人にそのテーマ性を感じて欲しいからなのか、だったらどちらでしょうか。
両方あります。自分が最初に創作を始めるエンジンとしてある程度言葉から設計をし始めることもありますが途中で、もうちょっといい言葉とその先に表現が出てきそうだったら、そっちに乗り換えてもいいと思っています。最終的にできたものが全てなので、それを最終的には最初の言葉とは別の言い方で言ってもいいし。たとえば建築の場合は、アート作品と違って、できたものを売れないんですよね。だから最初にたとえばパース*や、模型などを見せながら、言葉で説明して、案を選んでもらいます。そこからたくさんの会話を重ねて、形はどんどん変わっていくんですけど、最終的にはできたものをちゃんと見て、正しい説明の仕方に変えていくっていう感じです。一つのプロジェクトが6、7年かかるものもあります。たとえば歌舞伎町タワーだったら6年前の言葉の使い方と、今のこの時代に合った言葉っていうのは、変わっているかもしれない。COVID-19という大きな出来事もあって、コロナ前から設計が始まっていて、最終的にオープンしたのはコロナ後っていう、本当に象徴的に時代の節目に立たされたビルなので、やっぱり自ずと言い方とかも変わってくるのかなと思います。コロナの最中に軌道修正もいっぱいしましたし、そういう時代時代に合わせて、あるべき姿っていうのを軌道修正しながら、最後のゴールまでいくっていう感じです。
*建物や外観がどのようになっているか分かりやすいように、立体的な絵にしたもの
Q:時間軸的な境界も建物を見ればわかることがあるってことですか。
それはあると思いますね。やっぱり時代時代によって考え方、認識は変化します。例えば建築であれば元々内外空間をを緩やかにつなぐことは考えていました。コロナの時代になってよりそこの曖昧さが一般の人にも許容されるようになりました。当初は換気目的ではありましたが、外部空間の良さを再認識できたのではないでしょうか。時代が豊かな外部空間を求めるようになったと思います。
境界を曖昧にする仕事
Q:今まで聞いた話で私が解釈したのは、私たちは「境界を作る人」として建築家の方を選ばせていただいたんですけど、近代の日本の建築は、外の様相を取り入れる建物が多くなってきているということで、境界を作るっていうよりは、境界を作らなければならない仕事だけど、曖昧にする仕事の方が合っているのかなと。
そうですね、その通りだと思います。そもそもの機能としては内側を外からプロテクトしてくれるっていう役割がありますが、今は技術の発展によって、例えばガラスでも断熱しながら中と外をちゃんと分けてくれるなど性能が上がっているので、中の温度を快適に保ちながら、大開口で外がちゃんと見えている内外をシームレスにつなぐことができるようになりました。建築が隔て、プロテクトするものから、色々な意味で繋ぐ役割になっています。
(インタビュー:2023年7月)