子育ては「カタツムリと一緒に散歩」

大阪大谷大学

子育ては「カタツムリと一緒に散歩」

PEOPLEこの人に取材しました!

エンカさん

主婦

中国では高校の教師を務め、2013年にご主人の転勤により日本に移住し、現在、日本で3人の子育てをしながら、アルバイトで保育園に勤務されているエンカさん。母国を離れての生活や、日本と中国の暮らしの違い。そして、外国(日本)での子育てについて、お話を聞きました。

中国と日本の暮らし

Q:日本に来たきっかけは何ですか。

2013年に、主人が北京支社から本社に転勤になったことがきっかけで、私と主人と1番上の子供の3人で日本に来ました。

Q:中国と日本の暮らしの違いは何ですか。

2013年末に2人目の子供が生まれました。あの時の私は日本語もあまりできなくて、市役所からの翻訳者さんが来てくれました。いろんな検査を受けたり、政策の説明をしてくれたり、いろいろ手伝ってくれました。それは本当にありがたかったです。もし、生活が不便であれば、政府からいろいろ手伝ってもらう手段があります。それは大きな違いです。

Q:日本と中国の違いで1番驚いたことは何ですか。

驚いたことは、私は前の仕事は高校の先生でした。なので日本に来たら子供は毎日遊ぶばかりで、宿題も少ないので、これはびっくりしました。中国の幼稚園の子は毎日勉強しているので、小学校に入ったら読書ができます。でも日本は、うちの子も幼稚園で何も勉強しないです。遊ぶばかり。今は小学生になったので、中国とほとんど同じです。でも、日本の授業時間の方が短いです。例えば8時半からいちばん遅い時間で3時40分。高学年になったらこのくらいの時間です。でも中国では午前7時から午後6時までです。途中で2時間休み時間があって、必ず昼寝させてくださいと先生から親に指示があります。あと宿題は、中国の小学生はだいたい1時間くらいかかる宿題をやらないといけないです。でも日本では10分くらいで終わります。中国では日本の学校よりも宿題の量が多いです。例えば、中国の漢字を勉強するときは1つの漢字を20回繰り返し書く必要があります。でも日本では、1列、漢字を使った文と残った枠で3文字4文字ぐらい漢字を書きます。

それと習い事は、中国の小学生は、平日は授業の時間が長いので習い事は少ないです。でも日本では毎日習い事の時間があります。だからピアノとか、英語とか、水泳とか、サッカーとかいろいろな習い事ができます。これは1番いいことだと思います。中国の小学生はほとんど土曜と日曜に連続で習い事をします。例えば土曜日はピアノ、英語、あとは水泳。日曜日はバレエ、他の何か習い事をします。本当に大変です。

他は、今気になるのはスマホのゲームなどですね。スマホ、iPadの遊び時間は、中国でも問題です。中国でも日本でも子供の自己管理が足りないでしょう?なのでスマホを触りたいという気持ちが強いです。いつも遊びたい。これは中国も日本も同じ問題があります。だから、親としてはスマホを触る時間を減らしたいので、習い事に行かせます。そうすればスマホを触る時間がないので触らない。という考え方が多いです。たぶん日本でも同じかな。たぶんこれは世界中一緒です。親の考えはみんな同じだと思います。

子供を育てていくこと

Q:子供が生まれたときは子供を育てていくことに不安はありましたか。

日本に来た時はすでに1人子供がいました。その時はもう3歳でした。なので経験者です。2人目の子供が生まれたときは日本語がわからないですけど、病院に行くときは英語で通じます。あと、主人は子供が好きでいつも手伝ってくれます。病院では先生も優しいですし、日本語ができなくても英語で通じるので、あまり不便は感じませんでした。でも、ある出来事をよく覚えています。私は日本語ができませんでした。夜は点滴をしています。ナースさんが来てチェックをしていたのですが、あの時は点滴の液体がほとんどありませんでした。なぜ点滴を替えないのか私はわかりませんでした。ナースさんに聞いても、「大丈夫大丈夫」と言われて。大丈夫ばかりで、私はすごく心配になりました。あの時は「It’s dangerous! Please change!」ってずっと言ってました。あの時はもう麻酔が効いていて動けないです。あぁ私今日は死んでしまうかなって思いました。やはりコミュニケーションが取れないと相手を信じることが難しいです。でも結局、約10分後にナースさんが点滴を替えてくれました。安心しました。夜は英語が通じるナースさんやお医者さんがいません。大丈夫大丈夫ってずっと言われたこと。これはよく覚えています。なので不便は少しあるんですけど、市役所や、保健所や、あとは自分の家族。みんな支えてくれて、義母も中国から日本に来て。よく私の世話をしてくれました。なので2人目の子供が生まれたときは苦しいことはあまり無かったです。

Q:子育ての大変さを感じたところは何ですか。

日本は、自分の母親が妊婦さんの世話をすることが多いかもしれないですが、中国では両方のお母さんが世話をすることが多いです。なので、私は子供を産んだ時、2ヶ月くらい義母と自分の母親がここに来て世話をしてくれました。なので、あまり苦しくありませんでした。あとは私の主人もよく手伝ってくれます。でも、大変なときもあります。例えば、子供の教育です。今、小学校2年生と中学校3年生で、男の子は本当に勉強のやる気がないなと思います。今より前はもうちょっと楽でした。前は私の話をよく聞いて、「じゃあこれやって」って言うと「うんうん」ってやりました。今は、「やって」って言っても「ううん」って。1番可愛い時期はたぶん0歳から3歳までです。それからは反抗期が始まります。2歳、5歳、8歳、10何歳くらいまで反抗期はずっと続きます。これは1番苦しい時期だと思います。うちの子は3歳くらいで1回、「嫌!嫌!」とよく言うようになりました。そのあとは今7歳の子が、なにか「やって」って言ってもやってくれなくて。あとは自分の感情がコントロールできなくて、よく怒る。やっぱり男の子は女の子と違います。私は小さい頃はそんな感じじゃなかったですが、男の子は本当に元気で、反抗の力が強いです。

Q:子育てで嬉しいことや、楽しいと思うことはありますか。

嬉しいことは、やはり毎日成長の様子が見えることです。こういう楽しさが何より1番楽しいことだと思います。

Q:辛かったときに心の支えになったものはありましたか。

先ほどに言ったように、子供を産んだときは家族が支えてくれました。でも、コロナのせいで5年程は親戚も来れなくて、私も戻ることができなくて、これが1番つらい時期でした。この時は、半年くらい何もやる気になれませんでした。毎日、あぁ明日はどうなるかなって心配でした。たぶんうつ病だったと思います。でも私は自分の病気を分かっていたので、例えば、運動とか、面白い映画を観るとか、楽しい音楽を聴くとか、いろんな体験をしました。大体10何本映画をネットで見ました。毎日毎日続けて。そのあとは家族と電話して、向こうも心配してました。どうなるかなって。日本では閉鎖政策がないのでみんな自由に出入りができましたが、中国は閉鎖政策が強く、中国の家族は不自由だと感じていました。だから苦しいときは、傍にはいないんですけど、電話かビデオで通話することもできるし、こちらが話しかけることで支える力があったと思います。会えないですけど、ストレスがたまっているなら、みんなと話すことで解消できると思います。

Q:子育てに対してどんなこだわりや想いがありますか。

私は子供が本当に好きです。なので自分の子供も、親戚の子供もみんな好きです。今もアルバイトで保育園に勤めています。子供の笑顔で癒されます。なので、子供のすることを何か見るだけでも嬉しいと感じます。

カタツムリと一緒に散歩

Q:これから子育てを経験する人や、今子育ての悩みを抱えている人にアドバイスをお願いします。

アドバイスはできないんですけど、自分の想いは、もし、本当に子供を育てたい場合は、「かたつむりと一緒に散歩」をイメージしてください。かたつむりは歩くのは遅いし、足跡もねばねばしています。人間としてこれは、遅いなぁ、汚いなぁと思いますよね。でも自分の子供も、汚い。例えば、おむつ交換とか、食べる時あちこちにつけるとか。あとは、何もわからないままで、少しずつ分かるようになるのも遅いと思います。なので、かたつむりと一緒に散歩するとどうする?待たないといけないです。かたつむりは弱いし、汚いし、遅い。でも人間として一緒に散歩したいので、待たないといけない。戦うと、殻が割れてしまう。引っ張ると傷つけてしまう。遅いので、私はよく「速く速く」って言ってしまいます。口癖で速くって言うんですけど、これはよくないって自分で分かります。子供は少しずつ成長します。そう深く感じます。

子供は日本の公立小学校で勉強しています。日本語は自分で学校で勉強しているんですけど、中国語は母国語ですが練習する機会が外にはないので、やはり家で練習しないといけない。なので私はいつも言い訳して「ママは日本語はよくできないですよ?中国語で言ってください」って言います。もし子供が日本語で言ったら、「なに?わからないです。中国語でもう1回言ってください」って。ちょっと私はずるいかなって思います。でも子供にもっと中国語で話させたいんです。今は子供は日常の中国語の会話は問題なくできます。私は言語は1番重要だと思うので、私ができる中国語と日本語と英語を少しずつ教えています。子供は一人一人、本当に性格が全然違います。主人と私と長男で日本に来て何も日本語が分かりませんでしたが、長男はコツコツタイプで、幼稚園を卒園したら日本語がペラペラになっていました。あの子は自分の勉強方法があるので。例えば友達が何か言ったら自分が真似して言う習慣があります。でも真ん中の子は、私が教えたことは覚えるんですけど、外で友達が言ったことはそんなに覚えないんです。なので最初は幼稚園で友達が言った言葉が分からなかったくらいです。今1番下の子はほんとに全部勉強のやる気がないです。3人とも全然違います。なので教える時は同じ目標を設定したら親がつらいです。ですから子供の特徴や性格を見て教えた方がたぶん楽だと思います。

でも目標はあります。外国人なので言語力は1番重要だと思います。日本で育っても、親が日本人じゃないので日本語の理解の深さが足りません。本当に日本人の親として教育してあげる方法とは違います。なので、英語も中国語も他の言語も、言語力は1番重要だと思います。とりあえず、言語力は意識して育てます。これは私の目標です。あとは、例えば子供がもしピアノが好きなら、お金を出して外で勉強させます。将来どうなるか分からなくても、私のできることはします。英語は外で英語教室に送迎して勉強させます。中国語は私が毎日、本を読み上げます。日本語は学校で勉強して、家に帰ったら宿題をやってください、音読ちゃんとしてくださいって言うくらいです。目標は一緒ですが本当に子供によって、この目標を達成するまでの時間が分からないです。なので、焦らず、子育てはカタツムリと一緒に散歩のイメージです。

(インタビュー:2024年8月)

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