1991年に初めて日本に来ました。今は、日本に28年。お父さんは日系2世、お母さんはペルー人で、働くために日本に来ました。お父さんはその後、帰化しました。
家族は奥さんと2人の子どもで、奥さんは日本に来て27年、子どもは日本で生まれました。
お店について
このお店は20年前にお父さんが始めて、3年前に私が奥さんと一緒にやるようになりました。
お父さんはペルーにいるときに、コンビニみたいな商売をしていたから、日本に来るときに、商売いろいろやりたいと思って、お母さんと2人で始めました。うちの奥さんと私がたまに手伝っていました。お父さんが年をとってきついから、大変かなって思ったので、お父さんから私たちに代わりました。
お父さんのニックネームから「El Chayne(エル・チャイネ)」の名前をつけました。
昔のアメリカ映画に出ていたChaynにお父さんはよく似ていたから、ニックネームがChayneでした。あと、短い名前だからいいと思って。
お店にはやっぱりペルーの人が多いけど、ボリビア人とブラジル人とメキシコ人もたまに来ますね。日本人もたまに来ます。
お店で一番人気は「pollo a la brasa(ポジョ・ア・ラ・ブラサ)」、ペルーの言葉でローストチキン。ペルーの中で一番人気は「pollo a la brasa」と「ceviche(セビーチェ)」、よく食べられる。ペルーの味とはちょっと違うけど、今まで食べた人の90%はおいしいと思っていると思う。私もpollo a la brasaが一番好き。
材料は日本で仕入れるけれど、できるだけペルーにあるもの、ペルーの味を再現するように努力しています。ペルー人の人がここで畑をやっていて、その人が私たちのために輸入しづらい野菜とか、ペルーでしかないハーブの種類とかをおろしてくれる。
ペルー料理は魚料理も多いから、フライド魚「jalea(ハレア)」とか魚料理もこれから増やしたいと思っています。
日系と社会について
派遣会社では日本語がわからないペルー人やブラジル人の通訳をしたり、いろいろな手続きの相談を受けたりしています。愛知県に仕事はけっこうあります、トヨタ自動車の関係で。だからうちの派遣会社には、ブラジル人とペルー人がけっこう多い。
私は日本にけっこう長くいるから、言葉だけじゃなくて、日本のことや、日本人の性格とか、それから子どももいるから、いろいろ知っています。外国人の方、例えば5年前に日本に来た人とかは、まだいろいろわからないから、たまにレストランに来たときに、できるだけ相談にのっています。日系人がぶつかる障害っていうのは、やはり言語ですね。でもそれは、そんなに難しいことではないと思います。
日本の社会がこのお店に対していい印象をもっともつようにしたいんです。そうすれば日系人の社会っていうのが日本でより成長すると思います。
これからの夢
やっぱりペルーの料理はすごくいいから、日本人にもっと食べてほしい。それは私の夢です。いい接客をしてお客さんに、「あ~、あそこに行った時、とても居心地がよかったな」って思い出してもらえるように。すべての人たちにお店を訪れて居心地がいいって思ってほしい。それが一番の夢です。
それと、ペルー人は経済活動をするのが得意で、日本人がそれをわかれば、ペルー人に対するイメージも変わります。例えば、ブラジル人だったら、サッカーってイメージがあるじゃないですか。そんなような感じで、ペルー人っていい、彼らのご飯はおいしい、料理はおいしい、そういうふうに日本にいるペルー人のイメージに貢献したいんです。
私は日本で暮らすことを覚えて、そのおかげで新しく事業を始めるという挑戦ができたんですけど、でもそれは一人でできたことではなくて、90%ぐらいがもしかしたら妻の協力だったのではないかなと。
ペルー人にだけではなく、今がんばっている若者には、挑戦をしてほしい。簡単にはできないことだと思っても挑戦してほしい。成功しても、たとえ失敗しても何かいい教えは得られる。自分の夢を信じてあげること。それが大事だと思います。
(インタビュー:2019年12月)