ニュージーランドと日本の架け橋

カンタベリー大学

ニュージーランドと日本の架け橋

PEOPLEこの人に取材しました!

伊津野千登勢さん

日本語教師

日本語の授業のインタビュープロジェクトのために、4月18日に伊津野千登勢さんにインタビューをお願いしました。プロジェクトのテーマは「移住」で、フォーカスは「転機」です。伊津野さんは知り合いがいないにもかかわらず、おひとりでニュージーランドに来ました。とても勇敢な人だと思います。最初はコミュニケーションも大変だったそうですが、以前にも海外でお仕事をした経験があったこともあり、ニュージーランドでの日本語教師としてのお仕事は順調に進んでいます。

Q:以前はどちらに住んでいましたか。話せる言葉は何ですか。

日本の大阪で生まれました。日本の学校で英語を少し勉強しました。父は商社で貿易関係の仕事をしていたのでいろいろな国に行きました。父の仕事のために10歳から14歳の間はドイツで生活していました。ドイツがどこにあるのかさえ分からない状況で、小学校と中学校に通いました。最初は英語とドイツ語も話せなかったのでコミュニケーションは難しかったですが、一生懸命ドイツ語を勉強して、だんだんコミュニケーションが出来るようになりました。今はドイツ語が話せます。

Q:日本語の先生になったきっかけは何でしょうか。

日本の大学の社会学部で国際関係を勉強し、卒業後は日本で教師をしていました。ニュージーランドに来る前の夢は国際的な仕事をすることでした。そして1998年に初めてワーキングホリデーでニュージューランドに来ました。一年間パーマストンノースの近くのダンネファケという町でホームステイをして、ダンネファケ高校で日本語クラスのアシスタントをしていました。ニュージーランドにもっと住みたくなり、マッセイ大学で勉強して正式な教員になりました。現在も高校で日本語とドイツ語とESOLを教えています。日本語を教えることが一番楽しいです。

お世話になった最初のホストファミリー。現在も親交がある。

Q:ニュージーランドではどんなお仕事をしていますか。

ニュージーランドに来る前は、日本と海外の架け橋になるお仕事をすることが夢でした。文化の架け橋と言うのは、日本文化を広めると同時に、ニュージーランドの文化も学ぶことです。今はニュージーランドの高校で日本語先生を担当しています。放課後の日本語クラブにも参加して、そこで剣道や茶道を生徒に教えています。引き換えに、生徒にもニュージーランドの事を紹介してもらいます。将来は今までの経験を生かして人のためになることをするのが理想です。

Q:ニュージーランドに来る前にニュージーランドをどう見ていましたか。

ニュージーランドに来る前は、この国のことを全然知らなかったです。日本とニュージーランドは全く違う国だと思います。学生時代は家族でドイツに住んだ経験がありましたが、ニュージーランドには一人で来たので少し不安でした。でも今ではニュージーランドは自然が多くて、一人で住んでもとっても安全な国だと思っています。

北島のテマタピーク。最初のホストファミリーの家の近く。

Q:世界にはたくさんの国がありますが、なぜニュージーランドにしたのですか。

英語が勉強したかったので、英語が話せる国に行きたいと思っていました。アメリカやカナダのような大きな国と違って、小さい国は旅行しやすいと思いました。オーストラリアには以前行ったことがあったのでニュージーランドに決めました。最初は一年間だけ住む予定でした。小さい国なので一年間でいろいろなところに行けて、人を知ることができると思っていましたが、一年間だけでは足りませんでした。そして、今年もまだニュージーランドにいます。もう22年めになりました

Q:ニュージーランドに来て最初にどこに住んでいましたか。

はじめはダンネファケという町でホームステイをして、仕事をもらえてからはアパートに住んでいました。その後はずっとウエリントンに住んでいました。2016年はその学校から約一年のお休みをもらったので、クライストチャーチの近くのランギオラの高校で教えていました。今年ハミルトンの女子高校で教え始めたので、今はハミルトンに住んでいます。これまでは共学の高校でしか教えたことがなかったので、女子高校で教えるのは新しい経験です。

Q:ニュージーランドに来て驚いたことはありましたか。

日本では朝のモーニングブレイクがありませんでした。オーストラリアとニュージーランドでは朝ごはんの後に、お茶を飲んでクッキーを食べる休み時間があったのでびっくりしました。
それから最初に住んでいたダンネファケは小さな町ですから、夜になると真っ暗で夜道を歩くと何も見えなかったです。空港に降りた時も単なる野原だと思いました。
ほかにも色々な文化が違います。たとえば、部屋の中で靴を脱がないことやお皿の洗い方などです。お葬式も違っていて、日本では黒い服を着て悲しい雰囲気ですが、ニュージーランドのお葬式ではいろいろな色の服を着て、みんな冗談を言ったりして楽しそうな雰囲気さえあります。

Q:日本とニュージーランドの学校にはどんな違いがありますか。

ニュージーランドの学校にはあまり日本人留学生がいません。日本の学校ではハウスシステムがありません。ハウスシステムでは生徒がチームに分かれて競争をします。
また日本では生徒が教室を移動せず、先生が教室を移動して授業を行います。ニュージーランドでは生徒がその先生の教室に行きます。先生と生徒の距離も日本より近いと思います。日本の生徒は試験のために勉強しますが、ニュージーランドの生徒は興味があれば勉強するのだと思います。

学校の言語の先生たちと。

(インタビュー:2020年5月)

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