「Serendipity」は偶然でラッキーな出会い:美容師の「ラッキー」な移住

カンタベリー大学

「Serendipity」は偶然でラッキーな出会い:美容師の「ラッキー」な移住

PEOPLEこの人に取材しました!

長谷川竜士さん

美容師、起業家

新しいチャレンジと経験に憧れた長谷川さんは2018年にワーホリビザでニュージーランドに来ました。今年「SERENDIPITY+」という自分のヘッドスパのビジネスを始めて、美容師の情熱やニュージーランドへの移住プロセスについて色々なことを伺いました。

移住前

Q:なぜ美容師になりたいと思ったのですか。日本ではどういうプロセスですか。

8歳になった時から、自分のスキルや技術を持っているのがすごくかっこよく思うようになっていました。僕の時代はドラマの影響で、美容師になることもかなり流行っていました。だから、小学校の頃色々な美容師に関する情報を見たりする機会が多くて、初めは弟の髪の毛をめちゃくちゃにするところから始まりました。

それで、日本資格取得のためのプロセスに沿って地元の仙台の専門学校で2年間勉強して、国家試験を受けて、国家資格取得後、美容師になりました。

Q:卒業してから、仙台に残りましたか。

卒業してすぐ東京に引っ越しました。地元は東北の方で、地方の都市みたいな所だったのですが、東京は最先端で、スキルだったり、ファッションなどが磨ける場所ですから、憧れの土地でした。それで、20歳になる年に1人で、有名になりたくて頑張りたいと思って、新しいチャンスをつかむために上京しました。

Q:東京で働きたい所で働けましたか。

最初は第1志望や第2志望の美容室に申請してみました。でも、当時はいわゆる有名店みたいな所に行きたくて、わりと行きたかった第3志望ぐらいの所に行けたと感じました。でも、なかなか激しくて、200人が試験を受けたのに、20人ぐらいしか受からなかったみたいです。

東京に引っ越してから、最初の4年ぐらいを最初の所で過ごして、そこから美容師が流行っていた時代でしたから、その辺からフリーランスになるチャンスがありました。

Q:憧れた東京の美容師になったのに、なぜニュージーランドに移住することになりましたか。

実は理由が3つぐらいあって、1つ目は子供たちとの時間を作りたくて、生活を変えたいという感じでした。奥さんに出会ったのが東京で、長男が生まれてから1年間ぐらい東京で過ごしたんです。でも、その時は本当にハードワークで、夜11時、12時ぐらいまで働いていましたから、家族の時間が少なかったです。

そして、それなりに立場も役職も変わってきて、やはりただの美容室の美容師で終わりたくないという思いが強かったです。12年のキャリアを見直して、これ以上東京にいても、新しい次のステージが見えなかったです。人生はチャレンジの連続にしたいから、この見直しは仕事がマンネリ化になって、あきてきていたことを感じました。

同時に、英語がちゃんと喋れるような美容師になる憧れが非常に強かったです。自分で英語を勉強したことが少しあって、英検準2級まで取ったんですが、やはり海外に引っ越して、英語をちゃんと学びたかったです。

Q:ニュージーランドに来た理由を教えてください。どうやって奥さんを説得できましたか。

とりあえず英語圏に行きたくて、アジアを出たいという思いが強かったのです。当時30歳でしたから、ギリギリワーキングホリデーが使えると思って、海外で家族や子育てをしたいという思いも強くなってきたから、行ける所を検索した時最も早く永住権を取れる可能性のあるニュージーランドに決めました。

それに、奥さんも海外志向が強かったから、海外で子育てをしたい希望を伝えたら、すぐ賛成してくれたので、説得しなくて済みました。でも、その時長男が1歳で、2人目の妊娠がわかったから、その間親御さんに実家で見てもらいました。非常に理解ある人でありがたかったですね。そして、奥さんの協力があって、すごく感謝しています。

でも、奥さんが妊娠している間に先にニュージーランドに行きましたから、家族のためにビザを取るタイミングは難しかったです。

ニュージーランドに移住

Q:クライストチャーチに来た時、英語はどうでしたか。

ゼロでした。マイナスとは言わないですが、本当に何を言っているか分からないくらいでした。でも、前の職場はほとんどキウィ(ニュージーランド人)のお客さんだったので、英語を喋らなければならなくて、英語学習にはいい環境でした。

Q:初めは英語が全然話せないのに、どうやって仕事をして、どうやって英語を学びましたか。

初めはもちろん難しかったですが、12年やってきた美容師のスキルがあって、お客さんが欲しい髪形の写真を見せてくれるから、最初の2、3年は本当に英語に自信を持っていなかったですが、幸いにも、お客さんに喜んでもらえました。

英語学習は全部一人で行ったので、ESOLなどのクラスに行ったことはありません。毎日帰ったら文法を勉強したんですが、文法をやるのと会話をやるのが全く別のものだと感じました。その時に、やはり相手が言っていることが理解できないと再確認しました。

だから、ずっとお客さんと喋る訓練をして、喋れるようになるために、事前にこういうことをしたくてニュージーランドに来たという英語のフレーズを用意しました。色々な返答を聞きながら、こういう風に言ったらこういうリアクションがあって、本当に現場ではたくさんのことを学んだんです。

Q:移住方法とビザの申請について詳しく教えていただけますか。

初めは2018年にワーキングホリデービザだったので仕事はできましたが、永住権を取るためにワークビザにまず切り替えなければなりませんでした。しかし、当時のワークビザの制度上スキルワークビザには一年と三年という選択肢があって、一年のビザの場合家族を連れてくることができませんでした。ですから、三年のビザに関して時給などの条件を満たすために必死に頑張って、ニュージーランドに来てから10ヵ月後三年のワークビザが降りました。

2年目にコロナになって、大変でしたがコロナのおかげで永住権が取りやすくなりました。コロナの時、3つほどの条件のどれかを満たせば永住権がもらえるビザがたまたま出ていました。なので、半年後に申請が通って永住権を取得できました。移住してから3年間ぐらいで取れて、非常にラッキーだと思いました。

でも、やはりビザのステータスはよく変わるので、今の永住権ビザを取る条件は厳しくなったそうです。大学などをでなければならないなどの条件が導入されたから、コロナの時のタイミングで移住できてよかったです。でも、全てのプロセスはストレスフルだし、お金もかかったし、家族のためにビザや永住権を取らなければならないことがプレッシャーになっていました。しかし、ニュージーランドの制度に助けられていたと感じて、永住権が降りてから生活がだいぶ楽になりました。

Q:ニュージーランドに移住を決めた理由の1つは「バランス」でしたが、それを達成できたと感じますか。

本当にそう感じます。今子供たちと一緒にご飯が食べられて、ここで9時から6時まで働くことができます。やはり日本では仕事や会社を優先して、夜遅くでも帰れないという文化や暗黙の了解があります。

ここに来てから、日本ではこういう慣習が本当にあるかという感じになると思って、やはり家族を大切にすることができるから仕事を頑張れると思うし、仕事を頑張るから家族を大切にできるわけです。大切なのは家族なんだと思います。だいぶ生活もよくなってきて、移住してよかったと本当に思っています。

ニュージーランドの新しいビジネスについて

Q:長谷川さんは来月開店しますが、そういうチャンスをつかむエピソードはなんでしたか。

先ほども言ったように、自分のキャリアを考えた時に、ただ髪の毛を切っている美容師で終わりたくないと思ったんです。クライストチャーチで人に貢献できることはないだろうかと思って、すごく悩んでいました。それで、結局日本にいた時の健康になるための食事や運動のパッションと今の仕事を組み合わせて、健康にできるような美容師になりたいと思いました。

そうしたら、何ができるかと思ったら、ニュージーランドで皮膚がんがかなり多いと思って、それで最も予防するポイントは定期的なチェックで、早く気づいて対処することです。特にメラノーマというほくろのがんは転移しやすいので、頭頂部や首のような自分が見えない範囲の所を診てあげることに貢献したいと思いました。

Q:このアイディアをどうやって新しい店に実現できましたか。

そのアイディアをもう1年半ぐらい練って、自分のしたいことを定期的に見直して、皮膚がんを予防する美容ヘッドスパの専門店のイメージを明確にしたら、色々な人にフィードバックをもらいました。どんどん自信がついて、具体的に家賃などをエクセルにまとめて計算して、ビジネス計画書を自分でゼロから作りました。

でも、やはりお金がなくて、それなりに最初は資金がかかるから、銀行にアプローチしましたが、リスクが高すぎると言われて、全然お金を貸してくれませんでした。ですから、諦めてカンタベリー大学のパートナーシッププログラムに応募することにしました。

去年このプログラムのおかげでピッチコンテストに参加して、スタートアップやキャリアアップの知識を学んで、ポジティブなフィードバックを受けることや色々な人たちに認めてもらう機会が多かったから、もう一回自分のアイディアを使って、スタートアップを始めようと思いました。

色々な人にアプローチして、自分の思っていることを伝えて、結果インベスターが現れて、その人たちに資金をもらって、ビジネスを実現するチャンスを得たというプロセスでした。

Q:店の名前はもう決まりましたか。

はい、一応決まりました。それはセレンディピティプラス(SERENDIPITY+)で、偶然でラッキーな出会いやふとしたことでちょっと偶然に出会って、いいことが起きたような意味です。

それに、「プラス」(+)というのは色々な意味があるでしょう。もちろん今のお客さんを大事にして髪を切るサービスを続けたいと思いますが、ヘッドスパを色々な人にどんどん広げたいと思っています。ですから、「プラス」にも決めました。

 

Q:将来「SERENDIPITY+」を成長させる企画を教えてください。

やはり皮膚がんなどの病気を予防することや病気を早期発見するのが重要なことで、ニュージーランドとオーストラリアでヘッドスパ専門店ができはじめたのに、ここではこういうサービスが全然ありません。

だから、最初に需要を作ったり、オペレーションを作ったりしたいです。ビジネスを成長させたいので、ニュージーランド全土、もしくはオーストラリアに展開できて初めてビジネスの目標が達成できると思っています。そして、医療機関との提携や特許が取って、10店舗ぐらいに増やせられたらいいと思っています。

 

 

(インタビュー:2024年4月)

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