移住
移動する人々
価値観の共有への第一歩はお互いを知ること
日本通訳翻訳センター 代表取締役
綱島延明さん
綱島さんは「中国残留婦人」*3世だ。1990年に父母と共に祖母の郷里、長野県穂高町に移住した。多感な学生時代を経験し、2010年に日本通訳翻訳センターを立ち上げた。「中国残留孤児」支援活動などに参加し日中間のトラブルを身近に感じてきた綱島さ…(続きを見る)
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日本通訳翻訳センター 代表取締役
綱島延明さん
綱島さんは「中国残留婦人」*3世だ。1990年に父母と共に祖母の郷里、長野県穂高町に移住した。多感な学生時代を経験し、2010年に日本通訳翻訳センターを立ち上げた。「中国残留孤児」支援活動などに参加し日中間のトラブルを身近に感じてきた綱島さ…(続きを見る)
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移動する人々
小鹿野町地域おこし協力隊
宇佐川拓郎さん
「遊びを考え、巻き込むことが大好き」。北海道生まれ。東京の大学を目指して上京。小学校と特別支援学校で5年ほど教員をしたとき、学校教育の理想と現実のギャップを目の当たりにする。一度、自分のいる教育環境を離れて見ると共に、自分なりの教育へのアプ…(続きを見る)
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移動する人々
横溝みえさん
ブラジルのサンパウロ州の隣にあるマイリポラン市に滞在しています。2005年に初めてボランティアで JICA日系社会青年ボランティアの日本語教師としてブラジルに移動し、2年間活動しました。その後、2007年に日本に帰り、また2008年、ブラジ…(続きを見る)
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移動する人々
映画監督、映像ディレクター
小川 和也さん
東京ビジュアルアーツ映画学科卒業後、アメリカのSchool of Visual Artsの監督コースに編入。5年間をアメリカで過ごした後、イタリア・トスカーナ地方のスベレートに移住。日本とイタリアがプロダクション、撮影地はパレスチナとイスラ…(続きを見る)
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日本を飛び出した人たち
ハウスオブジョイ 事務局⻑・副院⻑
澤村信哉さん
フィリピンで⽇本語を学ぶ⼦どもたちの教育環境を⽬の当たりにし⽇本語教師になる道へ進み、8年間フィリピンで、2年間ブルガリアで⽇本語教師として働く。2008 年から、⼦どもの⾃⽴⽀援や就学⽀援のためのプロジェクトを⼿掛ける児童養護施設ハウスオ…(続きを見る)
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日本を飛び出した人たち
一二三日本語教室主宰
鬼一二三(おに ひふみ)さん
「移住」と聞いて誰しも目的は何だったのか考えるだろう。夢を追う為、成長する為。鬼さんの移住は「この為に」ではなく、幼い頃からどこにいても好奇心を持ち、置かれた環境で勉強し続けた彼女の自然な流れとも言うべき人生選択であった。その先で出会うあた…(続きを見る)
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移住
日本を飛び出した人たち
「ArtLouge」の主宰
吉荒夕記さん
博物館学の分野について、イギリスは世界で最も蓄積のある国だといえます。この国では、博物館や美術館は「国民のもの」であると考えられています。吉荒夕記さんはミュゼオロジー(博物館学)を深く勉強するため、40代初めにイギリスへの留学を決めました。…(続きを見る)
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日本を飛び出した人たち
「Bukit Sausage (ブキットソーセージ)」オーナー
今井愛さん
札幌で保育士をしていた今井愛さん。友達にスキューバダイビングに誘われ、水中で息ができるなんて!と衝撃を受け、夢中になった。そして25歳の時、インストラクターの資格を取るべく、ワーキングホリデー制度*でオーストラリアに渡る。しかし彼女はインド…(続きを見る)
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日本を飛び出した人たち
俳優、映画監督
宇佐美慎吾さん
大学卒業後アメリカへ渡り、3年間日本語教育に携わった後、オーストラリアへ移住。オーストラリアで永住権が取れたことをきっかけに俳優の道へ。2015年に公開された「RICEBALLS」は2016年のトロント国際映画祭や、その他国内外の映画祭に出…(続きを見る)
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日本を飛び出した人たち
ニュージーランド・カンタベリー大学人文学部日本語プログラム、Lecturer
荻野雅由さん
日本で英語教師のキャリアを経て、現在ニュージーランドで日本語教師として教壇に立たれている荻野雅由さん。荻野さんはなぜ移住という選択をされたのか。海外移住の決断や日本語教育への信念を伺いました。…(続きを見る)
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