異文化適応の歩みと挑戦
Q:日本にいつ来られたのですか?そのきっかけや背景を教えていただけますか?
台湾で旅行ツアー会社に勤務していた頃、夫と出会いました。交際2年を経て結婚を機に日本に来ました。日本での生活がスタートしたのは1982年です。現在、息子二人と娘一人がいます。結婚後、家族と一緒に台湾に帰ったことがありますが、手続きミスで家族と一時的に離れることとなった経験があります。その後、家族との行動を円滑にするために帰化しました。
Q:日本に来た当初、文化や生活面にどのような違いを感じ、不慣れだったことは何かありますか?
日本に来た当初、住んでいた地域には外国人がほとんどおらず、孤独を感じることもありましたが、結婚を決意した以上どうやって今の環境に溶け込むのかを前向きに考えました。
日常生活に大きな不便はありませんでしたが、文化的な面について、日本特有のお返し文化や「本音」と「建前」の違いに戸惑いました。嬉しいことに、友達がアドバイスをしてくれたおかげでだんだん慣れてきて、文化の違いを楽しめるようになりました。
教育から医療まで活躍する通訳兼講師の取り組み
Q:現在のご所属や役職、日々の活動内容についてお話しいただけますか?。
現在、私は市川市教育委員会の通訳講師として市内の学校で中国籍の児童生徒と先生や保護者の通訳を行い、千葉県教育委員会の外国人児童生徒教育相談員として公立高校で中国籍生徒の教育相談や日本語指導をサポートするほか、ちば県民保健予防財団で結核患者の検査や服薬の際に看護師と同行して、通訳をやっています。
また、市川市内の日本語が分からない小中学生を対象にした「IIA子どもにほんご教室」の代表を務めさせていただき、子どもたちが日本語を早く覚え、楽しい学校生活を送れるように支援しています。
他にも、料理作りが趣味で、市川市多文化共生推進事業の一環として「シェフ先生」として授業を行ったり、「世界の食卓から」という動画にも出演したりしていました。
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シェフ先生をしている田嶌さん
Q:これまで参加されてきた活動について、印象深いエピソードがあれば教えてください。
私は23年前に市川市国際交流協会の会員になり、さまざまなイベントに参加し、多くの経験をしてきました。その中で最も印象に残っているのは、医療通訳を担当したときのことです。
ある中国人留学生が緊急入院し、手術を受けなければならない状況でした。しかし、彼はヘビースモーカーで、病院の外で平然とタバコを吸い続けていました。医師に注意されても聞き入れず、事態は深刻でした。それで、病院から国際交流協会に通訳の依頼が来て、私が派遣されました。私は留学生に現在の病状を丁寧に通訳し、事態の深刻さを理解してもらうように頑張りました。その結果、彼はタバコを完全にやめ、無事に手術を受けることができました。彼から感謝の言葉をもらったとき、命に関わる場面で自分が役に立ったことに大きなやりがいを感じました。
日本語が話せない人にとって、病院に行くことは非常に大変なことです。日本語が話せる中国語母語話者が病院に同行するだけでも、相手にとっては大きな支えになると思います。
その後、私は国際交流協会の通訳翻訳委員会に「簡単な医療通訳ができる体制を整えてはどうか」と提案しましたが、当時は「医療通訳は難しい」という理由で実現には至りませんでした。現在では、病院ごとに外国人のための医療通訳が増え、当時のような心配は少なくなっています。
また、もう一つ印象深い出来事として、ある中国籍の女性との出会いがあります。その方は子育てに関する悩みでノイローゼ気味になり、涙ながら私に電話をかけてきました。何とか力になりたいと思い、国際交流協会のトークサロンイベントにお誘いしました。イベントに参加した彼女は、参加者たちとたくさんお話をし、ストレスを発散することができたようです。帰り際に「日本に来て笑ったのは初めてです。今日、たくさん話して、いっぱい笑えて本当にありがとうございました」と感謝の言葉をいただきました。その時の彼女の素敵な笑顔を見た瞬間は今でも忘れられません。
こうした活動を通して、言葉や文化の壁に悩む人々の力になれることはすごく嬉しいです。これからも、少しでも多くの方が笑顔になれるような活動を続けていきたいと思っています。
子どもが学校生活を楽しむために
Q:外国にルーツを持つ子どもたちに日本語教室で教えるようになったきっかけは何ですか?
教育委員会から「子どもたちが学校で困ったことや先生と保護者との通訳のサポートをやってください」と言われて、学校に行きました。子どもたちは全く日本語が分からないから、クラスメートとのコミュニケーションが取れず、かわいそうだと思いました。子どもたちも私に日本語が喋れないから、授業がつまらない、友だちが作れない、寂しいと言っていました。
その時、私は通訳以外に子どもたちのために何かやれることはないかと考えました。例えば、ひらがな•カタカナからでも少しずつ日本語を教えたら良いではないかと日本語ボランティア講座を受け、420時間の日本語教師養成講座を修了しました。日本語の勉強のサポートをし、こどもたちの日本語が上達しました。その結果は学校にも認められて、子どもの日本語指導をサポートするようになりました。
今はIIA子どもにほんご教室の代表を務めさせていただいております。小中学生を対象とした日本語教室の活動です。外国籍の子どもたちは、親の仕事や都合で日本に来たものの、言葉がわからず、戸惑うことが多い日々を過ごしています。私は彼らが一日でも早く日本語をマスターし、日本の学校生活を楽しく送れるよう、日本語を教える活動に取り組んでいます。子どもたちが日本語を覚え、自信を持って学校生活を楽しむ姿を見ると、大きな喜びとやりがいを感じます。
Q:子どもの日本語を指導するために工夫したことを教えてください。
学習者のニーズに合わせ、いろいろな試みをやってみました。特に小学校低学年の子どもの集中力の持続時間は30分が限界だと感じ、飽きさせないために、絵カードやフラッシュカード等の教材作りをしています。テキストの内容がもっとわかりやすくなるように、イラストを入れたりもしていました。また、一つのクラスにはいろいろな年齢層や国籍の子どもたちがいます。漢字圏の子どもたちにはより読みやすくするために漢字にルビを振っています。
子どもにほんご教室で使っているテキストは『こどものにほんご』(日本の小学校に在籍する外国人児童生徒向けの、学校行事や日常生活に関する日本語の教科書)で、普段でも使える内容なので覚えて欲しいと思っています。イントネーションやアクセントが分からない子どもたちには、1回2回では足りませんので、何回も一緒に練習するようにしています。私はよく子どもたちに「自信を持って、不要害羞(恥ずかしがらないで)大きな声で言ってください。」と言っています。発音が間違っていたらすぐ直します。間違えて覚えると後から直すのが大変ですから。声をあまり出さないベドナムの子がいましたが、何回も練習した後、声が出るようになりました。担任の先生から「最近この子は声が出るようになりました!声が大きく出ると自信も出ますよね。」と言われました。
私も元日本語学習者の1人です。自身で経験したことを子どもたちにも頑張って欲しいですが、子どもたちの性格がさまざまですので、思う通りにいかない場合もあります。頑張りたい子にはもっと手を伸ばしてあげれば良いと思いますが、日本語の勉強に向いてくれない子もいます。それは難しいところですね。
人はそれぞれ、ほかの人からは見える面が違うところがあります。「田嶌さんは厳しいね」と言われますが、「私は厳しいのではなく、立場が違うからです」と言っています。私たち外国人は日本語ネイティブではないので、言葉の壁があります。しっかり勉強して乗り越えなければなりません。中国の「先苦后甜」ということわざが言っているように、今大変ですけどあとは楽です。
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会話の内容を学生に繰り返し3回読むよう指導している田嶌さん
Q:子どもたちが学校生活や日本社会に適応するために、どのような支援や工夫を行っていますか?
日本語教育だけでなく、日本の文化やしつけを教えたり、学校生活や友達に関する子ども自身の悩みについての相談も受けたりしています。例えば、日本人は一般的に清潔感を重視します。以前、一人の子どもが変な匂いがしていて、そのことについて、担当の先生から注意をお願いされましたが、なかなか言い出せなかった経験があります。その経験から、今では新しく来た子どもたちやその保護者に対して、「身だしなみには気を付けてください」と必ず伝えるようにしています。最初にお伝えしなければ後からは言いにくくなるからです。
また、保護者についても、子どもの学習に非常に教育熱心な親とあまり関心を持たない親がいます。例えば、ある1年生の男の子は、日本に来たばかりで日本語がわかりません。一般的に子どもたちは夏休みの話をすると喜びますが、彼は「田嶌先生、僕は夏休みが嫌いだ」と言いました。理由を聞くと、「いつも家で一人で留守番をしているから寂しい。日本語がわからなくても学校に行きたい。学校にいるとみんなの声が聞こえる、みんなの笑顔が見えるから楽しい。」と言いました。その子の両親は出稼ぎのために一生懸命働いていましたが、子どもが寂しい思いをしていることを母親にお伝えしたところ、母親は仕事時間を子どもが学校に行っている間に調整しました。
もう一つは、日本には授業参観という行事があります。ある女の子が「他のお母さんはみんな来ているのに、私のお母さんは一度も来てくれなかった」と相談に来たことがありました。そのことを彼女の母親に伝え、「一回でもいいから行ってあげてください」とお願いしました。すると母親は「日本語がわからないから」と言いましたが、私は母親に「日本語がわからなくても授業の様子を見て、子どもがみんなと仲良くしているか確認もできますし、『私のお母さんが来てくれた』だけで子どもは喜びますよ」と伝えました。この子のお母さんは6年生の卒業式に至るまで学校に来るつもりはありませんでしたが、何度も説得を重ねた結果、やっと卒業式に出席してくれました。
集中日本語学習の重要性
Q:ご自身の経験を基に、外国人住民、特に子どもたちに対してどんなサポートがあったらいいと思いますか?
日本語支援がまだ十分ではないと感じていますので、日本に来たばかりの子どもたちのために、3~4か月間の集中日本語学習センターがあるといいと思います。日本に来て2~3年経った子どもたちはなんとか聞き取れるようになりますが、来たばかりの子どもたちはまだ日本語が不十分で学校に入ると、とてもつらいそうです。しかし、こうした支援を実現するのは難しいと思います。
多文化共生社会へのビジョン
Q:国際理解や国際交流の重要性についてどうお考えですか?
現在、日本には多くの外国人が生活しています。その中で、多文化共生社会を実現するためには、私たちが「一人では生きていけない」という意識を持つことがすごく重要です。国籍や文化の違いで区別するのではなく、同じ地域に暮らす住民として、お互いに支え合い、共に生活することが必要だと考えています。
特に、災害のような非常時には、この相互扶助の精神が試されます。災害が起きた際に、誰を助けるのか、あるいは誰に助けてもらうのかは、事前には分かりません。そのため、日頃からお互いを理解し合い、信頼関係を築くことが大切です。そうすることで、緊急時にも互いに力を貸し合い、困難を乗り越えることができるでしょう。
また、国際理解や交流を通じて異文化を知ることは、私たち自身の成長にもつながります。他者の文化を理解し尊重することで、自国の文化を見つめ直す機会となり、視野が広がります。私は韓国に行ったことがありませんが、国際交流協会のトークサロンイベントで韓国の方と知り合い、韓国の文化や人の性格をある程度知ることができました。
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市川市国際交流ラウンジで多国籍の方と一緒にダンスをしている田嶌さん
Q:文化や生活への適応、言語の壁に苦しんでいる在日外国人への励ましやアドバイスをお願いします。
文化や生活への適応、言語の壁に直面している方々には、ぜひ「前向きな姿勢を持つこと」の大切さをお伝えしたいです。適応や成長には時間がかかることもありますが、何事も一歩を踏み出すところから始まります。その一歩が、新しい発見や可能性につながるのです。例えば、「日本語に自信がないから」といって引きこもりがちになってしまうと、他者と交流する機会を失い、日本語の上達も難しくなります。そうではなく、自分が興味を持ているものを見つけ、地域のサークルやイベントに参加してみてはいかがでしょうか。共通の趣味を持つ人々と触れ合うことで、友達ができ、自然と日本語を使う機会が増えます。言葉は実際に使うことで磨かれますので、失敗を恐れずに挑戦してみることが大切です。
そして、困った時は周りの人に助けを求めることを恐れないでください。日本には、外国人を支援する団体や、相談窓口がたくさんあります。支援を活用しながら、一歩ずつ前進することで、新しい生活を楽しむことができると思います。
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新年会で台湾の民族衣装を着ている田嶌さん(一列目左から3番目)
(インタビュー:2024年11月)