天職だなと思えたんですよね
最初に編集者になろうと思ったのは人前で話すのが下手だからです。だったら文章を書く人になろうって。
あと、やっぱり何かを表現することが好きだったんですよね。
就職の段階では趣味の雑誌をやりたかった。若かったからアウトドア雑誌とか行きたかったんですけど、今考えれば、この歳で外で寝るのは辛いから、アウトドア雑誌じゃなくてよかったかも(笑)。結局受かった会社は温泉旅行誌の出版社で、それは結果的にすごくよかった。旅の雑誌が天職だなと思えたんですよね。
雑誌は好きなんですよ。自分が旅して感じたことを伝えたいし。仕事の面で言えば、自分で記事の雰囲気をコントロールしたいから、カメラマンにもなった。
当然出版の仕事をしていると、ビジネスだから、いろんな言いにくいトラブルもあるわけですけど。でもやっぱりそういう時にスタッフのみんなに言うのは、「少なくとも、自分たちは世界が前よりよくなるために働いているんだ」って。最初の旅の本を書いたのもそうだけど、27歳の時書いた旅の本ですね。各国で一人の友だちを見つけて、その人の物語を書いています。これ、多分原点ではあるんですよね。こういう本を書いて、少なくとも、これを読んでくれた人たちは、僕が書いているものを通して、自分の今いる場所で感じられないことがわかるじゃないですか。そうすると「世の中はここだけじゃない」と気づくわけで、それを伝えるのが僕の天職だと思う。やっぱり何のために働いてるかと言ったら、世界平和かなあ。馬鹿だと思われるからあんまり言わないですけど、根本的にはそうですよね。
そういうことが伝えられるのがこの仕事の力なんじゃないかなと思います。
「いい人がやっているお店であること」はとても大切
取材の相手を決める方法は基本的には皆さんと同じなんです。『珈琲時間』をやってても、いつもひたすらカフェめぐりとかしてるんですかとかすごい期待されるけど、残念ながら、そんなに暇じゃないんです。誰だってそうだけど、仕事をしてる人は忙しいよ。だから、すみません、ネットで探しましたとかって言うと、多分皆すごくがっかりするんですよね。20年近く前、旅行雑誌にいた初期の頃は、ネットもないから、すべての宿のパンフレットを取り寄せて調べたりしていました。情報の仕入れ方だけでなく、問題はそこに、プロの視点があるかどうかです。たとえ何か良くない情報が書かれていても、それが偏った見方をした人が意地悪く書いただけなのか、それとも本当にそのお店が何か問題があるのかとか、プロなら読めばわかるんです。例えば昔の温泉宿のパンフレットで外観が夜景しかないなら「あ、これ外壁汚いかもな」とか。青空が無理やり合成されていたら電線がいっぱいあるんだなとか、ごみごみした場所なんだなとか。やっぱりそのメディアから読み取れる裏があるんです。だからネットで検索しましたって言っても、外さないというか、いい店であるかどうかの判断はそういう色んな細部から情報を得て推測していて、それで経験値がどんどん積み上がっていくから、そうそう外さないですよね。だからやっぱり、的確な検索能力は編集者がプロたるゆえんですよね。
そして、雑誌に掲載するお店選びについては、「いい人がやっているお店であること」を、とても大切にしています。
いい人というのはね、皆さんみたいな人です。だって今日はじめて会ったでしょう?でも、こう普通に話をして、人の話も聞く。やっぱり重要なのは相手に興味を持ってるかということですね。相手のことを聞いてあげようという気持ち。そういう基本姿勢は旅館取材で学びました。彼らの最終目標はお客さんに気持ちよく帰って頂けるということで、だから自然に、どうしたら喜んでもらえるのか、相手のことを考えてやっているんです。旅館などではあまりないことですが、取材先によっては、あまり態度が良くないお店もあったりします。つっけんどんな物言いだったり、必要以上に偉そうな態度であったり。
じゃ、やっぱり、僕ら雑誌にとって何が大事かと言ったら、読者の人がそれを見て、楽しんで、しかもその店に行って、よかったなと思うこと。だから、取材する僕らがいやな経験をしたとしたら、絶対、一定数のお客さんもそういう目にあう可能性がある。だから編集部員にも言ってるのは「いやな感じだったら止めましょう」って。何をしたって結局は人と人じゃないですか、仕事もそうだし、お店に行く時もそう。だから、やっぱりいい人がやってるというのは、すべての基本になると思います。
カフェは人が集まるところ
オーナーさんの個性
喫茶店というのは基本的には自営業が多いから、自分が好きなようにできる。だから個性がすごく出ますね。
そこが面白い反面、個性がありすぎて最初はちょっと苦労をしたこともありました。普通に取材のお願いをしてもなかなか通じなかったこともありました。「いま忙しいからまた今度」と言われて、3回くらい電話をかけてみたけど、結局いつがいいのかを全然教えてくれなかったり……
でもカフェ経営の人たちがすごいと思うのは町の拠点になって周りの人を集めて楽しくすることをやっていること。僕は旅人なので、常にどこかに行きたいし、自分の事務所も構えたくないくらい。だから僕にはできない、すごいことをやっているなあと思います。
カフェと日本社会
僕、実は2回会社やめたけど、おかげで今は好きな人としか仕事してないです。
今の日本社会は肩の力を少し抜いたほうがいいと思います。僕も会社員はきちんとやっていたし、会社員で編集長やっていたから、会社組織の人間としての考え方は知っています。けれども今はあまりにも物事の基準がお金になりすぎてしまっています。逆に言うと、お金のためだったら、別に人の気持ちはどうでもいいよ、という風にまでなってしまった。
僕ら以下の世代って、みんなそういう風に、いい思いをしてないで、つらい労働ばっかりなんだけど、生き方って本当はそうじゃないはずです。日本で普通に小、中、高校、大学と行くと、組織人としてうまく振る舞う勉強ができている。いやな事でも時間まで我慢する。それはサラリーマンとしてうまくやれるようになってるけど、クリエイティブなほうにはいかないですね。だから、そういうのがちょっと、行き過ぎちゃった気がするんですよね。
それを「やっぱり何か違うんじゃない」と思い始めたのが多分今の若い世代で、そういう人たちが身の丈にあった仕事のやり方を探り直している。会社のためにと皆言うけれど、そんなことより自分の人生どうなのよみたいなことを、ちゃんと考えるようになってきています。
割とカフェ周りには、そういう人が多いです。今日ちゃんと自分が食べられる分だけ働ければいいよという考え方。
だから、そういう身の丈にあったライフスタイルというのが若い人たちあたりでできているのはすごくいいと思います。特に地方のカフェでそれを感じる。自分たちで自分たちのコミュニティを作ってて、仕事の異なる人たちがカフェで集まる。あの人とあの人がコラボしたら楽しいんじゃないみたいなことを考える。例えば、伝統的な職人さんは古いスタイルのものばっかり作ってたけど、デザインのことがわかる人と協業したら、すごいお洒落で売れるものに変わったとか。
地域の魅力を引き出して、活性化する力がカフェにはあると思います。
沖縄のカフェ
先日、沖縄のカフェの取材に行ったのがすごく面白くて。
沖縄って昔は琉球王国、別の国だったですね。まあ、それが関係するのかわからないけど、ほんとに、東京と違う文化圏だと改めて感じました。
何が違うかというと、まずはカフェの店長同士がすごく仲がいい。ひとつの店に取材行くと「え、あの店行った?」という感じ。普通商売敵じゃないですか。自分の店取材してくれてるのに、わざわざほかの店がいいよ、とは言わないですよね。それがみんな仲良くて、「あ、あそこ行くんだ、うん、店長と仲いいから、言っとくよ」みたいな。そんなノリなんですよね、みんな。それってすごく沖縄らしいなと思う。
それで、「なぜだろう」と旅人の僕として考えるわけですよ。
そしたら、沖縄って、お酒飲むじゃないですか。あれ、はしご文化なんですよね。たとえば、東京だと大体二次会ぐらいでおしまいで、三次会だったらもう疲れたからやめよう、みたいな感じだけど。沖縄は、四軒ぐらい行くのが普通だそうです。一軒目に行って、ちょっと飲んで、一皿食べたら、じゃ次行こうって。次どうしようというと、店長が「うん、じゃあそこ行けば? あそこいいよ」。そうやってみんなで全体で回してるんですよね。それを実際に自分で体験して、「あ!だからか!」と気がついた。自分のことだけを考えるんじゃなくて、みんなが楽しくなればいい。だからいい人だったら紹介するよっていう文化。
それは地域がうまく回ってる証拠です。沖縄でカフェやってる人は、たぶん半分は外からやってきた人だと思います。そのうちの僕が取材した一軒は、やっぱり店長が旅していた人で、外国も日本もたくさん旅した末に、一番異文化を感じたのが沖縄で、だから沖縄でこういう仕事やってる人だと仰っていました。
カフェって一見ひとところに留まって、視野が狭いと思われるかもしれないけど、決してそうではありません。やっぱり地域コミュニティ、自分の居場所にきちんと地に足つけて考えながら、そこから視野を広げていく。それは僕にはない感覚だったから、そういう意味でも勉強なりました。
『珈琲時間』の仕事をやらなかったら、気がつかなかったかもしれません。
日本人であるが故に気づかない文化的魅力
自分が日本人だからこそ、却って自国の古い文化の良さがわからないということもあると思います。たとえば、外国人のみんなが日本にきて歌舞伎とか見てるけど、「え〜、歌舞伎?」っていう風に感じる日本人も少なくないのが実情でしょう。外国人のほうが、先入観なく日本の文化を公平に見られるということありますよね。昔からずっとそれを見ているその国の人の方が逆に気づかない、その良さに。だからどの国でも発展してくると古い建物どんどん変えて、新しい外国風の家を建てるという風になっちゃいますよね。
でも結果的に若者が、お金もないし、厳しい世の中になってきて、できる範囲でいい生き方をしようと考えた時に、昔のいい物件に目をつけた。安いし、自分たちがリノベしたらどうにかならないか、みたいなを考えて……そういうお店はすごく多いですね。そうした意味でリノベーションカフェはすごく頭がいい考え方だと思います。
この間、面白かったのは、新潟で農業をしているスペイン人の30代のお兄さん。スペインの田舎の出身で、お爺ちゃんが農業やってて、すごく農業やりたいって珍しい若者なんですけど、その人のインタビューをしたときに、「僕らからみたら、日本の田舎は天国ですよ。だって使ってない畑が山ほどあるし、築200年の農家とかあって、これリノベしたら、すごくいい家ですよ」。こういう感覚って、日本人にはなかなかわからないんです。
そういうことを、外国人が再発見してくれますよね。これ最近のいい傾向だと思います。僕ら日本人は改めて自分の国の魅力を教えてもらっているわけです。
毎日夕日を見に行こう!というルールがあってもいい
移動編集社っていう社名を二年前くらいから名乗るようにしたんですけど、それはやっぱりすごい痛い思い出があったからです。客船に乗って写真の先生をやってくれという仕事が来た時に、行きますよね、人生でそんな経験あんまりできないですよね、100日間の世界一周なんて。ちゃんと取引先に話をして、三ヶ月半、居なくなりますが、仕事はちゃんと片付けてから行きますのでって言って、世界一周して帰ってきたんですよ。で、その会社に、お菓子持って、無事に帰って来ました、続きまたお願いしますって言おうとしたら、出て来た人がすごい怒ってて、「高橋くん、僕は怒ってるんだ」って。土産話しようと思ってたのに、思いっきり怒られた。何で怒ってるのかって言うと、結局は、居なくなること自体が非常識だという事です。旅を職業にしているのに、ですよ。
今はね、インターネット時代、どこに居たって仕事はできるし、責任を持てるかどうかだけの違いじゃないですか。例えば、僕は年に一度船の上で『珈琲時間』を作っています。毎年4回のうち1回は、僕ずっと船の上に居たり、ノルウェーから、校正したりしています。別にできるんですよ。だけど僕より上の世代のいわゆるサラリーマンでしかやってない人たちは、とにかく今電話した時に居ないと許せない。もうそんな時代ではないはずです。僕が出版社の社員だった時もそうだけど、「来週火曜日の会議に高橋くん絶対出なさい」って。どうせ大した話はしないんです。なのにその火曜日に予定を入れちゃいけないために、海外15日間の取材を断んなきゃいけない。こんなもったいないことはないですよ。その貴重な経験を、たった一日の会議のために捨てさせるのが、現状の日本の会社なんだと思います。
人生にとって大事な問題を、なんとか自分で決める事ができるようにしようとしたのが今の働き方。
出版の仕事はやはりほんとに忙しくて。僕たちはずっとコンクリートの箱の中にいるわけじゃないですか。で、外が今日晴れてたのか、雨なのかもわからないで、気がついたら夜になってて……。そういう生活は本当におかしい。やっぱね、たとえば今日みたいな晴れた日は、とりあえず、夕方いったん仕事をの事を止めて、夕日を見に行かなきゃいけないという法律があってもいいんじゃないかと。僕はよく外国で仕事してるじゃないですか。当然東京と連絡するわけですよ。で、東京から来るメールは必ずなんかいらいらしているんです。ブロイラーの鶏みたいに狭いところに押し込められて、みんないらいらしてて、何かはけ口を見つけたがっている。まじめに働きすぎて、気を抜くところをわかってないんだと思います。今回のゴールデンウィークね、自分の家の二階のベランダをちょっと改装して、テラス席を作ったんですよ。ずっと部屋の中で仕事するのはいやだから、外で仕事できるようにした。そうしたら、すっごいはかどるんです。東京の会社もテラス席を作ってそこで仕事していいとか、晴れた日の夕方は仕事をやめて夕日を見に行けとかいうルールがあってもいいくらい。働き方が行き過ぎちゃってるなと思います。
移動編集社っていう名前は「自分、デフォルトで居ませんから」というアピールです。あいつ居なくて普通だと思われるような社名にしちゃえばいいんだって。いいこと思いついたなあ(笑)。それをつけたら本当にすごく、堅い一流企業の人もわかってくれる。今ではまさかあの会社で許して貰えるとは……という取引先もあるんです。
(インタビュー:2017年6月)
2018-8-23