〈プロフィール〉
1981年静岡県生まれ。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。2006年より独立行政法人国際交流基金に勤務し、東京およびやフィリピン・マニラにて青少年交流や芸術文化交流、海外における日本語教育の普及事業などに従事した。
2016年より一般財団法人教育支援グローバル基金にて勤務。東日本大震災で被災経験をもつ高校生・大学生など困難を経験した若者を対象としたリーダーシップ研修などに携わる。2018年4月より現職。
「解決」が必要な場所へ
Q. 国際交流基金マニラ日本文化センターでは、具体的にどのようなお仕事をされていましたか?
独立行政法人国際交流基金には2006年から10年ほど働いていたのですけれども、そのうち7年はフィリピンにいました。 国際交流基金という組織は平たく言えば「日本の文化を海外の方に知ってもらい、『日本のファン』になってもらう」といったことをミッションとした事業を展開していました。その中の一つとして日本語教育というものがあり、それ以外にも文化を紹介するという意味で展覧会を開催するなど様々な取り組みをしていました。
Q. 日本を海外に広める活動をしたいと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
発端は大学でフランス語を学んでいたことでしょうか…。フランス語を専攻した理由はなんとなく、将来は華やかなイメージのあるヨーロッパに関連する仕事に就きたいと考えていたことがきっかけでした。そんな中、大学在学中にフランスに留学に行く機会があり実際に現地を訪れてみたのですが、現実は想像とは違うものでした。そこで非常に貧しい移民の方たちの姿やアジア人に対する差別などを目にしてからは、「なぜ偏見や差別が生まれるのか」「なぜ移民の人々は住む国を変えても貧困から脱せられないのか」というところに疑問を抱くようになり、大学院に進学後は途上国支援に関する研究を2年していました。途上国の人々の理想を叶えたいという気持ちで当時は大学院に進学したのですが、またそこでも学ぶ中で考えは変わっていき、途上国を大きく作り替えるのではなく当事者の声を聞きつつ、現地が抱える問題をその場その時に一つずつ解決していきたいと思うようになりました。その為には、コミュニケーションをとれるような環境を作ることが最も自分が社会に貢献できる手段なのではないかと思った時、ちょうど「相互理解を促進する」をモットーとした国際交流基金を知り、働き始めました。
Q. フィリピンでの活動を終えた後、どのような活動をされていたのでしょうか?
帰国してから東日本大震災で被災経験をもつ学生にリーダーシップ研修を行なっていました。帰国後、あまりにフィリピンでの日々が刺激的だったこともありこのまま同じ組織で働き続けるということが想像できなかったことが第一の理由でした。それともう一つ、フィリピン滞在時に東日本大震災があったのも転職のきっかけでした。震災があるまでは海外で苦しんでいる人々に意識がいっていたのですが、故郷である日本が今まで経験したことのない混乱状態になった時はフィリピンにいたということもあり、何もできない「もどかしさ」を感じたのですね。そんな時に被災した学生にリーダーシップ研修等の活動を行う一般財団法人教育支援グローバル基金に出会い、ここでならあの時に差し伸べられずにいた手を差し伸べることができると思い転職しようと決意しました。
Q.実際に「リーダーシップ研修」というのはどのようなことをしていたのでしょうか?
様々な困難を経験した若者を支援する団体であるビヨンドトゥモロー*のメッセージに「逆境は優れたリーダーをつくる」という言葉があります。壮絶な逆境を持った人物というのはリーダーになった際に、多くの人に寄り添う力があるという理念があったのですが私自身この考えに共感し、教育支援グローバル基金でもこのようなことを目的として研修を行っていました。例えば、実際に国でリーダーを務めている方と会ってお話しする機会を設けたり、震災の経験を今の社会にどう活かせるかというようなプレゼンテーションを行ったりしていました。
アートという手段
Q. その後、なぜアーツセンターあきたに転職されたのでしょうか?
教育支援グローバル基金在勤中から、アートに関わる仕事に興味をもつようになりました。色々と求人を見る中で、秋田公立美術大学を見つけました。秋田が抱えている様々な社会課題をアートやデザインで解決しようとしている取組みに興味を抱き、転職を決めました。
Q. アーツセンターあきたについて少し説明していただけませんか?
はい、アーツセンターあきたというのは秋田公立美術大学が設置したNPO法人で、大学と社会連携、地域連携事業をコーディネーションする組織です。例えば、地元の企業や市役所から社内で「この問題をデザインで解決できませんか?」という相談をいただいて、大学の先生や学生さんと問題を解決するため、一緒に考えたり、作品としてアウトプットするなどでマネジメントしているような法人です。
Q. アーツセンターあきたでは、以前の職場と共通して「人と関わる」という点に加え、今回は新たにアートという要素が入っています。昔と比べて仕事する形や考えが変わりましたか?
実はそんなに変わっていないと思っています。国際交流基金で勤務中にフィリピンで7年間暮らしていた際、政府が汚職にまみれ、色々な行政サービスがうまくいっていませんでした。そんな中、アーティストが教育的なプログラムを企画しコミュニティを提供したりする様子を見て、アートがただ美しいだけのものではなく生きていく中で実際に必要な機能を果たすんだな、ということを実感しました。
その体験が当時持っていた自分の関心とすごく繋がるところがあったので、以前までは解決できなかった国内の色々な問題も、アーティストと社会の課題を繋げれば突破できるのではないかと思いました。アートに対しての可能性は昔からすごく感じていましたね。
Q. 他にも地域とアートを繋ぐような活動が出来る場はあると思うのですが、その中からアーツセンターあきたを選んだ理由はなんでしょうか?
アーツセンターあきたに就職する時が自分の人生で一番悩んだ時期でした。都会を離れ地方に行ってしまうことはこの先の自分の可能性を狭めてしまうのではないか、という恐怖もありました。しかし、色々考えたときに、この秋田という土地が最も色々なことに挑戦できる可能性を秘めているんじゃないかなと思って、そこに賭けてみようと思ったのです。そもそも秋田は先ほど少し言ったように社会のあらゆる問題を抱えている地域で、例えば高齢化、人口減少は日本で一番進んでいて、現在は下がってきていますが、自殺率も最近までしばらく国内1位を記録し続けていたりしました。しかしそのような秋田の難しい課題も、アーティストの集合である美術大学とつながったら可能性が開けるのではないかと思い、アーツセンターあきたを選びました。
Q. 地域と美術大学が繋がれば、その地域の抱える社会問題を解決できるという発想により、当初心配していた自分の可能性は狭まるどころかむしろ広がっていた、というのがとても面白いですね。
理想としては、そういう難しい課題を抱える秋田だからこそできるようなプログラムを作れると思っています。秋田県だけでなく、これからは日本国内にとどまらず他のアジアの国々にも似たような課題が増加すると思うので、世界に対しても生かせるモデルが作れるのでは、という期待をしています。そういう意味で、一番チャレンジできる場所がアーツセンターあきただったのかなと思います。
Q. どの職場でも色々な人たちと関わって仕事されていますが、その中で大変だったことはありませんでしたか?
もともとそんなに社交的な人間ではないんです。だから地域の方々とのコミュニケーションをたくさんとって、時には失敗して…っていうことは本当は好きではないのです。でもやっぱりやらないと仕事にならないので、そこは仕事のモードに切り替えているのはあると思います。
でも最近、自分自身がすごく変わってきたんじゃないかなと思っていることがあって、例えばクレームとかがきた時はだいたいみんな嫌だと思います。でも最近の私だと、クレームを入れてくる人はなぜこんなに怒って、なぜこんな私とは違う考えの主張をしてくるのだろうか、といったところにすごく興味を持つようになり、なぜそのような考えに至るのかを知りたいという興味が沸くようになりました。ここで仕事をしていて自分がすごく変わってきたのかなと思った出来事ですね。
思い描く「窓口」
Q. アーツセンターで働いている中で自分が変わったなと思ったことはなんですか?
今現場やチームを上の立場から見ていて、今何が起きているのかをどう解決するのか、ではなく、そもそものそうならないための環境作りをどうするかに考えがいっています。 上の立場につくと見えているものが違ったり、特に考えないといけないことがあったりします。どうやっていったらそうゆう良い現場作りができるかに関心が移ってきています。
例えばそんな現場の中の一つで、文化創造館のプロジェクトがあります。ここでは、公共施設や住宅街でのクレームが多いスケートボードのやる場所を提供したりしています。しかしそこでも今、クレームが日に日に増えていき、それをどう解決するかここ1ヶ月くらいチームで話し合っています。
街中に自分が思い通りに出来ないことがあるのは本来は普通ではないのか、ということや、ただ単に迷惑だったら排除する道を選ぶことで解決して良いのかといったことを自分自身考えています。
こういった小さな状況から、街を構成する要素のなっていると思って取り組んでいます。
Q. アーツセンターはどんな存在になっていると思いますか?また、これからどんな存在になりたいと考えてらっしゃいますか?
地域が美大と何かやりたい時に相談できる窓口のような存在になっていると思います。これからは地域のハブのような存在になりたいです。
Q. 三富さん自身はこれから何をやりたいですか?
まずは、お給料をあげることです。 アートプロジェクト関係はお給料が基本的に安いのでそこを改善していきたいです。そして二つ目は、色々な働き方を人々に合わせてどうデザインするか考えている最中です。中でも、アーツセンター秋田は女性が多くいるので、子どもがいる人などのベストな働き方はなんだろうと模索しています。
(インタビュー:2022年6月)