〈プロフィール〉
1983年東京生まれ。2007年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、2009年同大学大学院美術研究科油画修了。主に東京を拠点とし、国内外でグループ展や個展を開催しながら制作活動を行なっている。移り変わっていく風景の儚さや、自身の記憶など、独自の視点で「時間」と向き合いながら、多様なモチーフを組み合わせて多層的な心象世界を描く。現在は三ノ輪のアトリエ「爾智堂」での講座、ワークショップ、大学での講義も務め精力的に社会と関わりながら、アーティストとして活躍の場を広げている。
アーティストとしての歩み
Q:アーティストとして絵を描き始めたきっかけは何ですか?
子どもの頃から絵を描くのが好きで、それをそのまま続けているだけですね。だからきっかけというきっかけはないと思います。けれど絵を描くことと自分の性格の相性は良かったかもしれません。幼少期の僕は無口な方だったし、周りの社会にそれほど興味はありませんでした。だから自分の小さな世界で絵を描くことを楽しんでいました。
Q:無口だったんですね。現在は自身のアトリエや美術大学の講師としてもご活躍されていますが、幼少期からどのようなタイミングで変化がありましたか?
たしかに僕は10代後半までほとんど喋らない子どもだったと思います。だから今みたいに、人と接して絵を教えるようになるとは到底思ってもいませんでした。タイミングといえば受験時代の美術予備校に通っていた時期ですね。そのきっかけは、絵と真剣に向き合ったことが大きかったです。絵を描いていると伝えたいことや喋りたいことが生まれて、自然と自分の小さかった世界が広がっていきました。それに、有名な画家の作品を見ていく中で、自分は絵を鑑賞することも好きなのだという新たな気付きがありました。ただ単に絵を描くことだけが好きだったら今みたいに講師をやってはいなかったかもしれません。絵は個々が意味を持っているし、語りたい内容もたくさん詰まっています。絵に興味のある人たちとアトリエや大学で会話することはとても面白味がありますね。
記憶で重ねられた心象世界
Q:どのような作品づくりを目指していますか?
僕は現実そのものを描きたいという気持ちがあります。大学院に入る前は自室をひたすら写実的に描き続けている時期がありましたが、「これで現実を描いていると言えるのだろうか?」という疑問が湧いてきました。そこでそのまま目に見えているものを描くだけじゃなくて、それを見ている時に思い出している幼少期の記憶や頭の中に生まれる景色を丸ごと描くことが、現実を描くことに繋がるのではないかなと思ったんです。僕の作品を観た方から、シュルレアリスムの雰囲気や懐かしさを感じると伝えられることがあります。シュルレアリストは幻想的な作品というよりかは、記憶や生活に根付いているモチーフを使って現実をより詳しく描こうとしています。だから同じような意識を持って制作しているのかもしれないですね。懐かしさに関しては、僕の記憶の中にある故郷が今もなお変わらない下町の雰囲気が漂う地域であるということが関係しているのだと思います。僕にとっては昔も今も一繋がりになっている気持ちで描いていますね。
Q:そうなんですね。たしかに作品世界の時間軸として「過去」を描いているように感じていました。
特に過去っていうのは自分の中でずっと残っているもので、それこそ小さなエピソードが今でも反復して、思い返しています。だから同じ場所を描いているとも言えますね。特に制作するためにキャンバスへ向かうときには自然と幼少期の記憶が思い浮かんできて、それがテーマになっていることが多いですね。
僕はエスキースをしないんです。結果的に計算しているような構図になるんですけど、スタート自体は白いキャンバスを目の前に置いて、しばらく椅子に座りながら見ています。そのときに子どもの頃の記憶が頭の中にチラついて、ぼんやり見えてきた風景に線を引いてみます。そうするとその一つの線が、ある場合には水平線に見えてきて、奥に空や丘が見えてくることで構図が決まってくるのです。
“特定の人の物語にはならないようにしています”
Q:後ろ姿の人物が登場することが多く顔が描かれないのが特徴的に感じます。そこに意図や理由はありますか?
元々自分は人がいない風景を描いていたのですが、その中に見る人が自分を投影する存在として人の姿が欲しいと思う時期がありました。それで描き始めたんですけど、誰々と「特定されない存在」にしたかった。
始めはニュルニュルっとした真っ黒の人だったんですよ。だけど描いていくうちにそれ自体に個性が生まれてしまった。それだと意図が変わってきてしまうから、服とかは普通に着ているんだけど、顔が見えない状態にしました。顔が見えないと決定的に誰々とわからなくなる。そういう匿名性みたいなもの。顔を隠すというルールを決めて描き始めたのが、後ろ姿の人物ですね。
その後は匿名性に加えて「複数の時間軸」が欲しくなったので、シルエットの人物を描き始めました。今そこにいる生々しい人間じゃなくて、過去にいたけど今はもういないものとしてシルエットの人物を増やしていきました。
また、作品世界が特定の人の物語にはならないようにしています。仮に僕の記憶から導き出された世界だとしても、それが他の誰かの物語になり得るような、そんな作品にしたいですね。
“移り変わっていくもの、突然さというものに僕は、リアルさを感じる”
Q:インスピレーションを得るために何をされていますか?
よく1人で街を歩きますね。すると、古い倉庫や家、商店があります。期間を置きながら何回も通ってるとそれが唐突に無くなる。こういうアトリエなんかも多分使わないとすぐ無くなっちゃうと思うんですけど、そういう風に移り変わっていくもの、突然さというものに、僕はリアルさを感じる。無くなる時のあっけなさというか。
Q:大川さんの表現は、年を取る毎に記憶やイメージが積み重なって作品に奥深さが増している感じがします。
そうですね。こんなにモチーフがたくさんある絵を描こうとは思ってなかったんですけどね(笑)。制作をしてくうちに、絵の要請というか、絵がこうして欲しがってるというものを受けて自然とイメージが積み重なってきたという思いの方が強いですね。やっぱり自分が決めれることじゃないというか。だからそのうちにシンプルな作品を描くことがあるかもしれませんよ。
“テレビは傷がついたら不良品じゃないですか、そういうものに絵をしたくない”
Q:絵がどんな存在であってほしいですか?
僕は無造作な感じが絵の中に欲しいんですね。工場とかで作ったピッカピッカなものにしたくない。場合によっては壊れるし、場合によっては傷がつく、そういうことが起こり得るもの。そして、それによって作品の内容が変わんないものを作りたいし、そういう絵が好きなんですね。テレビは傷がついたら不良品じゃないですか、そういうものに絵をしたくない。やっぱり作品が作家のそばにある時間なんて、絵の一生で言うと一瞬だし、そういう時間軸に作品を置きたくない。作品が離れてから何が起こるかなんてわからないので、そういう風になったとしても作品の内容が残るようなものにしたい。
Q:アトリエも必要なところをちょっとずつ改修するっていう感じがします。
この雰囲気は、僕が好きだと実感できるものと通じている気がする。古いには古いんですけど、お寺とか神社とか文化財みたいな場所じゃなくて。時間が経って出た風合いだとか見え方の面白みだとかいうものは、文化財じゃなくてもあるし、こういう下町みたいな場所で過ごしていたりすると、そういうものを感じるんですね。「成長」って言葉にはプラスなイメージがあるじゃないですか。だからどちらかというとここでの改修は「変化」。
「変化」っていうと古びて風化することも含まれますから。「施設は綺麗に全部整ってるのがいいんだ!」って考え方があるかもしれないけど、このアトリエのように、ちょっと寒かったり暑かったりするのも、それはそれでいいんじゃないかな(笑)。
現実社会における美術、その境界について
Q:今回のインタビューテーマ「境界」について。大川さんにとって作品世界が現実社会の中でどのように存在していて、その「境界」はどのようなものだと思いますか?
メールを貰った時に現実社会と作品世界の境界をテーマにするという話を聞いていたので、どんなものなのかなって考えたんですけど、やはり一つは現実社会の「内側」にあると思うんですよね、作品って。
その二つが隣り合って接するというよりかは、現実の中に作品が入っているようなイメージ。そういう意味で包まれているような「境界」が思い浮かびました。
だけど、現実社会というのを定義付けるものとして「認識しているかどうか」っていうのは考えなきゃいけない問題だと思います。シュルレアリスムの考えとちょっと近いとこもあるんですけど、現実の中で自分が認識できていることが実は一部なんじゃないかという考え方なんですね。だから、作品は現実の中に入りつつも全部が認識しているものの中で済ませるんじゃなくて、もう少し広い現実社会があってその中に入っている。そのため、その中にある作品世界は、認識しているところが半分、認識してないところも半分ある。
そんなイメージかなと思います。
“ある見方をすると作品っていうのはすごく大きなものを内包しているような形になるんじゃないか”
Q:影響を受けた考え方やモノはありますか?
見方を変えると元々見えていたものが違う見え方することには興味があるし、受けてる影響があります。例えば、赤瀬川原平さん。何気ないようなものなんですけど、ある見方をするととっても面白く見える作品を作っていて、学生の時に影響を受けました。今も少し影響を受けているかもしれない。起こっていることは日常的な出来事なんですけど、やっていることはすごく壮大なことをしている。そういう風に見方を変えさせてくれる作品はすごく面白く感じていましたね。そういう風な面でいうと、ある見方をすると作品っていうのはすごく大きなものを内包しているような形になるんじゃないか。描く時にはそういうことを自分の中で考えています。
(インタビュー:2023年6月)