ありのままの私が向き合うカテゴライズされる私

武蔵野美術大学

ありのままの私が向き合うカテゴライズされる私

PEOPLEこの人に取材しました!

ギャランティーク和恵さん

歌手、バーの経営者

歌手や、バーの経営など多岐にわたる活動をしているギャランティーク和恵さんに、個々の表現の自由が尊重されている昨今で、自分がカテゴライズされることや、ありのままの自分を多角的に見せるにはどのようにするかという視点から、お話を伺いました。私たちは、ギャランティークさんが経営していらっしゃる「喫茶まちぶせ」にてインタビューを行いました。
〈プロフィール〉
学生時代に、昭和歌謡の奥深さに魅入られ、美大の学祭等でパフォーマンスを披露する。2002年には本格的に歌手デビュー。並行してミッツ・マングローブ、メイリー・ムーと共に「星屑スキャット」として活動している。歌手活動の傍、新宿ゴールデン街にて自身のバー、「夜間飛行」を2007年にオープンし、2022年には市谷柳町にて「喫茶まちぶせ」の経営もスタートさせた。

武蔵美時代から今に

Q:今回、どうしてインタビューを受けてくださったのですか?

武蔵美からのお話だったから。武蔵美関連のことで色々紹介されたり、お誘い受けるっていうのは私にとっては、ちょっと光栄なことだし、喜ばしいことだし、私の出身の大学だし。私は卒業できなかったけど(笑)。なんか、自分の好きなことばっかりしてて、それで結局は強制退学みたいになって。ちょっと後味が悪い思い出が残ってるんで、それが、こういう形で呼んでいただいて補修できてるような気持ちになるのよね。

Q:武蔵美時代の今につながっている経験を教えてください。

大学入る時に、私はデザインをやりたいってのもあったんだけど、舞台に立って役者がやりたいと思っていたの。それで劇団むさび(武蔵美の大学の劇団サークル)に入って、役者を目指して頑張ってたんだけど、なんか色々自分の中でしっくりこないものがたくさんあって。その1つが、私、福岡出身で、方言が取れなくて、全然自然に喋れない。あと、その時ゲイだってことをカミングアウトしてなかったから、自然と男役をあてがわれて、自分の中での男らしいっていう芝居が、どうしてもできない。だからといって、別に女性役になりたいとは思ってなかったんだけど、男を演じるっていうリアリティが持てなくて、お芝居に関してはすごい苦痛になったの。それで、一旦お芝居から離れて、昔から好きだった歌謡曲をやろうと思ったの。テレビで見るような歌謡ショー、 衣装だったり、ヘアメイクだったり、いろんな好きなものが詰まった歌謡曲の世界を、舞台でやってみたいなって思って、有志で20人ぐらいのダンサーとバンドを集めたグループを作って、人前で初めて女装して歌った時にすごく自分の中でしっくり来たの。歌ってイントネーション、方言も関係ないでしょ?メロディーを歌えばその通りになるから。あと、歌うことで、性別を軽々超えられるっていうか。男の人が女の歌を歌っても、女の人が男の歌を歌っても、一人称が僕でも私でも成り立つ世界を素晴らしいと思ったの。武蔵美の芸術祭の野外ステージでやったんだけど、クラスの友達とか教授とかが普通に見に来て、いいね、面白いねみたいな感じで、何の違和感もなくね。お前、毎年やれよみたいなことも言ってくれたり、応援してくれたりとかして。武蔵美はそういう偏見が起きにくい環境で嬉しかったな。

どもの頃からの信条

Q:福岡で生まれ育って、大切にしていることはありますか?

答えになってるかわからないけど、大事にしてるものは、自分の中でずっと誰にも言えずに抱えていた時の自分。男の人が好きだし、でも親には絶対、自分がゲイだってばれたらまずいから、ちょっとした証拠でも残らないようにするために、例えばテレビとかで、いい男とか出た瞬間に、見ないようにしなきゃとか、そういう反応さえ見られてんじゃないかとか、言動まで気をつけてた。学校の中では、ゲイかもっていう疑いはやっぱりかけられる感じはあったんだけど、中高の子たちは、そんなにゲイっていう生き物を知らないし、私もその頃はまだゲイに出会ったこともなかったから、誰とも恋の話はできないという寂しさはあったけど、男の人が好きであることは絶対にバレないようにするっていうそのストイックさは、自分のセクシャリティに気づいた時からもうデフォルトで備わってて、このことは誰にも言わないで秘めていかなければいけないっていう覚悟があった。それは自分の人生でやっぱり1つ経験した、耐え抜くという経験だから、その時の自分が今の私をつくっていると思う。

歌謡曲を現代、そして未来へ繋ぐ

Q:歌謡曲を歌われていますが、いつ頃から興味を持たれたのでしょうか?

きっかけとしては、10歳にもなってないぐらいの時に、テレビで山本リンダさんがゲストで出演している番組があって、パンタロンを履いて歌っている彼女のパフォーマンスを見てかっこいいって思ったところから、70年代ってこんなかっこいい時代だったの?って、その時はもう80年代だったらカルチャーショックだった。おしゃれで、楽曲のカッコ良さにも惹かれて、それから、CDショップに行ったりとか、親に聞いたりとかしてどんどん歌謡曲にハマっていって。その後も色々聴いて、和田アキ子さん、欧陽菲菲さんとか、ちあきなおみさん、いしだあゆみさんとかのCDをレンタルしたり、祖父のコレクションだったカセットテープを借りたりして。同級生には、なんでそんなもの聞いてるの、とか言われたけれどね。

Q:和恵さんが歌う時の格好について気にかけていることはありますか?

衣装を昔のデザインのままコピーみたいにするんじゃなくて少し現代的に変えてるかな。2000年初頭ぐらいから私は歌手活動し始めたんだけど、その頃、同時多発的に歌謡曲をカバーする歌手がたくさん出てきて、その人たちのほとんどはレトロな格好をしてるわけ。もちろん昭和歌謡を歌ってるからファッションとしても正解だしワタシも好きなんだけど、私はもう少し現代的に、変換していかなきゃいけないなって思う。昔っていうイメージをそぎ落として、シンプルに楽曲の良さを現代に、かつこれから先に伝えるということが、大事な気がするの。私の歌謡曲が好きっていうアイデンティティーはどう料理されても揺るがない自信はあるから、逆にもっと現代的に、サウンドやグラフィック、ファッションでも、新しい感覚の人たちとコラボレーションしたりして、歌謡曲がただ懐古的な嗜好品にならないように私はしてる。

和恵さんが歌謡曲を歌っている様子

お客さんと作るパブリックなプライベート空間「夜間飛行」

Q:「夜間飛行」の成り立ちを教えてください。

「夜間飛行」の前身は、1970年代ぐらいからやっている古いお店で、その時のマスターが病気で倒れて店を閉めることになっちゃったの。その店はゴールデン街の歴史の中でも有名な老舗で、マスターが倒れた噂を聞いたゴールデン街のマスターやママやその店の常連さんたちが店に集まって、なんとかこの店を残して引き継いでくれる人がいないか探してて、ある人が、その店がちあきなおみさんのレコードのジャケット写真に使われているということにピンときて、これ、和恵ちゃんにお願いしたらやってくれるかもしれない、彼女はちあきなおみさん好きだから!ということで話が来たの。

その時にたまたま私が無職で、そのタイミングでその話が来たもんだから、これは運命だなと思って、働くことになったのね。ただ、昔の店名「桂(けい)」という名前を引き継ぐには荷が重かったから、店名だけ変えさせてくださいってお願いして、私の大好きなちあきなおみさんの曲から選んで「夜間飛行」という店名にしたの。

Q:歌手としてご活躍されお忙しい中、それでもお店を続けているのはなぜですか?

最初は歌手やりながらお店をやるのは嫌だったし、お客さんにも、あなたの本業はどっちなの?とか言われることもあった。私は純粋に歌手として見てもらいたいのに、ゴールデン街のママっていうイメージがどうしてもくっ付いてきちゃって。だけど今になって、これは私にとって歌手としての大事な個性の一つで、誰にでもできることじゃないんだってことにだんだんと気づいてきたの。どんなに忙しくなってもこのお店に立ち続けることは私にとって大事なことなんだって、今では素直に思えるようになったかな。

和恵さんが経営する「夜間飛行」

わかりやすい」と「本当」の間から見えてくる共生

Q:ドラァグクイーンとはなんですか?

ドラァグクイーンっていうのは、基本男性が女性を大袈裟に誇張したような派手なヘアメイクだったり、奇抜なドレスを着て、クラブシーンで盛り上げたりパフォーマンスをしたりする人たちのこと。私はドラァグクイーン界隈の人たちと昔から仲良くて、交流も多かったから世間的にドラァグクイーンって呼ばれるようになったのだけど、私としてはドラァグクイーンとはちょっと言えないんだけどなってのはあるわね。どちらかというと女装。女装が自分にとってしっくりくるかな。もともと私はドラァグクイーンのコミュニティから活動を始めてなくて、ライブハウスでただただこの格好で飛び込んで歌ったところから始まっているから、私は女装はしてるけど、ドラァグクイーンではないなと自分では思う。そういうのも難しいのよね、カテゴライズっていうのは。他人がそれで分かりやすいならいいよって感じだし。それで説明しやすいんだったら、そうやって呼んでくださいっていうところはあるかもしれない。

Q:「わかりやすさ」のためにカテゴライズして見られた経験はありますか?

ゴールデン街でお店やってるってだけで、「ゴールデン街のママ」っていうキャッチーなものに引っ張られて、本当は歌手のことで取材を受けたかったのになって思ったことはある。やっぱりどうしても目立って見えてくるものにスポットが当たって、その人の代表的な見え方になってしまったりとかっていうのはあると思う。バラエティー番組でそうやって取り上げられることも過去に数回あったり、ちょっと悲しい思いはするわけだけど、それでも有り難く思わなきゃいけないということもあったりするのよね。新宿ゴールデン街でママをしながら歌手をやっているっていう、そういうキャッチーなもののおかげで、ちょっと人目について知ってもらえてるわけだし、それは不本意な形だったかもしれないけど私の全部を理解してもらおうっていうのはすごく時間はかかるから、まず最初に1つ1つ分かりやすいところからクリアして、そこからさらに興味を持つ方がいてくれればって思う。だからといって、すごい雑にカテゴライズされて、不本意な感じでは扱われたくはないけどね。

Q:昨今の色々な事柄をカテゴライズしようとする風潮についてどう思いますか?

わかりやすさとしては必要だと思う。説明がつきにくいものってモヤっとしちゃうし、人はそういうものに恐怖みたいなのを感じるだろうし、もしわかりやすくカテゴライズができれば、なるほどそういうことねって理解しやすいってのはあるとは思う。LGBTQとか、今までにはなかった言葉でね。昔はゲイとレズビアンがいわゆる同性愛者の部類で、バイの人はバイで、トランスジェンダーの人はトランスジェンダー、一緒のコミュニティにはいなかったのに、ある時、急にLGBTQでまとめられちゃったのよね。それで、私たちは性的マイノリティです!みたいな。そのマイノリティもそれぞれ状況は全然違うし、その人の環境の中での苦しみってのも全然違うと思うし。LGBTQとかでまとめられちゃうとちょっと違うし、そのカテゴライズによってこじらせてることはたくさんあると思う。ただ、LGBTQっていう言葉を使うことで、性的マイノリティの人たちが生きやすい法律の見直しだったり偏見とかをなくしていこうっていう活動の力はなっている部分もあるし、そういうわかりやすさとしては必要だと思う。

Q:最近の多様性を追求する社会は、それ以前と比べて生きやすいと思いますか?

例えば、昔だったら、テレビで女芸人が容姿でいじられたり、なよっとした男性がオカマだとか揶揄されても、笑ってごまかしてなんとかやり過ごせばその場が丸く収まるんだからしょうがないっていうような我慢を、今はもうしなくていいって時代にはなってきてて、笑われたり蔑まれたりすることなく自分らしく自然でいられるという部分ではとても幸せな感じもする。だけど、ただわがままに自分はこうでありたいという主張を個々で持つ人たちの意見も多様性として受け入れていくと、社会が成り立つためのバランスが崩れてしまうんじゃないかっていう気もして、互いが互いを、尊重するどころかむしろ監視してるような感じもするし、少し窮屈になってきてるようにも思う。でもこの流れはもう戻せなさそうというかね。だとしたら、この先にどういう形の社会があれば居心地がいいのかとか、あるいはどういうふうに自分の居場所作っていけばいいのかってすごく難しいし、あんまり考えられてないけど、今私は、求められていることのありがたさの方に目を向けて、そのために何をしようかなって思ってる。昔みたいに自己表現を追求するばかりじゃなく、自分がこれまでに培ってきた環境や出会いをありがたく受け止めて、ただただこうなりたい、こういう風に見てほしい、知ってほしいっていうのじゃなくって、 今自分が求められてるってものにとにかく答えるってことをしようと思ってる。

和恵さんが経営している「喫茶まちぶせ」

(インタビュー:2024年6月)

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