移住
移動する人々
異文化交流で世界がカラフルに
国際交流基金・日本語専門家
藤田智彦さん
アナウンサーをやめて、日本語教師に。韓国、日本、そして台湾で日本語を教える。日本語教師の経験を経た藤田さんの異文化理解への見方についてお話を伺った。(続きを見る)
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藤田智彦さん
アナウンサーをやめて、日本語教師に。韓国、日本、そして台湾で日本語を教える。日本語教師の経験を経た藤田さんの異文化理解への見方についてお話を伺った。(続きを見る)
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日本語教師
片山恵さん
北海道出身。過去には、オーストラリア、フィリピン、アメリカ、ブラジルで生活した経験をもつ。現在は国際交流基金ブダペスト日本文化センターに勤務しており、ハンガリーに在住。海外での日本語教育の他に日本語教育者育成にも携わっている。 また、海…(続きを見る)
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移動する人々
東京外国語大学 世界言語社会教育センター 特任講師
Palma Gil Florinda(パルマ ヒル フロリンダ)さん
現在東京外国語大学でフィリピン語を教えている。1997年から2002年までフィリピン大学言語学学科で学ぶ。その後、日本語教師として活動。2017年からは来日し、日本で暮らしながらフィリピン教育に専攻を変えた。日本とフィリピンとの架け橋として…(続きを見る)
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移住
移動する人々
文化庁国語課 日本語教育調査官
松井孝浩さん
地域の日本語教室でのボランティア経験をきっかけに日本語教師としてタイやフィリピンに赴任。横浜市の多文化共生に関する施設での勤務を経て、現在は、文化庁国語課に勤務。海外を訪れて感じた「言語」という壁に対して、松井さんが行った活動やその活動のお…(続きを見る)
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移動する人々
Japan Australia Life Company最高経営責任者/ ZeeCaf. Nosh Co.オーナーバリスタ/日本語教師/トラウマヒーラー
尾島ヴァンダメイ幸香さん
オーストラリアへ渡りJapan Australia Life Company(JALC)の主任として日本語講座、日本語教師養成講座を開講。多くの生徒との関わりの中で、トラウマヒーラーとしても活躍する。そして2017年、シェフである夫リックさ…(続きを見る)
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移住
移動する人々
横溝みえさん
ブラジルのサンパウロ州の隣にあるマイリポラン市に滞在しています。2005年に初めてボランティアで JICA日系社会青年ボランティアの日本語教師としてブラジルに移動し、2年間活動しました。その後、2007年に日本に帰り、また2008年、ブラジ…(続きを見る)
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社会
境界線を越えて協働する
日本語教師・一般社団法人やさしいコミュニケーション協会代表
黒田友子さん
皆さんは、やさしい日本語を知っていますか。やさしい日本語とは、日本で暮らす外国人にとってわかりやすい日本語であり、外国人へ情報伝達の方法として誕生した言葉です。現在のコロナ禍でも、日本には多くの外国人が住んでおり、情報を必要としている人々が…(続きを見る)
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移住
日本を飛び出した人たち
ハウスオブジョイ 事務局⻑・副院⻑
澤村信哉さん
フィリピンで⽇本語を学ぶ⼦どもたちの教育環境を⽬の当たりにし⽇本語教師になる道へ進み、8年間フィリピンで、2年間ブルガリアで⽇本語教師として働く。2008 年から、⼦どもの⾃⽴⽀援や就学⽀援のためのプロジェクトを⼿掛ける児童養護施設ハウスオ…(続きを見る)
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移住
日本を飛び出した人たち
一二三日本語教室主宰
鬼一二三(おに ひふみ)さん
「移住」と聞いて誰しも目的は何だったのか考えるだろう。夢を追う為、成長する為。鬼さんの移住は「この為に」ではなく、幼い頃からどこにいても好奇心を持ち、置かれた環境で勉強し続けた彼女の自然な流れとも言うべき人生選択であった。その先で出会うあた…(続きを見る)
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移住
日本を飛び出した人たち
ニュージーランド・カンタベリー大学人文学部日本語プログラム、Lecturer
荻野雅由さん
日本で英語教師のキャリアを経て、現在ニュージーランドで日本語教師として教壇に立たれている荻野雅由さん。荻野さんはなぜ移住という選択をされたのか。海外移住の決断や日本語教育への信念を伺いました。…(続きを見る)
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