ミャンマーで友人の結婚式に出席(右が八野さん)
ミャンマー初出店となるフレッシュネスバーガーのマネージャーとして20人の現地スタッフを束ねる八野嶺太さんの「んじゃめな!」
*...*...*...*...*...*...*...*...*...*...*...*...*...*...*
私は日本人の父と中華系マレーシア人である母の間に生まれました。
3歳のころ、図書館で母が私に話しかけたところ、周りの人が一斉に「外国人?」という目を向けたことがあったそうです。それがいやで「二度と中国語で話しかけるな」と言ったらしいです。
それ以来、母は私に中国語を教えることをあきらめたようです。それでも特殊な目で見られることがあったので、目立たないようにしていました。ハーフであることはマイナスだと思っていたんです。
その考えが変わったのは、高校生になってTJFの「漢語橋:日中の高校生サマーキャンプ」に参加したときです。中国語を学ぶ高校生が中国の高校生と交流するプログラムでした。サマーキャンプではグループのリーダーを任されました。周りからは「中華系ハーフなんだから中国語が話せるでしょ」と思われていたのでしょう。ハーフであることで期待をかけられた初めての経験でした。
参加したほかのみんなは優秀で自分をしっかりもっているのを見て、自分の強みは何だろうと考えていたときに気づいたんです。ハーフであることが、私の個性であり、強みになると。
実際には、中国語が思うように話せず、メンバーをまとめられなくて、悔しい思いをしました。ちゃんと中国語ができるようになれば、ハーフであることが本当の強みになるはずだ、と強く思うようになりました。
大学時代、台湾に2回、足かけ2年留学しました。今では中国語の会話には困りません。でももっと磨きたいし、マレーシア語も話せるようになりたい、英語ももっと自由に話せるようになりたいです。
もちろん、ことばが話せるだけでは、世界では通用しないことも感じています。
大学時代は積極的にいろいろなバックグラウンドをもつ人たちと交流する機会をつくるよう心がけました。これが今の仕事にいきていると思っています。
今はもう、ハーフであるとか、日本人であるとか、マレーシア人であるとかにはこだわっていません。
私は私です。次は世界中のどこでも通用する国際人になるのが目標です。