来日して33年の胡興智さんは、中国語を教える傍ら生け花を続けて20年。草月流一級師範の免許を持つ。花を生け続けて見えてきたものは? 胡興智さんの 「んじゃめな!」。
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◎華道を通して知った「異質」は「個性」
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ご縁があり、教室に誘われたのが華道との最初の出合いでした。稽古では、さまざまな花材が準備されていて、基本花型から自由花まで、ベテランも新人も一緒に花を生け、先生に見ていただきます。
同じ花材を使って生けても一人ひとりまったく違う作品ができるところもいいですね。花と向き合っているときは、自分が日本において「異質」であることは忘れています。そしてときに先生にほめてもらうと達成感を感じます。
生 け花には美しい花だけでなく、枯れ枝など異質な材料もよく使われますが、花と異質なものとが互いに美しさを引き立て合い、素晴らしい作品ができ上がる。こ のように、「異質」「違い」を超えた「個性」を大切にする日本の伝統文化が存在することを、もっと外国人にも知ってほしいと思います。
◎まずは自分の文化を知ることから
日 本で外国語を学ぶ人たちは、外国の文化は熱心に吸収するものの、自国の文化を知り、それを伝えることに消極的な人が多いようです。先日、中国語を学ぶ日本 人学生たちが中国人留学生に生け花を紹介して、一緒に生けるという試みをしました。そのとき、花の茎を切った経験もない日本人学生がいて驚きました。
外 国語を学び、外国人と付き合っていく上で、自国の文化を発信できなければ双方向の交流はできません。ですから、お互いにまず自分の国のことを知る必要があ ると思います。そして、自分の文化を伝える一つのツールとして外国語を学び、自分のことばで伝えられるといいですね。このとき、違うところに目を向けて、 違いについても認識すべきだと思います。
日本に長くいると、同じことを求められることが増え、誤解も増えるようになったようなきがしま すが、異文化同士、差異があることを前提で付き合わないと誤解したり、されたりすることが多いのです。「間違っている」ではなく、「違っている」ことから 出発すれば、行き違いが生じたときも、すぐ相手を非難するのではなく、異文化摩擦が原因ではないかと冷静に考えることもできますし、無用な誤解も減らすこ とができると思います。
◎生け花を続けてきて
生け花を続けてものの見方が変わりました。例えば、枯れ枝はきれいではないと思っていましたが、異質と思えるきれいな花と共に生けることで双方の良さが出てくるのです。
このことは学生に対しても同じです。以前は個性的な学生に対して、正直ちょっと困ったなと思っていましたが、今はそれもまたいいし、その学生に助けられることさえあることに気づくようになりました。
「花 は人なり」という草月の元家元の勅使河原蒼風先生のことばがあります。花は同じでも作品は違い、一人ひとりの個性が表れるという意味です。そのような生け 花の心を表す言葉がちりばめられた蒼風先生の『花伝書』を中国語に翻訳し、中国で出版することは私の長い間の夢です。そのために、日々研鑽してきたいと思 います。