2001年4月号 教えることは教わること |
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60年代、私は東北林学院で木材工業を習いながら、時間を作って日本語を独学し始めましたが、二年も続かず、その後十余年間勉強を中断していました。1979年教鞭を執るようになり、改めて日本語を選びました。それからもう20余年になりますが、その間私自身、どれぐらい勉強に頑張り、努力したかわかりません。そして、「教えることは教わること」という言葉の意味を誰よりもしみじみ感じたと言えるでしょう。 ほかの国の状況はわかりませんが、中国、少なくとも本省の日本語教師の中には、レベルがあまり高くない教師も少なくありません。私は彼らに呼びかけたいのです。「石の上にも三年」という言葉がありますが、意志さえあればできないことはないと思います。「卒業証書をもらう機会がなかった」「私はレベルが低くてだめだ」と嘆いてばかりいないで、一生懸命勉強し授業の研究をしさえすれば、誰にも輝かしい未来があると。今日では、辞書も参考書も多く、テープやCDやビデオなどもあり、また、『ひだまり』のような雑誌も励ましてくれます。私の時代とは比べものにもならないほど恵まれた環境です。あとで悔いることのないように、自分で自分を充実させ、自分で自分を満足させるように努力することが大切だと思います。 私は『ひだまり』を愛読しています。その中の文章を使って読解問題を作ったりもしています。『ひだまり』は私の勉強と授業にとても役に立っています。これからも授業と勉強によりよく生かしていきたいと思います。 私は今学年で定年退職をする予定ですが、日本語教育と日本語の勉強は続けていくつもりです。ここ数年、高校のほかに、民営の日本語学校でも教えています。日本語は独特の民族性のある美しい言語だと思います。もちろん、ハングルも中国語も美しい言語ですが、私にとって日本語は勉強し続けてきた言語ですから、もっと親しみ深く感じるのだと思います。 中国黒龍江省寧安市朝鮮族中学
潘帆進 |