2004年7月 日本語選択、後悔するのはやめよう! |
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日本語と英語の2科目を開設している省内の一部の朝鮮族中学校では、どちらの外国語を選択するかで迷っている生徒がいる一方で、途中で日本語から英語に変えてしまう生徒もいる。それは、単に生徒の学習の質的向上に影響を与えるだけでなく、せっかくの努力も時間の浪費になってしまう。 生徒たちになぜ日本語を学ぶのか、と尋ねると、大半が大学入試や日本留学、あるいは今後の就職のため、と答える。各人がそれぞれ将来に対するしっかりとした学習動機があることが分かる。 大学入試の角度から、日本語学習の意義について分析してみよう。 朝鮮族学校の日本語教育は比較的歴史が古く、ほかの外国語教育よりも盛んである。朝鮮族の学校はすでに20余年の日本語教育の経験と大学入試指導の経験があり、しっかりとした教授法体系が形成されている。また、優秀な教師陣も揃っている。加えて、日本語は朝鮮語と語順が似ており、朝鮮族が学ぶのに大変都合がよい。日本語を学習したおかげで、朝鮮族の生徒たちは長年にわたり大学入試で漢民族と肩を並べており、清華大学、北京大学をはじめさまざまな名門大学に多数の生徒が進学することができた。最近の大学入試の日本語と英語の成績を比べると平均20点の差がある。1点の差で大勢の生徒の合否が分かれる大学入試で、これは驚くべき数字である。学力、学位で人材を判断してきた中国の現体制で、大学進学は依然として個人の出世の近道であるから、朝鮮族の生徒たちにとっても日本語の学習は大学進学やその後の進路において非常に有利であるといえる。 もちろん、大学入学時に一部の専攻の選択において、日本語履修者は制限を受けてはいるが、日本語の受験生が英語の受験生よりもはるかに少なく、またいろいろな大学で徐々にその制限をなくしているため、日本語を選択する生徒には大きく影響しないと思われる。修士号、博士号などの取得においても、多くの専攻科目は日本語での受験が可能である。筆者も経済学の修士課程の外国語試験は日本語で受験した。 現在の就職状況を見ても、日本語を流暢に操ることができることで、大学には進めなくとも活路を見出す生徒たちは多い。特に南方には、多くの日本企業が進出しており、就職の機会が比較的多い。朝鮮族は日本語学習での優位を十分に生かし、独自の特性で社会的地位を固めるべきである。英語は世界の共通語であるだけに、学習条件や機会の面でその他の言語よりもはるかに環境が整っているので、今後、仕事や学習の過程で必要に応じていくらでも学ぶことができる。 小学校・中学校の段階は、外国語学習において重要な時期である。すでに日本語を選択した生徒は、自分の選択を信じて粘り強く学習を続けていけば、必ずや自分の進路を切り開くことができるであろう。 黒龍江省教育学院
張石煥 [黒龍江新聞(2004年3月15日)より抜粋、原文朝鮮語] |