2004年10月 私が見た日本の子供たち |
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私は2002年の秋、内蒙古と交流関係にある兵庫県和田山町の招待で、訪日研修の機会を得ました。 人口約1万7千の和田山町には、中学校、高等学校が各一つあり、小学校は五つあります。初めて中学校の授業を参観した時、変に思ったことがありました。授業中だというのに生徒たちがまじめじゃないような気がしたのです。気になって様子を見ているうちに、生徒と先生の会話を聞いて、その理由が何となく分かりました。時々笑い声が聞こえ、先生に冗談を言う生徒もいます。生徒たちはまじめじゃないわけではないのです。あまり緊張感はないようですが、楽しく活発な授業でいいなと思いました。また、どの学校の先生方も、生徒たちに対して、先生というよりも、お母さんのように接しているように思いました。私は一度もそういう態度で生徒と接してこなかったことに気づかされました。 ほかにも運動会や文化祭などいろいろな行事を見ることができました。生徒たちが運動会で見せてくれたひたむきな姿は本当にすばらしかったです。文化祭では中学生たちが感情を込めた立派な演奏を披露しました。私はその演奏に感動して、涙が出ました。 ある時、和田山中学校の先生が生徒について、「今の学校の様子をいうと、少し落ち着いていないんです」と話されました。本当にそうでしょうか。私は自分が少年だった頃のことを思い出しました。私は一生懸命に努力しているのですが、父はよく「お父さんの小さい頃はもっと頑張っていたのに、君は何をしてるんだ」と言うのでした。そして、今度は自分が父親になり、同様に自分の子供を叱りそうになる時、父のその言葉を思い出して、ついひとり笑いをしてしまいました。たぶん、親と子には永遠にそういうエピソードがつきまとうのだと思います。私は教師という仕事をしているので、このことがいつも気になります。教師も同じような立場にあるのではないでしょうか。自分の子供や自分の生徒にもっと頑張ってほしい、立派になってほしいという気持ちが強いのでしょう。 しかし、一方で、「今の子供は昔と違って毎日勉強、勉強、と追い立てられ、子供たちの集団で遊ぶことが少なくなった。社会性とか人間性の面で、将来大きな問題になる」と嘆いている人もたくさんいます。「満つれば欠ける」という諺がありますが、子供たちのこの状況もそうではないでしょうか。 私は日本語の教師をしていたといっても、たかだか、日本語の教科書に書いてある文章を説明したり、読んだりするだけでした。日本文化については、あまり知らなかったからです。だから、この3ヵ月は短い期間ではありましたが、いろんな体験をさせてもらいました。これらは、豊かな財産として、故郷の中国に持ち帰り、実践に生かしたいと思います。内モンゴルの生徒たちへの、すばらしいプレゼントにもなるでしょう。そして、日中両国の友好関係が続くよう、また両国の生徒たちがこれから、もっともっと深く付き合っていけるようにと願っています。 内モンゴル通遼市カンチカ第二高級中学
孫宝民 |