吉田功二郎同学生活在一个5口之家,家里有爸爸、妈妈、哥哥和妹妹。他现在住在兵库县姬路市,是私立市川高中3年级的学生。功二郎从高一开始就加入了弓道(日本的传统弓箭)课外兴趣小组,现在担任着小组的队长职务。从前的功二郎很少能做到把一件事从头到尾坚持做下来,现在能连续3年坚持弓道小组的活动,使他建立起了“自己也能持之以恒”的自信。自从上了高中后,
功二郎逐渐体会到了给自己制定一个目标并朝这个目标奋斗的快乐。他为自己已经能够独立自主地开辟着新的学校生活感到欣慰。中学生时的功二郎对父母的期待感到窒息,但上了高中后有了信心的功二郎渐渐地觉得父母望子成龙是理所当然的事,能得到父母的期待应该感到高兴才对。
功二郎从小就一直喜欢饲养各种各样的小宠物,还立志将来一定要成为一名兽医。为了实现这个梦想,功二郎每天都在勤奋学习,力争能考上大学。现在的功二郎无论在学习上还是在课外活动上都很积极、认真,
可以说每一天都过得非常充实和有意义,可是小学和初中时的功二郎却不大爱上学。那么,从前的功二郎为什么不爱上学,后来又是如何克服、如何变得积极向上了呢?让我们来听一听他自己的叙述吧。
1. 小学生 のころ
小学校3年生の春に、長崎県長崎市から兵庫県姫路市に引っ越してきました。この引っ越しは、ぼくにとってとても大きな「事件」でした。姫路と長崎では、違うところがたくさんあります。まず、言葉が違います。それに、住んでいる人の性格も違うような気がしました。それから、家の周りにある自然も違います。長崎では自然が多くて、学校から帰るとよく昆虫を捕まえに行きました。でも、姫路では、友達の家に集まってテレビゲームで遊ぶことのほうが多かったのです。ぼくは新しい環境になかなか慣れませんでした。姫路のクラスメートはぼくの言葉が変だと言ったり、嫌なことを言ったりしました。
同じ年の10月、学校で遠足に行きました。ぼくは高い所から落ちて、骨折してしまいました。そして、2週間ぐらい入院しました。退院したあと、ぼくはますますクラスメートのいる教室には行きたくなくなりました。それで、学校に行っても、教室には行かないで、保健室で過ごすようになりました。その保健室の先生はぼくの話をよく聞いてくれました。でも、4年生になると、保健室の先生はほかの学校に行ってしまいました。それ以降、ぼくは学校にほとんど行かなくなりました。両親はぼくを励まそうとして、よく旅行に連れて行ってくれました。
2. 中学生のころ
中学生になっても、学校にはあまり行きませんでした。親はぼくに「いい高校、いい大学に入って、いい企業に就職してほしい」と期待しているようでした。それがとても負担でした。だから、ぼくは毎日、家族とも話をしないで、自分の部屋で本ばかり読んでいました。そのうち、ぼくは「普通の中学生の生活」を送りたいと思うようになりました。
3年生のある日、ぼくは久しぶりに登校しました。たまたまその日の授業で、先生が私立高校の話をしました。その一つが市川高校でした。ぼくはその時、市川高校の推薦入試を受けたいと強く思いました。先生に相談すると、先生はぼくの気持ちをよく理解してくれました。そして、先生はぼくに推薦入試を受けるための条件を出しました。それは、「毎日学校に来ること」でした。ぼくは、「やるしかない」と思い、それからどんなに辛くても毎日学校に行きました。勉強も一生懸命しました。そして、無事市川高校に合格しました。ぼくが自分で高校を選び、努力して合格したことを、両親は心から喜んでくれました。市川高校に入学したら、今度こそ積極的に学校生活を送ろうと決心しました。