山本隆幸同学是大阪产业大学附属高中3年级的学生,18岁。隆幸出生在京都,从小就耳聋。隆幸家里有四口人,有爸爸、妈妈和姐姐。隆幸在高中参加的美式橄榄球队在去年和今年的全国高中美式橄榄球锦标赛中都拿了冠军,是一支非常强的球队。隆幸的生活每天都以打美式橄榄球为中心,可以说他在人生中所尝到的酸甜苦辣尽在美式橄榄球之中。隆幸说,与美式橄榄球的“相遇”改变了他的人生。
那么,美式橄榄球是怎样改变隆幸的人生的呢?让我们看看隆幸的自白吧。
アメフットとの出会い
ぼくは小学生の時にアメリカンフットボール(アメフット)に出会いました。自宅近くの小学校には難聴クラスがありませんでした。それで、ぼくは難聴クラスのある別の小学校に通いました。その小学校には、小学校にしては珍しくアメフット部がありました。ぼくは上級生が練習している姿を見てかっこいいと思いました。それで、3年生の時にチームに入りました。
ぼくにとって1アメフットはとても大切なものです。アメフットはぼくの眠っていた才能を引き出してくれました。アメフットを始めるまで2、ぼくは運動神経がいいと思っていませんでした。それから、アメフットのチームメイトと接する中で、友達との関わり方や言葉の使い方など、いろいろなことを学ぶことができました。以前は、友達とけんかになった時、気持ちを言葉にするのが間に合わなくて、手が先に出てしまうことがよくありました。でも、アメフットを始めてからは、そんなこともなくなりました。また、幼稚園のころ、発音訓練を受けて標準語を覚えましたが、アメフットを始めて友達とたくさん話すようになってから、自然に関西弁が身につきました。
アメフットはぼくの人生を変えました。もし、耳が聞こえていて、近くの小学校に行っていたら3、ぼくはアメフットと出会わなかったかもしれません。今は、むしろ難聴でよかったと思っています。
アメフットから膨らんだ夢
中学も、難聴クラスのある中学校に通いました。その中学校にはアメフット部はなかったので、地域のアメフットチームに入りました。中学校卒業後、スポーツ推薦で大阪産業大学附属高校のスポーツコースに進学し、アメフット部に入りました。附属高校のアメフット部はとても強いチームです。家から附属高校まで電車で1時間半もかかります。わざわざ家から遠い高校に進学したのは、強いチームでアメフットをやってみたかったから4です。
高校に入って、初めて健聴者といっしょに授業を受けることになりました。でも、小学校と中学校時代のアメフット仲間とのつきあいを通して、コミュニケーションにはほとんど不自由を感じなくなっていたので、健聴者といっしょに授業を受けても、困ることはありませんでした。
アメフットをやっていても、ハンディキャップを感じたことはほとんどありません。作戦の指示は言葉で伝えられるのですが、仲間たちはぼくのためにジェスチャーを使ったサインを考えてくれました。
アメフットは、迫力があって、男らしいスポーツだと思います。ぼくは大学生になっても、社会人になっても、ずっとアメフットを続けていくつもりです。そして、みんなに認められる完璧な選手になりたいと思っています。将来、チャンスがあれば、アメフット王国のアメリカでプレイしてみたいです。