環境活動家のテンダーさんは、生態系の再生と人びとの日常の困りごとの解決を同時に可能にする技術や仕組みを研究し、世界の人たちと共有しています。この連続講座ではその一部をおすそ分けしてもらいます。
といっても、ただテンダーさんの手法をなぞるわけではありません。一人ひとりが手を動かし、つぶさに観察し、得た情報と自分の知識を照らし合わせ、思考を働かせ、仮説をたてて実験することをたっぷり体験します。それは、お金や消費社会といった既存のシステムの構造を知っていく道のりでもあり、自分の生きかたをオルタナティブな視点から考える機会にもなるかもしれません。
▶︎ このオンライン講座の趣旨は「テンダーさんのその辺のもので生きるオンライン講座、はじまるよ!」をご覧ください。
【交渉回のレポートは、講師のテンダーさんに書いていただきました】
<<<前編の続きです>>>
目次
- 脳の仕組みについて(前編記事にて)
- 相手のワニを従わせる / Power over
- 2-1. 『影響力の武器』 ロバート・チャルディーニ著
- 社会的証明を体験する「ダジャレのワーク」
- 技法を知ったうえで、あなたは技法を知らない人に使いますか?
- 2-2. 『ファスト&スロー』 ダニエル・カーネマン著
- リンダ問題
- 2-3. 『シリコンバレーの交渉術』 オーレン・クラフ著
- オーレン・クラフの「フレーム」
- イントリーグ・フレーム
- 「温かい認知」と「冷たい認知」
- ワニの好きな難易度
- 2-1. 『影響力の武器』 ロバート・チャルディーニ著
- それでも人を信じる / お互いの視野を広げる / Power with
- 非暴力、NVC(Nonviolent Communication)、対等であるための交感
- Power over / Power under / Power with
- かくされた悪を注意深くこばむこと
- 非暴力、NVC(Nonviolent Communication)、対等であるための交感
- 講師からコメント
2. 相手のワニを従わせる / Power over
第二部はワニを従わせるという話です。主にこれからご紹介する3冊の本で扱われている技法や概念を元に、どうやって相手の行動をコントロールするか、という話をします。
講座の2部の内容のほぼ全てが、3冊の本『影響力の武器』『ファスト&スロー』『シリコンバレーの交渉術』からの引用とそのアレンジなので、興味のある方は本をぜひ読んでみてください。
(ここではレポートが長くなりすぎないように、さらっと触れる程度にしておきます)
2-1. 『影響力の武器』 ロバート・チャルディーニ著
人に影響を強く与える、6つの概念があります。
一貫性、返報性、社会的証明、権威、希少性、好意。
講座では、この6つの影響力についてを実例と、私の実体験に基づいて説明しました。
このうち、ワークショップとして、
– 返報性を体験する「追加請求のワーク」、
– 社会的証明を体験する「ダジャレのワーク」、
– 影響力自体ではありませんが、ヒトが物事を無意識に自動処理する「カチッ・サー反応を体験するスマホ安売りのワーク」をおこないました。
ここでは「ダジャレのワーク」をご紹介します。
社会的証明を体験する「ダジャレのワーク」
「社会的証明」とは、皆がやっていることは正しいと認識してまう、ヒトの習性のことです。じゃあ、さっそく体験してみましょう。
今から私がすごく面白いことを言います。
zoomアカウント上の名前に A がついている A さんは、例え私が言ったことが面白くなくても大爆笑してください。ミュートをオフにして、「もうこの 1 か月で一番笑った」というようなリアクションをしてください。
Bさんたちは、何があっても笑わないでください。何があっても。
OK?
A さんは笑う。無理してでも笑う。B さんは笑わないように頑張る。いいですか?
やろうかな。いきますよ。A さん、準備はいいですか。
-参加者 はい。
はい、行きますよ。
『ふとんがふっとんだ!!!』
-参加者A 「アハハハハ!!!」
-参加者B 「……。」
(以下、似たようなダジャレがしばらく続く)
はい、ストップ。
B さん、どうでしたか? 面白くなかった?
-Bグループの参加者たち 「面白かったです。」
「ちょっと笑っちゃいました。」
「笑わないように、くちびる噛んでました。」
ダジャレ自体は 1 つも面白くなかったはず。だって「犬がいぬ」とか言ってるんですよ。
このワークでみなさんが何を体験したかというと、
「他の人が笑ってると、なぜか楽しくなって笑っちゃう」=みんながやっていることが集団の正解となる「社会的証明」 というヒトの習性です。
集団の振る舞いに、気持ちまで操作されちゃうんです。
皆がやっていることが場において正しい。自分の気持ちは自分のものじゃないんですよ。
自分の気持ちはみんなのものの可能性がある。影響力の武器、恐ろしいですね。
さてはて、ここで私からみなさんにひとつ質問です。
技法を知ったうえで、あなたは技法を知らない人に使いますか?
この講座を通しての私からの問いであり、私も答えがあるわけではないんですけど、皆さんこういったテクニックを知ってて他人に使いますか?
広告業界や政治ではめちゃめちゃ使われていて、我々はそれに日々暴露しています。
SNS とか、広告とか、商品を売る段ではこれでもかというほど使われていて、こちらには無自覚であろうと流入してくるが、
同じ手でお隣さんや家族を説得しますか。
それは暴力だろうか。
暴力じゃないだろうか。
-参加者 「暴力なの?」
暴力なの? どうなの。
-参加者 「場合によっては?」「暴力かも。」
自分の方が圧倒的に優位だ、ってなった時に、何かずるそうな気はしますよね。
でもあながちそうじゃないのでは? という話に繋がっていきます。
はい。お楽しみに。
2-2. 『ファスト&スロー』 ダニエル・カーネマン著
2冊目。
「ファスト&スロー」という本を書いたダニエル・カーネマンは心理学者なんだけど、世界で初めて心理学者なのにノーベル経済学賞を取ったイスラエルの学者さんです。
『影響力の武器』よりこっちの本の方が難しいけど、この本もとても面白い。
この中で語られているのは、たとえば heuristic(ヒューリスティック)=置き換え。
じゃあ、さっそく heuristic を体験しましょう。
リンダ問題という質問を今からみなさんに投げかけます。
リンダ問題
リンダは 31 歳、独身、率直な性格で、とても聡明である。
大学では哲学を専攻した。学生時代には、差別や社会正義といった問題に深く関心を持ち、反核デモにも参加した。
次のどちらの可能性がより高いか?A.リンダは銀行窓口係である。
B.リンダは銀行窓口係で、フェミニスト運動に参加している。
A の確率が高いと思う人?
-参加者 「はい。あれ?」(少数)
B の確率が高いと思う人?
はい。(多数)
ちなみに、これは世の中の人の 9 割が B だと思う問題なんですよ。
でも、よく考えてください。あなたの周りに、
- 銀行窓口係の人がいる確率=つまり友達が50 人いて、そのうち銀行窓口係 2 人います、っていうのと、
- その 2 人がさらにフェミニスト活動家である確率
って、どちらの条件の方がゆるいと思いますか?
-参加者 「窓口係のみ」「A」
Bが成立する確率はたぶん、天文学的希少さですよ。
これが今、皆さんの頭の heuristic が起きた瞬間。
このプロフィールだったらフェミニスト活動家だよね! っていうわかりやすいストーリーに
「来たー! ワニが来たー! パク!」っとなるわけです。
自分の中の繋がる、わかる、ドーパミン。わかった、わかった! 繋がった、繋がった、パク!っていうことが抑えがたく起きちゃうんです。
そしてなんと、このヒューリスティックは知性レベルとあまり関係がないんです。
たぶん、こういう問題に興味があるとか、フェミニスト活動をしているとか、そういう人ほど繋がっちゃうんだと思う。
2-3. 『シリコンバレーの交渉術』 オーレン・クラフ著
2部最後、3冊目は、『シリコンバレーの交渉術』の話。
ちなみにこれの英語タイトルは『Pitch anything』です。ピッチっていうのは代理で売り込みする人。野球の代打みたいに、企業のプレゼンを代理で 20分する人。世界最高のピッチと呼ばれたオーレン・クラフさんの技術を余すことなくまとめた本。本の中にシリコンバレーなんて出てこないのに、『シリコンバレーの交渉術』ってタイトル。日本の出版社はこういう余計なことやりますよね。
それはさておき、今日の講座が終わった後に読むのであれば『シリコンバレーの交渉術』を一番おすすめします。まず面白い。いちいちアメリカンでオーバーで。
ここで扱われる概念は多岐にわたります。オーレン・クラフさんの編み出した技法や概念なので、独自の用語もありますが、
- フレーム
- ベータトラップ
- ローカルスター
- 色々なフレーム(パワー、タイム、モラル、イントリーグ)
- 温かい認知と冷たい認知
- 20分が限界
- 関心とは何か?
- 敵対心の無効化
などなど。
このうち、このレポートでは彼の交渉を支えるとても重要な概念である「フレーム」について説明します。
オーレン・クラフの「フレーム」
例えば、、、
運転できる免許がある人は、車を運転している時のことを想像してみてください。
どこまでも真っ直ぐな道を、晴れた日にブーンと行くわけです。
「ああいい天気だなー」って交差点渡ったら、後ろからウゥゥゥーン!ってサイレンの音がして、
「うわぁ、一時停止しなかったぁ・・・」
ウゥゥゥーン、
「前の車止まりなさい、前の車止まりなさい。」
目の前にキーッ!って来るでしょう。そしたら窓コンコンされますよね。コンコン。
相手が親切だったら、「今、一時停止、止まりませんでしたよね?」といった話が始まります。
もし相手が親切じゃなかったら、「わかってますよね?」と言われて窓から手だけ出されて、そしたら、たぶんこっちは免許証出しますよね。
そしたら、向こうは自分の車の屋根の上でなんか書くわけです。
しばらく待たされたのち、何やら薄い紙を渡してきて、「気を付けてくださいよ?」みたいな一連が起きるわけです。
さてはて、強いフレームを持った者は説明をしません。
「私は警察で、あなたが一時不停止をしたので今取り締まる責任があるんです」ということを言わない。
言う必要がない。
強い者は説明する責任を持たない。
オーレン・クラフいわく、
すべての人が何らかのフレームを持っている。場においてフレームとフレームがぶつかると衝突が起きて=ワニの噛み合いが起きて、一瞬で片方のフレームにもう片方は飲みこまれる。
ご存知の通り、警察フレームはとっても強い!
逆らったら捕まっちゃいますからね。
結局、説明もしないし、自分が何者かすら名乗らない。
ウゥゥゥーンって来た時、「私は警察です」って言わないでしょう?
だって皆知ってるんだから。皆従うのが当たり前なんだから、社会的証明。
そういうことが起きる。
それがフレーム。
オーレン・クラフいわく、フレームを食われた側は、以後一切どんな交渉もできない。
もしそれが成立するとしたら、相手が温情、温かい気持ちで、「まぁこのぐらい許してあげてもいいかな。」の裁量で何とかなることもあるが、基本的には会話以前のフレームコントロールで、話す前に全部決まっちゃいますよっていうのが、この本で取り上げられている話の一つ。
イントリーグ・フレーム
では、自分より強いフレームをどう打ち破っていくか?
私がとても大事だと思うのが、お話フレーム、本書の言い方では『イントリーグフレーム』。
このフレームの話をちょっとします。何がいいかな。
じゃあ、私がナイフ 1 本で山籠もりした時の話をしますね。
『横浜から自転車で私は宮崎まで来て、鹿児島来て、環境系の NPO で 1 年働いて、1 年居候して、先住民技術をずっと練習していました。それなりにできるようになったなと思った時に、ナイフ 1 本で山籠もりをする練習をしていたんです。本当に文字通りナイフ 1 本で、マッチも持たない。
唯一ナイフ 1 本という表現以外に許可したのは服。服がないと歩いている時捕まっちゃうからね。
服とナイフ 1 本で山籠もりして、その時に、九州で一番自然が深いのは宮崎県の椎葉村の国見岳ってところだから、って言われてそこまで原付で行きました。宿がなくて、お寺を見つけて、「すみません、荷物だけ置かせてください。」って頼み込んで、そしたらまぁ 1 泊は泊まっていけって言われて。
で、「お前は何なんだ?」とまず住職に言われたんです。
「信じてもらえないかもし れないけど、これこれこういうわけで青森県で核の問題に揉まれまして。自分で生きていくっていう技術を身につけない限り、みんな頭の良さそうなこと言ってるばっかりでなんにも解決なんてできやしないから、ちゃんと自分で生きていく技術を練習するためにここに来た」って言ったら、住職が涙流してさ。
「そうか」って言って。
泊まって行け、って言われて泊まらせてもらって。
次の日の朝、日の出前に寺を出て、歩いて山まで行って。
まぁすごい大変なんですよ。ナイフ 1 本で山籠もりって。
最初にね、作るのが籠なんです。拾った物の輸送ができないから。
だから、つるで籠を編んで山入って、食べるものが初日はないから、尺取虫ばっかり食べて崖登って行って、シェルターっていう小屋建てて、火起こしの道具作って、結局夕暮れまでに体力がなくなって火を起こせず、雨で土砂降りになり、濡れて、みたいなことをやりました。
一日あけた時に低体温になって震えが止まらなくなり『こりゃちょっと無理だな』と思い、死に得ると思って山を下りたんです。日の出と同時くらいまでに寺に戻ろうと思って出たんだけど、道を間違えて 30分位ロスして。
その時ね、2台、車がすれ違いました。
ようやく寺まで戻った時に、その時にね、オウム真理教ってご存じですか、皆さん?
テロを起こした日本のカルト教団が 1990年代あったんだけど、 そのうちの 1 人が時を同じくして脱走してたの。
私は髪すごい長くて裸足で歩いてて、服もボロボロで泥だらけでビチョ濡れで、ナイフ持ってて。
寺まで帰った時に住職が
「警察が、あんたがオウムの脱走犯だって言ってるぞ!」』
っていう話がありまして。
ってなると、はい。
今ね、皆さんに何が起きているかって言うと、続き知りたくてドーパミン出てるの。
-参加者 ハハハ。
今私がお話している間に、色んなことがなくなって(消失して)、お話聞いてた。
これだけ人数集まって皆でお話聞いてた。
脳の仕組みがとか、暴力がとか、対立が、とかじゃなくてお話聞いてた。
お話の力は色んなものを超えていく。
結末を言わないことで、その力を伸ばせるんです。
このお話の結論はもうちょい後で言いますって言うと、みんなそれまで話を聞いてくれる。
そういうふうに、他人のドーパミンをコントロールする技術がある。
お話聞いている間は敵対的でもなくなる。なので、これを、何て言うのかな。
社会学分野ではナラティブ、story of narrative って言って、なんか私はニュアンスがいまいち掴み切れないんですけど。
人の話、私もしくはあなたの瞬間、瞬間に生成されていく、生きた話というのがナラティブで、
なぜかワニはナラティブを理解できるそうです。
ナラティブ食べたーい。ナラティブおいしいー。
複雑な人間関係もなぜかワニはね、理解できる。食べられる。
「あの人の従兄弟の上司がさ」って言ってもわかるんです、ワニは。
人間に興味があるの、私たち。
人間に興味があって、人間の話が聞けるの。
だけど数字とか統計の話されるとね、人間の中のワニはよそ向いちゃう。
オーレン・クラフはイントリーグフレーム…英語得意な人、イントリーグってどういう意味ですか?
-参加者 「好奇心や興味をそそる、魅了する。」
私もそう思ってました。ハハハ。
イントリーグフレームっていうのは、他のフレームを打ち砕くことができるという話を、オーレン・クラフはしています。
では、なぜ打ち砕くことができるのか?
「温かい認知」と「冷たい認知」
人間には、「温かい認知」と「冷たい認知」というのがあります。
『ファスト&スロー』では、これがシステム 1 とか 2 とか、早い処理、遅い処理とかそういう言葉で言われているんだけど、今日話している内容も、本ごとに重複はいっぱいある。ただ呼び方が違ったりするんだけど、基本的には似た話、似た分野のことを扱っています。
「温かい認知」は脳幹と辺縁系の範疇で、「冷たい認知」が新皮質ね。
オーレン・クラフいわく、
「冷たい認知」は決定に関与しない。相手を分析し始めた時点で否定が待っている。
熱くなってない。
ドーパミン出まくって、もうそれがすごい欲しい! ってなってないから分析ができるのだと。
大脳新皮質が優位ですよってことなんです。
その分析的な人に対して、 お話=イントリーグフレーム、ナラティブを話すと、今みたいにみなさんポカンってなって、脳が熱くなる。なぜなら、私たちは動物だから。
だから相手が分析を始めたら、オーレン・クラフいわく、「男をジャングルに放り込め!」って。
主人公がジャングルに放り込まれて、「え、どうなるの、どうなるの?」という展開の話をするだけで、相手の分析は終わるそうです。
あなたがジャングルに行く必要はない。そういう話だけで十分。
すごいですよね。不思議ですね。
人間って面白いなって思う。あとは、今やったようにオチを先延ばしにすることで、難しい話をしても最後まで聞いてもらうことができる。
ワニの好きな難易度
あともう一つ。ドーパミンが出る難易度。
簡単過ぎるものにはドーパミンは出ない。難しすぎても出ない、最初の量子力学の説明みたいに。
中くらいの難易度に人はドーパミンを出すそうです。
自分では説明できないが、説明してもらえればわかりそう。
ワニは中くらいの難易度が好き。
だから、 自分で医学書と脳のその関連、ホルモンがどう出て、どこに働いて、その結果どうなって、どういう実験があって、という資料を読み込む気はないけど、説明してもらえるんだったら知りたーい、みたいな難易度ですね。
つまり皆さん身に覚えがある。だからここにいる。ハハ。
3. それでも人を信じる / お互いの視野を広げる / Power with
一部二部と脳の話、脳側の認知の話をしました。
『シリコンバレーの交渉術』のオーレン・クラフは他にもすごいことを言ってまして、
「人間の脳には自発性がない」と。
彼は、「お前がプレゼンしない限り、相手の脳は目的に向かうために何もできない」ということを言っています。
きっかけ、つまり何かイベントが発生しないと、脳は対処しないので、売り込みっていうのはその相手の報酬系に働きかけて、相手も熱い気持ちになって、お互い楽しくて、そもそも双方が楽しくないとセロトニンが出ないので成立しないから、
「交渉なんて楽しくなるだけなんだから、簡単な仕事じゃないか」ということを書いてるんです。
だから、オーレン・クラフはこれが暴力的だとはたぶん思っていない。
「ワニを飼ってるヒトという動物」なんだからこうなるしかないじゃん、という感覚なんだろうなと私は推測します。
さて、この講座を通して通底している問い、そこに流れているのは、
私とあなたの境目と、何をもって暴力なのか? なんだと思います。
というわけで、この連続講座でも特別編として取り上げたNVC(ノンバイオレントコミュニケーション)=非暴力コミュニケーションに話はつながります。
非暴力、NVC(Nonviolent Communication)、対等であるための交感
ちなみに私はNVCをほどほど勉強しました。すごい勉強したわけじゃない。
何度か誘ってもらって、合宿に行ったりとか、本を何回も読んだりとか。
また、私がNVCを教えるということはできません。
NVCにはトレーナー制度があり、私はトレーナーではないからです。
ただ、NVCと呼ばなければそれをどうこう言うことはないよ、ということも Center of NVC というところが言っています。
だからトレーナーではない人がワークショップをやるときは、「共感的コミュニケーション」と言ったりするんですけど、私の中では「共感」という言葉はあまりに多くの場面で使われ過ぎて、もはや意味が機能しなくなっていると思っています。
そこで自分なりに色々考えた結果、日本語には「交感」という言葉があります。感覚、感性、感じるものを交える。
「交感」って言った方が私の思っているニュアンスに近いのと、さらにその前に「対等である」というのが付くと思っていて、
「対等であるための交感」というのが今のところ、自分にしっくりくる言葉です。
というわけで、3部は「対等であるための交感」の話をします。
今回の講座を準備するにあたって、私は脳を騙すとか、脳幹へのアプローチなどは暴力なんじゃないのか? という切り口から始めたのですが、結論から言うと・・・
っていうのがダメなんです。
結論から言ったら聞いてる側は納得して、もうドーパミン出すのやめちゃうのでダメなんですよ。
でもまあいいか。結論から言えば、必ずしもそうでない。
というのは、2部で私がナラティブの山籠り話をした時に、みなさん楽しかったと思うんです。
聞き入っちゃったと思うし、楽しんだと思う。
じゃあそれが、私が圧倒的に技法に詳しくて皆さん知らなくて、手練手管にのまれたのであれは暴力だった! ということなんだろうか?
推測するに、オーレン・クラフが言おうとしているのはそんな薄っぺらい話じゃなくて、 人間というものを捉えている前提が違うんだろうって、今の私は考えています。
脳幹に向き合うというか、もっとワニに向き合う。
ワニに向き合えば、ちゃんとワニを満たす話の仕方ができる、ということなんだろうと思うんです。
じゃあそれは暴力じゃないからいいのか? と聞かれれば、自分はNO。
私はその先があると思う。
そのために、私には「対等であるための交感」という言葉が必要でした。
Power over / Power under / Power with
対等さを説明するために、まずパワーに関する以下の3つの概念をお見知り置きください。
- フレームコントロールによって相手のフレームを飲み込んで相手を操縦するのはPower over(パワーオーバー)。
- 逆に下手(したて)に出ることで相手を操縦しようとするのがPower under(パワーアンダー)。
- そのどちらでもなく、相手と同じ強さ・ランクから対等なままやり取りをするのがPower with(パワーウィズ)。
私は、相手より優位になって交渉を望み通りに成す(たとえそれが暴力ではなかったとしても)ことよりも、
仮に自分の狙いと交渉の結果が変わったとしても、相手との対等さから合意に至ること(=Power with)に興味があります。
その理由のひとつは、「脳のドーパミン出させ合戦はいつか必ず負ける」から。
世界中の超優秀な研究者たちが、私たちにいかに無自覚のままドーパミンを出させて、自社のサービスに夢中にさせるか、ファンにさせるかに心血を注いでいます。
いくら勉強したところで、その質・量の前にはおそらく我々は無力ですし、必ず服従させられるでしょう。
そういった「破滅が見えているもの」に加担することに、それこそ私はドーパミンが出ません。
もうひとつは、「ヒトの持つセキュリティホール(欠陥)をつついて攻略する文化を、自分の子供たちに継承してほしくない」から。
言い換えるなら、
「我々は単純な動物なので、こういうことをするとハッキングできる。だからハッキングしよう」となるのか、
「我々は単純な動物なので、その稚拙さから少しでも脱却するために、新しい対話の形を模索したい」となるのか、
どちらを選びたいのか? ということです。
そして、先人たちの努力によって、新しい対話の形の輪郭はおよそ見え始めています。
その手がかりとして講座内で説明した概念は、
– 「正しさとは」
– 「感情とニーズ」
– 「対等であるための言い換え」
– 「自己の統合」
– ワーク「私は〇〇をする。なぜなら□□が欲しいから」
– 「リクエストを出す」
などなど。
そしてとても大事なこと。「私の<欲しい>」は、「相手の<奪われる>」なんです。ワニはそう受け取ります。
だから、もうそこに尽きると思います。相手の脳幹が断らないこと。
その時に願わくば、非暴力的であって、さらには相手にも裁量を渡す・越境しないことができれば、それは新しい会話、交渉の形なんだと思います。
かくされた悪を注意深くこばむこと
最後に一つ、谷川俊太郎さんの詩の話をしていいですか。
『生きる』という詩があって、50年くらい前に谷川俊太郎さんが書いたものです。
この詩が最近絵本にもなって、先日地元の図書館で借りて、その絵がもう本当に素晴らしくて泣きながら読んだんだけど、その中の一節に次のものがあります。
「生きているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと」 『生きる』(谷川俊太郎 詩、岡本よしろう 絵、福音館書店、2017年)
かくされた悪を注意深くこばむこと。
でも、今日の講座で体験いただいたと思うんですけど、隠された悪に気付けなかった場合はどうするんだ、と。
だけど、その一個一個の「悪」、あるいは「意図」は、今日お話しした技法の組み合わせなんです。
多くの人が自分の中にはワニがいることを自覚し、そのワニに向けた技法の海を大航海しているのが現代社会だ、ということにみなさんが自覚的になれれば、そこから改めてメディアや広告側とも「交渉」ができるようになると私は思います。
4. 講師コメント
「テンダーさんのその辺のもので生きる」オンライン講座では、希望する参加者は講座終了後もオンラインコミュニティ「Discord」で、復習の成果を共有したり、わからないところを質問し合うことができます。講座を体験した人たちが知恵を交換する自主的なコミュニティが形成されていくことを目指しています。
このオンライン講座は、2021年2月から2023年3月まで実施しました。
▶︎ 全講座のスケジュール
▶︎ これまで実施した講座のレポート
– 第1回「アルミ缶を使い倒そう」
– 第2回「棒と板だけで火を起こそう」
– 第3回「3D設計と3Dプリントを覚えて、必要なものを作ろう」
– 第4回「雨水タンクを作って、水を自給自足しよう」
– 【前編】 第5回「システム思考を身につけて『しょうがない』を乗り越えろ!」(テンダーさん執筆)
– 【後編】 第5回「システム思考を身につけて『しょうがない』を乗り越えろ!」(テンダーさん執筆)
– 【前編】 第6回「その辺の草からロープを作ろう。ロープができれば暮らしが始まる」
– 【後編】 第6回「その辺の草からロープを作ろう。ロープができれば暮らしが始まる」
– 秋の特別編「その辺のもので生きるための心の作法 〜『正しさ』を越えて」 (テンダーさん執筆) new!
– 第7回「プラごみから必要なものを作る」
– 第8回「キッチンで鋳造を始めよう!」(テンダーさん執筆) new!
– 【前編】第9回「鉄工を身につけて強力なストーブを作ろう」(テンダーさん執筆)
– 【後編】第9回「鉄工を身につけて強力なストーブを作ろう」(テンダーさん執筆)
– 第10回「きみのためのエネルギー。 実用パラボラソーラークッカーを作って太陽熱で調理する」(テンダーさん執筆) new!
– 【前編】 第11回「交渉を学び、こころざしを護る」(テンダーさん執筆)
– 【後編】 第11回「交渉を学び、こころざしを護る」(テンダーさん執筆)
– 【前編】 第12回「生き物の輪に戻るためにドライトイレを作ろう」(テンダーさん執筆)
– 【後編】第12回「生き物の輪に戻るためにドライトイレを作ろう」(テンダーさん執筆)
– 第13回「当たり前を変えよう、大切なものを守ろう」(テンダーさん執筆) new!
[執筆: テンダー]
[事業担当: 室中 直美]
事業データ
「交渉を学び、こころざしを護る」(テンダーさんの「その辺のもので生きる」オンライン講座第11回)
2022年10月2日(日)
オンライン
TJF
テンダーさん(環境活動家、生態系の再生と廃材利用のための市民工房「ダイナミックラボ」運営)
https://sonohen.life/
中高校生〜大人 45名(日本、イギリス、スイス、タイ、フィリピン、ベルギーから参加)
井上美優さん、堀江真梨香さん
この交渉回の講座は、システム思考回と同じくらい事前に勉強し、考えて作り上げた思い出深い講座です。また、反響も非常に大きく、気づけば脳や交渉の話は私の主要な講座の一つとなりました。
「人間は脳の中にワニを飼っていて、依然その原始的な振る舞いから脱却できていない」
もし、人々が共通理解としてそのことを知っていたのなら、はたして地球上にはどんな文明が形成されたでしょうか。
私が思うに、たくさん勉強をして多くのことを知って、複雑なことを考えられるよりも
「自分の中にはワニがいて、そのワニは文明とは程遠いレベルで、噛んだり逃げたり要約するのが関の山」ということを自覚している方が、生き物としての豊かさを失わないと思っています。
どう弁明したところで「ワニを抱えたヒトという種類の動物」というのが、この豊穣なる地球上での紛れもない私たちの姿です。
猫じゃらしに飛びつく衝動を抑えられない猫を見て、ついおかしくて笑ってしまうように、私たちの内なるワニを抑えられずギャーギャー喚いて罵り合う様は、同じく十分滑稽なのでありましょう。
それを知ってか知らずか私たちは、わざわざ努力をしてワニを消滅させようとしたり、認めずに目を背けたり、「私たちのフォルムそのもの」を否定しています。自分の根幹を・動物としての必然を見ようとせずに、他者の動物としての必然を理解し、交感することなどできるはずがありません。
否定しようがしまいがそこにいて、生涯決して離れることはないのであれば、もっと己がワニを見つめようじゃありませんか。
私たちは、生き延びるために頭の中にワニを飼っています。
考えて決めたらいちいち遅すぎるので、小心者のワニに瞬発的に安全を判断してもらって、今日まで生き延びているのです。
相手のワニが、向かい合う私を恐れたり怖がったり、怒ったりするのも、相手が今日を生き抜くためなのです。
私たちは、生き物だから。
それを否定したら、何もできない。生き物としての力を失ってしまい、何も為すことはないでしょう。
私は、平和はここから、だと思います。
聡明になって論理で分かり合えるのが平和なのではなく、自分が生き物であることを赦し、相手も生き物であることを歓ぶ。そこから平和が始まるのだと思います。