荊徽/上海市甘泉外国語中学・高等部(中国上海市)
Jinghui/Shanghai Ganquan Foreign Languages Secondary School (Shanghai, China)
荆徽
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上海市甘泉外国语中学(中国上海市)
本人が書いた文/
Original text
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本人原文
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본인이 쓴 글
学校:食堂で朝ごはんを買う。
学校∶食堂买早饭。
値段一覧表
食堂价目表
コンピューター室で授業を受ける。
在计算机房上计算机课。
クラスメートと一緒に昼ごはんを食べる。
在教室和同学们一起吃午饭。
日本語教研室で本文を読む。先生に教えてもらう。
在日语教研室读课文,请教老师。
レクリエーションルームで「カラオケ」についての日本語の授業。
在多功能厅上有关[卡拉ok]的日语课。
バドミントンをする。
打羽毛球。
ピアノを弾く。
弹钢琴。
私が書いた俳句
我写的俳句
友達が書いた俳句
好友写的俳句
上海博物館:龍の頭の飾り物
上海博物馆∶龙头装饰
上海博物館:昔の彫刻
上海博物馆∶古代雕刻
徐家の「港匯」というデパートの前
上海港汇广场门口
「港匯」デパート:プリクラ
上海港汇广场∶拍贴纸照片
「港匯」デパート:プリクラ
上海港汇广场∶拍贴纸照片
「港匯」デパート:招き猫
上海港汇广场∶招财猫
静安寺:友達と一緒に遊ぶ
静安寺∶和朋友一起玩。
静安寺:友達と一緒に遊ぶ
静安寺∶和朋友一起玩。
静安寺:友達と一緒に遊ぶ
静安寺∶和朋友一起玩。
KFC:晩御飯を食べる
KFC∶吃晚饭。
家:父から宿題の説明をしてもらう
家∶爸爸教我做作业。
家:顔を洗う
家∶洗脸。
わたしのおばあちゃん
*
最近、親戚の結婚式で、長いこと会っていなかったおばあちゃんやおじいちゃん、そしておばあちゃんと同じくらいの年のたくさんの親戚に会いました。礼儀だからと、おばあちゃんにつきそってもらって一人ひとりにあいさつしましたが、わたしは話すのが苦手なので、苦痛で顔が赤くなったり、青くなったりしました。でも、みんなはわたしをとてもほめてくれました。
席にもどって、簡単な婚礼の儀式がすむと、いよいよおまちかねの「本題」です。はしを手に持ったとたん、おばあちゃんたちのおしゃべりが聞こえてきました。
「しばらく徽州に帰ってないけど、ほんとになつかしいねぇ」(徽州は安徽省にあるわたしたち家族のふるさと)
「徽州は本当によいところだよ。近代にはえらい学者もたくさん出たしねぇ。」
「そうだねぇ。五月一日の連休特別テレビ番組で徽州を紹介する特集があったけど、見たかね?」
「いや見てない。どんな内容だった?」
「文化、風土、人情、それに『徽州なければ県ならず』。つまり徽州がなかったら県城(県人民政府のあるまち)とはいえないって言ってたよ」
…………
まったくもう・・・・・・。おばあちゃんたちは、いつもこんなふうにむかしのことばかり話しています。ふるさとのことやむかしのできごとなど、とにかくなんでも話します。会うたびにこんなおしゃべりばかりです。いちばんいやなのは、いつも最後にはきまってわたしの話になることです。わたしの成績や学校のこと、それに「日本語だけじゃなくて英語もマスターしないとえらくなれないよ」なんてことまで。
話をもどします。おばあちゃんたちは、学のあるお家の出身で、祖先はお茶の葉の商人として江南地域ではとても有名です。ひいおばあちゃんなんて『紅楼夢』に出てきそうな感じの人です。でも、時代も社会も変わって、今ではこのありさまです。おばあちゃんは、むかしはロシア語の通訳で、国のために大いに貢献し、その後ロシア語の先生になりました。ほかの親戚もだいたい何か一つは外国語ができるので、わたしにも英語を勉強しろとうるさく言うのでしょう。
長い間ずっと、わたしはおばあちゃんたちの話しかたにちょっと反感を持っていました。「カビの生えた」ものを持ちだしてきて、年下の者に説教をするからです。でも、何度も同じ話を聞いていると、わたしも、ちょっと気持ちが動いて、そのうち誇りを感じるようになりました。おばあちゃんたちは昔がなつかしくてこういう話をするのでしょう。でも、何といっても自分たちの民族に強い誇りと自信をもっているんだと思います。わたしの名前のなかにも「徽」という文字があります。おばあちゃんの根っこは安徽にあり、安徽はおばあちゃんにとってとても大切な場所なのです。
それに対して現代の若者は民族としての誇りに欠けているのではないでしょうか? 民族の誇りは、豊かで強い国家づくりに欠かせないものです。人々が祖国に対して熱い思いをもってこそ、自分のすべてを国家建設のためにささげることができ、もっと大きな困難やもっと大きな危機に直面しても、それを克服し、明るい未来に向かって歩いていけるのです。みなさん、心から祖国を愛しましょう!
*1 母方の祖母(外婆)
いちばん印象に残ったのは、日本の高校生活や学校教育が、中国とはまったく違うということです。
学校では、みんなクラブに所属しています。しかも、いろんなクラブがあって、自分の好きなクラブに入れます。クラブ活動では想像力をたくさんはたらかせて、自分の好きなことができます。とてもうらやましいです。もちろん、中国の学校にもクラブはありますが、勉強が忙しくて参加することができません。数少ないクラブも続けていくのがやっとという状態です。中国の学生の想像力がとぼしいのは、もしかしてクラブ活動が少ないせいかもしれません。
日本の高校生の余暇の過ごしかたも、本当にいろいろあっておもしろいです。わたしたちと同じように、みんな趣味を持っていて、それを心のよりどころとして熱中しています。なぜかわかりませんが、日本の高校生はわたしたちより大人っぽく見えます。早くから自分の目標を決めて、そのために一生懸命がんばる。こんなふうにできたら、すごく楽しいだろうなぁ。
同じ高校生として、わたしたちも自分の目標をきちんともつべきだと思います。詩人ゲーテもこう言っています。「人生においていちばん大切なことは、偉大な目標をもち、その実現を決意することだ。目標は生活の原動力となり、我々にたゆまぬ努力をうながす。そして、どこまでも耐え抜く意志の力を具えることができ、人生は有意義なものとなる。」
とにかく、自分のいいところをのばして欠点をおぎない、自分自身の内面を豊かにして、もっといきいきとした生活を送りましょう!
我的外婆
最近,在一个亲戚的婚礼上遇见了久未见面的外婆、外公和许多与外婆同辈的亲戚们。出于礼貌,在外婆的陪同下与每一个长辈打了招呼。这对于不善言辞的我是件极为痛苦的事,脸上一阵红一阵白的。但对于这样的我长辈们还是赞不绝口。
回到座位,简短的婚礼后,便进入了大家的“正题”。刚拿起筷子就听到了外婆们的谈话。
“好久没回徽州了,真有些想念啊。”(徽州是安徽的一个地区,也是我们这个家族的老家。)
“徽州真是一个不错的地方,出了许多近代大学士。”
“是啊。五一长假电视节目里有介绍徽州的专题,看了吗?”
“没,说什么了?”
“介绍了文化背景,风土人情,还说‘无徽不成县’,就是说没有徽州就不能说是县城。”
…………
天啊,外婆她们又在回顾从前了。从老家到陈年往事,无所不谈,每一次碰面几乎都要聊。最让我受不了的是每次聊到最后都要把话题转移到我身上。我的成绩,我的学校,还让我学日语的同时一定要学好英语,这样才会有出息。
话说回来,外婆她们确实是出于书香门第,老祖宗是茶叶商,在江南颇有名气。太外婆(外婆的母亲)还有一点《红楼梦》的感觉。不过,随着时代的变迁,社会形式的改变,就成了现在这样。外婆从前是俄语翻译,为国家做出非常大的贡献,之后便成为了一名俄语教师。其他亲戚也基本掌握一门外语,所以会有坚持让我学英语这件事。
长久以来,我对外婆她们的言论方式有点反感。都已“发霉”的东西还拿出来谈论,借机教育小辈。可是听多了,也会有些感慨,不禁自豪起来。外婆这样也是对往事的思念吧。这不更表现出了她强烈的民族自豪感与自信心吗?就连我的名字中也有一个“徽”字。外婆把根扎在了安徽,那里有外婆最珍贵的感情。
但对于现在的青年一代来说是不是缺少了点民族自豪感呢?民族自豪感是国家富强的关键因素。人民只有对祖国充满了热爱的感情,才会把自己的一切投入国家的建设,遇到再大的困难再大的危机都会克服,走向光明。希望青年一代能真正地爱祖国!
观看了日本学生的“であい”写真随笔后,给我留下最深刻的印象就是:日本学生的学习生活和日本学校的教育形式和中国完全不同!
在学校,每个人都有自己所属的社团,而且社团的项目多样,总能找到自己喜欢的。在那里能充分地发挥想象力去做自己喜欢的事。这是让我非常羡慕的。当然,中国学校也有这类社团,不过在繁重的学习压力下,根本无法参与,仅有的几个社团也就无法顺利进行了。我想,这也许就是中国学生想象力弱的原因吧。
他们的课余生活也非常有趣,真的可以说是多姿多彩了。和我们一样,他们都有兴趣爱好,这似乎是他们的精神寄托,会把全部的精力都投入其中。不知为什么他们看上去比我们成熟,很早就确立自己的目标,向那一方向努力,并积极的付诸实践,能这样是件非常快乐的事。
作为相同年龄的我们,也应该树立自己的目标。正如诗人歌德所说的:人生最重要的在于确立一个伟大的目标,并有决心使其实现。有了目标,生活才会有动力,促使我们不断地努力,才会慢慢具有坚韧不拔的毅力,人生就会变得有意义。
总之,我们要取长补短,丰富自我,充实自我,让生活过得更精彩!
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