┌[参加者募集]───────
●【8/4〆切】めやすマスターが講師を務める「外国語学習のめやす」合宿〔8/22(火)~23日(水)、立命館大学大阪いばらきキャンパス、対象:外国語担当教員または教員をめざしている学生〕
⇒ http://link.tjf.or.jp/mys170822
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わやわや 2017年6月7日
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◆◆ んじゃめな!
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10代のとき尺八に魅せられたロシア人、イオ・パヴェルさん。来日して4年目。今年4月からは東京芸術大学で改めて尺八を学んでいます。パヴェルさんがめざす音楽は......。
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違いにとらわれず本質を見る
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尺八との出合いは、10代のときに観た1本の映画でした。それは「Baraka」(1992年制作、ロン・フリック監督)という、世界各国の大自然や人間の営みを映し出したドキュメンタリー作品でした。この映画のオープニング音楽に使われている楽器の音色と音が醸し出す雰囲気に惹かれたのです。何の楽器だろうと調べるところから始めました。
尺八と突き止めるや、友人、知人を頼って取り寄せました。手にしたのは、運指表とセットになった尺八で、音自体はすぐに出せました。声楽家で合唱の教師だった母の影響もあり、幼い頃から音楽を習っていましたし、特に笛は好きで、よく触れていたからだと思います。息をしないと生きられない人間が、その息を使って音を出す。笛はとても人間らしい楽器だと思うのです。
大学の専門は音楽ではありませんでしたが、モスクワで尺八の手ほどきを受けられる機会を探しては足を運び、邦楽の演奏家を多く招聘するモスクワ音楽院の世界民族音楽教室に足繁く通い......と動き回っているうちに、気がついたらモスクワにおける尺八の第一人者と呼ばれるようになっていました。良縁に恵まれ、演奏活動の拠点を日本に移したのは、2013年のことです。
◎違いを見ることにメリットはない
来日してからこれまで、何度も、「なぜロシア人が尺八を?」と質問されます。でも私にとっては、何も特別なことではありません。たまたま尺八という楽器に出合って、道をここに絞ったわけですが、どんな楽器でも行き着くところは同じだと思っています。
もちろん、最初に尺八演奏の基礎を学ぶ必要はありますが、その後追求するのは楽器ではなく音楽です。そして音楽は、邦楽であろうと、西洋音楽であろうと、ルーツは一つだと思っています。例えば、「六段の調べ」という箏の楽曲がありますが、現存する最古のクラシックといわれるグレゴリオ聖歌に影響を受けたのではないかという説があります。その真偽はともかく、どこの国の音楽にも、いつの時代の音楽にも共通するものはあります。ジャンルとして分かれていますが、その違いを強調することにメリットはありません。むしろ、音楽そのものの素晴らしさを感じる妨げになってしまうと思います。
◎より多くの人と、音楽を共有するために
日本での活動が4年目を迎えたこの春、東京芸術大学に入学し、改めて尺八の古典を学び始めました。古典音楽がなぜ名曲として引き継がれ、長い歴史を経ても光り輝いているのか、その理由を探り、演奏に反映させていこうと思います。
私たち演奏家は、作曲者と聴衆をつなぐ存在です。作曲者が楽曲に込めたメッセージをどう解釈し、どう伝えるか、それこそが演奏家の役割です。そして、音楽だからこそ、国、人種、年齢、時代すらも超えて伝えることができるのです。より多くの人に、音楽との交流を楽しんでもらいたいと思います。
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◆◆ ときめき取材記
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TJFは昨年、学生が取材し、まとめた記事を掲載するウェブページ「ときめき取材記」をオープンしました。「くりっくにっぽん」で行っている一連のプロセス「テーマをひとつ決めて、そのテーマに関連する複数の人にインタビューし、記事にまとめて発信すること」を学生に体験してもらいたいと考えたのです。
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せんぱいのトライ
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武蔵野美術大学の留学生が、気になる人にインタビューするシリーズ。今回は、一級建築士の今井健太郎さんです。自らも銭湯ファンである今井さんは、ある日、東京の代表的な銭湯で「仙人」に遭遇。そのときの閃きにしたがって銭湯の設計をするようになります。今井さんの、銭湯への熱い思いを聞きました。
⇒https://www.tjf.or.jp/tokimeki/2016/09/post-3.html
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◆◆ スタッフのつぶやき
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こんにちは、ヒョンミンです。
今日は、自分の名前の秘密について少し書こうかと思います。私は80年代半ばに、3人兄弟の真ん中というポジションで生まれました。父は長男なので、祖母は跡継ぎとして男の子が生まれることを強く願っていました。母は結婚当初から祖母にだいぶプレッシャーを掛けられていたそうです。
みんなが待ち望んだ第一子誕生の日。生まれたのは女の子でした。
「まぁ、一人くらい娘がいるのもいいんじゃないかしら。(祖母の心の中:次、ちゃんと息子を産んでくれるならね!)」母はさらなるプレッシャーの中、私を授かったそうです。
「息子であって欲しい!」そう願って臨んだ出産。しかし、またも女の子でした。はい、それが私です。女の子と聞いて祖母は怒って病院にすら来なかったそうです。母もどちらかというと複雑な心境だったみたいで。跡継ぎのプレッシャーを全く感じていなかったのんきな父だけ大喜びしたという......(笑)
その直後、家では緊急会議が行われました。プロジェクト名は「次は何が何でも男の子を!」です。男の子を授かるのに効く漢方やら、撫でると男の子が生まれるといわれる済州島の石像を触りに行くなどなど......考えられる方法を全部検討したのち採用になったのは「私の名前にあやかる」作戦でした。
今はあまり信じられてない言い伝えですが、昔韓国では、期待していたのと違う性別の子が生まれたとき、本当に望んでいた性別の名前をその子につければ、次に生まれる子がその性別に生まれると信じられていました。男の子が欲しいのに女の子が生まれたら、娘だけど男の子の名前をつけるのです。そうすれば、次に生まれるのはきっと男の子でしょう! といった感じです。その逆もよくありました。
というわけで、私には「ヒョンミン」という、やや中性的な男の子の名前がつけられました。そして見事にその3年後、待望の息子が生まれました。みんなが言い伝えの力を確信した瞬間だったと思います(笑)
でもこれが必ずしも効くわけではもちろんなくて、たまに男の子だけ4人兄弟の家で、3番目の息子が女の子の名前だったりするわけです。そこまでしたのに4番目も息子だったのか......ってなります。3番目の子はただ犠牲になったパターン。いやいや、私の場合は本当にラッキーでした。弟の誕生に大いに貢献(?)したところも含め、自分の名前は大好きです^^
余談ですが、実は私の義理の兄、思いっきり女の子の名前なんです。彼は男の子3人兄弟の末っ子。そう、女の子の名前をつけといて、次トライしなかったパターンなのです(笑)やれやれ。
===〔お役立ち情報〕=====
他団体が主催する、参加者募集中のイベントをご紹介します。
詳細は、各団体にお問い合わせください。
●【作品募集、〆切間近!】「文化の心 スポーツの力 絵はがき・写真・動画コンテスト」〔主催:駐日韓国文化院、6/20必着〕。どなたでもご応募いただけます!
⇒ http://www.koreanculture.jp/info_news_view.php?number=5389
●【作品募集中】「2017韓日交流作文コンテスト」〔主催:駐日韓国文化院、8/6必着〕。日韓の新しい「絆」作りのためのエッセイ、川柳・俳句、韓国旅行記を書いてみませんか。
⇒ http://www.koreanculture.jp/info_news_view.php?cate=&page=1&number=5255&keyfield=&keyfield1=&key=
●【参加者募集中】中国語教育学会2017年度第1回研究会〔主催:中国語教育学会、7/1(土)、愛知大学名古屋校舎、無料〕。テーマ:中国語教員、教員志望者のためのブラッシュアップ研修会「明日からの授業を少しでもよくするために」。下記Webページよりお申し込みください。
⇒ http://kokucheese.com/event/index/470291/
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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