北九州市立大学で中国語を教えている胡玉華(こ・ぎょっか)さん。20数年前、東北大学で教育心理学を学びに日本に初めてやってきました。このときに出会った、あの料理が胡さんのGochiになりました。
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人生初めての日本料理
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1993年4月9日は、私にとって忘れられない一日です。早朝、上海虹橋空港で最愛の家族と別れ、一人で飛行機に乗りました。初出国の興奮と不安な気持ちに揺らされながら、あっという間に成田空港に着きました。空港で、涌井という女性(厳密に言うと、彼女は私の中国人友人の韓国人友人の日本人友人です)が約束した時間通り、待ってくれていました。このような遠回りでややこしい「助け合い方」は、今になってとても不思議に思いますが、当時は、中国人の私には当たり前のことでした。
初対面とはいえ、中国語が堪能な彼女は、自身の留学の話をしながら、上野の新幹線車内まで親切に案内してくれました。入国の難関が無事にクリアでき、目的地に一歩近づいたと思うと、張っていた気持ちが緩んだためか、空腹感が走りました。夕方、やっと仙台駅に着いた時は、お腹はもうぺこぺこでした。
迎えに来た保証人の小野寺さんが駅ビルのレストランで「かつ定食」をごちそうしてくれました。キャベツを生で食べる習慣はなかったので、無理して口に運びましたが、揚げたてのとんかつは、見た目そっくりの上海料理の「炸猪排」(とんかつのから揚げ風)を連想しました。
その思いでがぶと一口噛んだら、「味が付いていない!」。期待外れでした。その「味」のカルチャー・ショックがあまりにも大きかったので、ソースをかけた後でも美味しいと感じませんでした。そこで、口直しのつもりで、脇役のみそ汁を一口飲みました。
「哇!这个汤好鲜!」(わぁ~、なんと美味しいスープだろう!」と感動のあまりに、思わず中国語で叫びました。後から教えてもらいましたが、あのミルク色で、ちょっとトロとしたスープは白みそのシジミ汁でした。
あれから二十数年も経ちました。美味しいシジミ汁もたくさん頂きました。でも、あの時の味はやっぱり忘れられず最高でした。