りんご記念日応援団山本容子さん

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フランス料理学校に入ったことがきっかけで、フランス語を習うようになった銅版画家の山本容子さん。年齢を重ねてから外国語を学ぶ上で、大事にしたのはどんなことだったのでしょうか。

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▼どんな私になっていたい? がモチベーションに
フランス語を「真剣に」学ぶきっかけは、フランス料理を習ったことにあります。ル・コルドン・ブルーという歴史あるフランス料理学校の先生は、フランス人のシェフでした
。彼は毎回早口のフランス語で、食材の切り方、焼き具合、鍋の使い方、そして味見のポイントなど、料理の手順を実習して見せてくれました。隣で通訳の方がすぐに訳してくれるので、その日本語をノートに書くのですが、たとえば温度のことには困りました。肉の焼き具合と柔らかさの関係とか、野菜の茹で上がりの色の変化などです。瞬間を大切にした料理はライブで目の前で進んでゆくのに、言葉はワンポイント遅れになっていた。歯痒い。フランス語が聞きとれれば、グッドタイミングに料理が理解できるのに。私はこの時「真剣」にフランス語を学びたいと欲したのでした。

それから家庭教師のナターシャという女性と出会い、A(アー)B(ベー)C(セー)からはじめました。五〇歳になり、同世代の女性の発する言葉を口移しで繰り返し発音することから始まった授業は、まるで自分が彼女の子供になったようで、愉しく信頼関係をつくることが出来ました。若い頃なら、受験や留学、仕事のスキルアップという目の前のハードルが高い分、自分の能力に対して厳しいので、とても愉しいなどとは言えなかったはずです。私の場合そもそもの目標がフランス料理のレシピの理解、メニューの判読、そしてたとえばパリのマルシェでの買い出しのイメージと、料理に片寄ったものでしたので、十五歳くらいの料理好きなパリジェンヌになれば嬉しいということでした。それから十年間、ナターシャがフランスに帰国するまで、毎週二回の個人授業を続けることが出来ましたが、そのポイントは、同年齢の同性、そして生き方や趣味が似ている人に教えてもらうことが出来たからだと思います。お互いの興味を話題に出来て会話をするのは自然なことです。私の発音する言葉が、若い男性の言いまわしになっていたとしたら、私ではない。継続は力ですが、まずは語学を習得した結果、どのようになりたいかをイメージすることが大切だと思います。私の場合、少し無口な十五歳でいて、話の内容は成熟した女性。と勝手にイメージして難しいフランス語の文法を一応クリア出来たのでした。今ではパリの古書店で、昔のフランス料理のメニューを収集する趣味も誕生しています。