イスラム世界でも認められたアラビア書道家である、大東文化大学教授、本田孝一さん。その作品は大英博物館にも所蔵されるほど高い評価を得ている。それにしても、なぜ日本人がアラビア書道を?
▼アラビア書道の美は万国共通
大学を選ぶとき、なんとなくおもしろそうだと思ってアラビア語を専攻しました。しかし大学紛争のあおりで大学生活の後半は学業もままならず、人生にも悩み、卒業後は就職せず4年間も今でいうニートのような状態でした。
一念発起して就職したものの耐えられず、すぐに離職。そんなとき、偶然再会した大学の後輩が、アラビア語の通訳として働かないかと声をかけてくれました。サウジアラビアの地図づくりを請け負った日本の測量会社の仕事で、航空写真をもとに目印となる場所を訪れ、地名を採取してまわったのです。
職場は日本人とサウジアラビア人が混合の大所帯で、はじめのうちは言葉も通じず、日々、驚くことや理解に苦しむこと、トラブルの連続でしたが、友人もたくさんできました。アラビア語はイスラム教と切り離せない言語で、宗教的なコミュニティ意識を結びつけている絆です。それだけに、アラビア語で話しかけさえすれば、10年来の知己のように、同胞として接してもらえるのです。その意味では、イギリス人に英語で話しかけるというのとは、かなり意味合いが異なったといえるでしょう。
アラビア文字も、単なる意思伝達のための記号ではなく神の言葉を記す聖なるもの。職場には手書き文字の専門家たちがおり、制作中の地図に大変美しい文字を書き込んでいました。それをみて、私にも書き方を教えてほしいと頼み込んだのがアラビア書道との出会いでした。
書家として作品を発表するようになり、ムスリムではない私が書くことを否定されるかと思いました。しかし、むしろ、伝統に新しい息吹を与えると歓迎してもらいました。さらに、イスラム世界の外で、日本だけでなくヨーロッパでも、私の作品を通じて多くの人がアラビア語圏の文化に関心を寄せてくれています。
国や文化を超えて、美しきもの、聖なるものへの想いで人の心がつながっていく。若き日、人生に迷い続けた私でしたが、偶然に偶然が重なって導かれるように始めたアラビア書道を続けてきたことで、今そんな輪のなかに生かされていることは望外の喜びです。