1999年10月号 私は高校生 |
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私は今、高校4年生です。「どうして4年生なのか」と不思議に思われるかもしれません。私の高校は単位制高校といって、自分の進路や興味に合わせて勉強できる学校です。ほとんどの生徒は3年間で卒業しますが、私は学業のほかにも挑戦してみたいことがあったため、4年間のコースを選びました。4年間の高校生活は私にたくさんの出会いを与えてくれました。 その大きな出会いのひとつは手話です。私の高校の入試はとてもユニークで、自分の個性をアピールする場があります。私は中学生の時に習い始めた手話でスピーチを行いました。手話とは耳の聞こえない人たちの言語です。手話で自分の考えを表現するのは初めてでしたが、それは非常に楽しい経験でした。手話をもっと学びたいと思うようになった私は、高校1年の秋から2年間、講演会などの手話通訳をさせていただくことになりました。思うように通訳できず、落胆することも度々ありました。けれど、聾唖者が「上手になったね」「あなたの手話が好きだよ」といって下さった時、手話をやっていて本当に良かった、と心が熱くなりました。「手話を学ぶ人は聾唖者の味方にならなければならない」と聞いたことがあります。私は手話を通して、相手が必要としていることに敏感でなければいけないこと、自分中心に物事を考えてはならないことを学びました。手話との出会いは私の高校生活に暖かさと優しさを与えてくれたのです。 そして高校での最大の出会い、それは中国語です。私の学校は、静岡県で初めて授業に中国語を取り入れた高校です。語学の好きな私は、さっそく中国語の授業を受け始めました。しかしピンインを英語読みしてしまったり、簡体字と日本の漢字の区別がつかなかったり・・・・・・。中国語の授業は難しく、一体これで続くのだろうかと不安になりました。けれど次第に中国のもつ強大な魅力に引きつけられた私は、高校の授業だけではもの足りなくなり、中国語講座にも通い始めるようになったのです。中国語を学び始めて3年たった今年の夏休み、私はついに中国に行くことができました。そこでもたくさんの出会いがありました。「日本と中国の間には悲しい歴史があるけれど、私たちは親友だよ」といって笑いかけてくれた中国人の大学生。お菓子を買った時「日本の友達、ようこそ!」と歓迎してくれた自由市場の女の人。中国人のもつ温かさ、中国の自然の雄大さ、私はそのすべてが大好きになりました。中国語は私の考え方を国際化し、将来の夢を与えてくれたのです。 「私は高校生」こう言えるのもあと数ヵ月です。他の友達と比べて1年間余分に高校生活を送った私ですが、想像以上の収穫があったことに満足しています。日本の高校の多くは、大学に合格するための予備校のような存在です。しかし私の高校の目標は「個性を磨き、時代に果敢に挑戦すること」であり、これは私の生涯の目標でもあるのです。私の高校生活は様々な出会いによって築かれました。私は4年間の有意義な高校生活を決して忘れないでしょう。 静岡県立静岡中央高校4年
望月敦子 |
この原稿は、望月敦子さんが1997年11月に開催された第15回全日本中国語弁論大会全国大会(日中友好協会全国本部主催)で発表した「我是高中生」の日本語訳です(原文裏面)。全国大会には、地区予選を勝ち抜いた高校生から60代までの20名が参加しました。静岡県代表として出場した望月さんは、国際文化フォーラム賞を受賞しました。国際文化フォーラムは、1989年の第7回大会から国際文化フォーラム賞を設けて、中国語を学んでいる若い人たちを応援しています。所属は1997年当時のものです。 |