2001年7月号 父親の存在 |
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「ちょっとそこどいて、そうじするから」。ぼくは、毎週のように日曜日の午前中にはそうじ機を持った父にこう言われます。 ぼくの両親は二人とも働いています。ですから、当然のように家事は二人でしています。ふだんは母のほうが帰りが早いので、料理や育児は母がおもにします。けれど、父も帰りの時間に関係なくほぼ毎日洗濯をしています。土日にはそうじやかたづけ、料理を作ってくれる時もあります。ひまさえあれば勉強を見てくれたり、遊び相手になってくれたりもします。 アメリカでは、ぼくの家のように父親が子供にかかわるのは当然のことです。ぼくは父の仕事の関係で、アメリカに住んだことがありますが、そこでは友達の父親を知らなかったことなどありませんでした。週末に友達の家へ遊びに行けば、必ず父親にも会います。友達をさそってテーマパークや海に遊びに行く時でも、どちらかの父親が一緒に行くことも多かったからです。学校の三者面談のような時でも父親は必ず出席します。子供の教育についても母親より父親のほうが熱心な家庭も少なくありません。 それに比べて、日本では父親の影がとても薄いので、ぼくは驚きました。友達との会話の中に父親はほとんど出てきません。「お父さん仕事で何をしているの」と尋ねると、アメリカの友達だときちんとした返事が返ってきます。それに対して日本の友達は、知っている人もいますが、あいまいに答えたり、「知らない」と答えたりする人がいることに気が付きました。それだけ日本では父親とは存在感がないものなのかと思ってしまいました。 ぼくにとって父親とは存在感がない別世界の人ではありません。いつも身近にいる人生の先輩です。ぼくは父からたくさんの事を学びました。その中でもぼくは人生の楽しみ方を学んだことをとても感謝しています。それは、音楽であったり、映画であったり、スポーツであったり、旅行であったりします。つい最近もぼくを映画につれて行ってくれました。ぼくにとっては、こんなに色々なことを教えてくれる父がいない生活は想像できないくらいです。 父親は家庭にとって重要な人物なのです。まず、親が二人いるということが大きなポイントです。子供にとっては見本が二人いると学べる知識も二倍になります。また子供を見る目も二人分になります。ですから、より広い視点が得られるのではないでしょうか。例えば、母に「勉強しなさい」や「部屋をかたづけなさい」と毎日のように言われると、つい聞き流してしまいますが、普段あまり小言を言わない父親に「周りの人にもっと思いやりをもたないとだめだ」などと言われると、「そうなのかな」と自分でも思い始めてきます。 ロサンゼルスにいたころ、父の事務所が家の近くだったこともあり、よく訪ねたり、手伝いに行ったりしていました。ある時、日本からきた尺八奏者のコンサートの準備を手伝いました。その時、てきぱきと指示を出し、会場の設営の点検をし、観客の前でスピーチまでしている父の姿を見ました。働くということの意味が少し理解できたと思います。 これからは、ぼく達にとって高校進学、大学進学などで大事な選択をしなくてはならない時が数多くあると思います。その時、ぼくは父の姿を見ながら道を選ぶことができるだろうと思うと、父の存在がますますたのもしく思えます。また、ぼくだけではなく、日本中の子供達にとって父親がもっと身近な存在になれるよう願っています。 杉並区宮前中学校3年
辻本志郎 |
この作文は、2000年度「少年の主張」東京都大会で佳作に選ばれました。所属は2000年当時のものです。 |