2002年4月号 京劇役者をめざして |
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ぼくが中国で京劇役者修行の生活を始めて9年が経ちました。現在中国京劇院に初の外国人役者として所属しています。京劇役者になるというぼくの夢を実現するまでの体験について、話したいと思います。 ぼくが京劇役者修行を始めたのは、小学生の頃に京劇団の来日公演を観たのがきっかけでした。それは、孫悟空の活躍する芝居で、孫悟空を演じる役者の軽妙な演技に言葉も芸も分からないながらも引き込まれていきました。その時、「自分も孫悟空を演じる人になろう・・・」と思ったのです。 役者になるには先ず言葉ができなくてはなりません。中学校に入学する前に、近所の中国語学習会に通い始めました。そこの先生の指導法は徹底した暗記法で、教科書の暗誦をよくやらされました。そして折に触れては中国の話をいろいろ聞かせてくれました。ぼくの中国語の発音の基礎はその先生の指導によるものだと感謝しています。 中学校に入学してから、東京のアマチュア演劇団体「京劇研究会」で京劇の実技の訓練も始めました。また、日本に公演に来た中国の京劇団を訪ねて、覚えた中国語で京劇役者と交流することもありました。 中学卒業後、東京にある関東国際高校の中国語コースに入学しました。そこでは毎日中国語の授業がありました。中国語弁論大会に参加したり、実際に京劇に出演したりもしました。そうするうちに、中国という国をますます身近に感じるようになっていきました。 高校卒業後は迷うことなく京劇の世界に進みました。北京の中国戯曲学院付属中学に入って、「武丑」という持ち役をもらい、本格的に京劇の勉強を始めました。京劇役者の多くは幼少の頃から修行を始めます。そうでないぼくにとって、肉体訓練は想像以上に厳しいものでした。早朝から柔軟運動や宙返り、長時間しゃがむ訓練や逆立ちなどの訓練がありました。特に逆立ちの訓練は、足を縛られたまま何十分もそのままでいるというもので、そのうちに頭がぼうっとしてきて鼻血が流れてきたこともありました。 もちろん、セリフの訓練もありました。特に「武丑」のセリフ回しに対する要求は大変厳しいものです。中国語は日本にいた頃から相当勉強してきたつもりでしたが、「感じながら話し、表現する」というセリフ回しには、いまだに苦労しています。同じところを何度も間違えたりして先生に厳しく怒られることもよくありました。京劇の修行は、血と汗がにじむ日々でした。 附属中学を4年で卒業し、97年に戯曲学院の本科に入学しました。本科での4年間は演技の授業がいくらか理論的になり、自主練習の時間も多くなりました。ぼくのやりたい京劇役者を続けるには、体力と気力が必要で、常に努力しなければなりません。そして、「中国の心」を理解しようと常に心がけることも大事だと思っています。 言葉の学習と芸の修行で共通することは、「自ら感じること」と「経験によって身につけること」が大切だということです。教室の勉強だけで身につけられるものではありません。言葉は実際に話さなくては身につかないし、芸は観客に見せなければ上達しません。何でもいいから興味のあることに挑戦し実践するという姿勢が必要だと思います。 石山雄太
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