2003年7月号 日本の高校生が見た中国 |
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中国前国家主席江泽民在1998年访问日本时,两国外交部长制定的作为 “中日两国青少年交流的框架计划” 的一部分,2001年42名日本的高中生访问了中国,并和北京、南京、上海的高中生进行了交流。在此,给大家介绍几篇登载在访中感想文集 《若者の友情計画》 (社团法人日本中国友好协会发行)中的文章。原文为日文,编辑部译。 |
日中友好のために、できることから始めたい
(前略)感想文に書きたいことが二つある。 一つ目は「通じ合う心」のことだ。たくさんの中国の高校生たちと交流してみて、最も強くこのことを感じた。日本語の話せる子、英語の話せる子、どちらもあまり話せなくて中国語のみの子、それはさまざまだった。けれど、同じ年頃ということもあってか、すぐに仲良しになることが出来た。分からない言葉があっても漢字を紙に書いたり、色々な工夫をして何となく分かり合えた。そして笑顔で話し合えた。(中略) 二つ目は「日中の歴史」のことだ。戦争については、ある程度理解していたつもりでいた。しかし、南京の虐殺資料館に行った時、私の心はひどく痛み出した。事前に日本でその虐殺についての本を読んでみた。その本の内容は残虐な日本人のある一部でしかなかったのだ。想像も出来ないほどひどい殺し方をした日本人を私は許せない。そして今日、日中友好をはかりたい私はどのようにして中国人に接していいのか分からなくなった。私たちと旅を共にした団長の言葉を思い出す。その言葉とは「してしまったことはしょうがない。そのことを悔やむよりも戦争を二度と起こさないようにしていくことが今の私たちにできることだ」。私はその考えに納得した。そして小さなことでも、今の私にできることを始めようと思った。例えば、中国人の友達と仲を深めていきたい。また、中国人に対する差別的な気持ちを持っている人を一人でも減らしたいと思う。 茨城県立日立第二高校3年
沼田なつみ |
イメージとは違った中国の高校生
(前略)上海では実際の授業にも出たり。僕は音楽の授業に出てみたが、中国の子達が持つパワーには驚かされた。老师好!!」から鳥肌が立ってしまった程。僕が今まで持っていた中国の学校のイメージといえば、薄暗い教室の中で無表情な生徒達がロボットのようにかりかりやっているといった感じだったが、それは大きな間違いで実際はほとんど日本と変わりなく、生徒のみんなは逆に日本の高校生よりも元気で生き生きと授業に参加しているように思えた。 千葉県立幕張総合高校3年藤巻哲平 |
温かくて、なぜか懐かしい中国の下町
……中国の都市には、すごく高い近代的な建物も多かったが、一歩裏路に足を踏み入れると、れんがで建てられた、古い家がびっしりと立ち並んでいる。そんな場所はなんだかとても温かな感じがして、私はその独特な雰囲気の中にどっぷりとはまって、よくうわーっとかさけんでしまいたくなった。一度も行ったことのない場所なのに、すごく懐かしい。私の感覚の中で、とりあえず私の故郷は中国の下町になっているとしか思えなくて不思議だった。(後略) 長野県立長野高校3年岡宮絢子 |
大型バスで感じた違和感
(前略)八泊九日の旅の間、私たちの行動の中で大きな存在だったのは大型観光バスであった。あのバスの閉ざされた空間から、中国の日常を見下ろす。すると見慣れない雰囲気の町並みやら、知り合いの誰かと似たような顔が、目に飛び込んできたり、消えていったりする。それはまるでテレビの大画面から異国の風景を楽しむような、私とは違う世界がガラスの向こうに在るのだと思わせるような、現実感も危機感もない娯楽みたいなものだった。 しかし、ガラスの向こうからも度々中国の人々の視線がこちら側に向かって入り込んでくる。彼らと目があうとふいに私は自分を取り戻していくのだった。決して娯楽のために来たわけではない、ガラスの向こうもこちら側も何の隔たりもあるはずはない、と。そう、そのはずなのだ。けれど心にどこか拭いきれないあの違和感は何だろう? そう言えば、その違和感を感じなかった瞬間があった。家庭訪問先に向かうタクシーの車中であった。いつものバスからの風景とは違い、チャリと排ガスとクラクションとの混沌の中、実に生き生きとした上海の街を走っていた時。中国の人々の目線と同じ高さでやっと何かに触れた気がした。 今考えると、心のどこかに巣食う日本人の優越感と背の高いバスから風景を見下ろす姿勢がどこかリンクして、中国の姿を真正面から捉えられない自分がいたのではないか。同時にそんな自分に抵抗する心もあって、あの違和感が生まれたのかもしれない。 日常とは切り離された夢のような9日間。その中で、中国人の視線と根拠のない優越感が生んだ違和感だけが、今も現実味を伴って思い出される。 国際基督教大学高校3年土生秋子 |