2005年12月 大好きな家族―理想と現実の間で― |
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私が考える家族とは、いつでも笑顔がたえなくて自分の意見を言い合え、協力し合える仲。そして何があっても信じられる深いつながりをもっているものだと思います。 しかし、今の日本はどうでしょうか。ニュースや新聞には、親が子どもを虐待して、小さな命を殺してしまったり、むかついたからという些細な理由で自分の親を殺してしまったという悲惨な事件がたくさん報じられています。私はどうしてそんなことができるのだろうと不思議に思います。そして、とても心が痛むのです。親が子どもを殺したり、子どもが親を殺してしまうという事件を少なくするためには、もっと家族とのコミュニケーションをとることが大切だと考えます。現代の家族は昔の家族と比べると、コミュニケーションをとる時間と気持ちのゆとりが少ないように思います。昔は今よりも「男は仕事、女は家庭」という意識が強かったため、母親が家にいることが多かったようです。しかし今は、教育費や住居費にお金がかかるために、両親は共働き、子どもは塾通いに忙しいという家庭も多いのではないでしょうか。もちろん、誰かがいつも家に居れば、たくさんのコミュニケーションがとれるとは限りません。また、それだけで自然に家族の絆ができるというわけでもありません。ただ、現代は家族それぞれが忙しすぎるのです。一方昔は、あまりテレビがなくて、いつも家族で今日あった事などを話しながら、食卓を囲んでいました。想像するだけで、心が温かくなります。しかし今は、テレビやゲームが普及してきたために、そのような団らんが少なくなってきたと思います。また、中には子どもが一人でご飯を食べている家庭もあるようです。いろいろなファーストフードのお店が増えてきて、学校帰りに夕食を済ませる人もいます。世の中が便利になり、モノがあふれていることは、人間にとっていいことかもしれませんが、その反面、家族のコミュニケーションを奪う要因にもなっています。この問題を解決するためには、人々の価値観を変えていく努力が必要ではないでしょうか。家族で笑い合ったり、思ったことを素直に言い合うことで育まれる心の豊かさとそれがもつエネルギーの大きさに、もっと気付くべきです。そして、もっと一人一人が家族のあり方や一人一人の生き方を考えなければならないと思います。『家族だから』無条件に分かり合えるものではありません。思っていることを伝え合わないと家族であっても何を考えているのか分かりません。悲惨な事件の背景には、コミュニケーション不足による根深い不信感があると思うのです。 私の理想の家族は、いつも明るく楽しいと思えるような家族です。一緒にいても、何も話さなければ全然楽しくありません。だから、どんな些細なことでも話せる家族がいいです。悩みやその日の出来事が気軽に話せる家族がいいなと思います。そして、家族みんなといろんな所に行ったり、いろんな事をしたいです。例えば、夏だったら、海に行って泳いだり花火をしたりとまだまだいっぱいあります。そして、家族との思い出をたくさん作りたいです。 しかし今の私の家族は、私の理想の家族とはちょっと違います。親は仕事で帰宅が遅いため、私が夕食を食べる時はまだ家に帰っていません。弟は、ほとんど毎日塾に通っているため家にいる時間がずれて、一緒に食べることができません。唯一、家族全員が食卓にそろうのは日曜日の夜だけです。家族それぞれに理由があるので、仕方がないことかもしれません。しかし、孤独を感じるのも事実なのです。この気持ちを家族に伝えたことはありません。また私の家族は、話をする時も必要最低限で、あとは、自分の好きなことをして過ごします。例えば、パソコンやテレビゲーム、携帯電話などに時間を費やしています。食事以外でも家族で一緒に過ごす時間がだんだん少なくなっています。とても寂しいことです。 理想の家族を心に描きながら、現実の家族に慣れてしまった自分がいました。食事がばらばらでも、好きなことが違っても、私が私の思いをそのまま家族に伝えていくことが大切なのだと気付きました。作文をきっかけに自分の家族を振り返った時、このままではいけないと思うようになりました。慣れてはいけないことだと思うことができました。日本には、このような家族がたくさんあると思います。多忙や便利さといった社会の変化は仕方のない事ですが、忙しくても少しでもいいから、家族で過ごす時間と家族への心をもってほしいと思います。私も、今よりも、もっと良い家族をつくっていきたいです。 水谷亜里沙
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