りんご記念日応援団 村上豊さん

  • 記事更新日:

小説の挿絵、絵本で独特の世界をもつ画家の村上豊さん。20代で国の招待を受け中国を訪問したときの体験です。中国に足を踏み入れた村上さんが感じたのはどんなことでしょう?


20160421ringokinenbi.png

▼写真や映像に頼らず「目で見て頭に残る旅」をしようと決意した中国での体験
20代の後半、私にとって初の外国旅行が中国でした。
毎日新聞に後の文化庁長官になられた、今日出海(こんひでみ)さんと戦争小説の連載中で、中国から国慶節に各諸外国のプレスと文化人を招待したいという話があったそうで、今さんとご一緒することにしました。

毎日新聞の文化人の関係者は二十人余り、九月の末インドネシアのガルーダ航空で香港に飛びその後九龍から国境の川の橋を徒歩で渡り中国領広州に入りました。カーキ色の人民服に赤い襟章のいかにも緊張の兵隊を見ると、無事帰国することが出来るのだろうかと不安を覚える時代でした。何しろソ連は鉄のカーテン、中国は竹のカーテンと言われていた時代ですから。広州のホテルの第一夜で今さんと最初の暗黙の了解としてこの国の悪口を言わないことを目認し合いました。

私は初めての海外旅行で興奮していたと思います。何しろ八ミリにカラー白黒三台ものカメラをフル活動。天安門のひな段から見物するパレードにカメラはフル活躍でした。

前夜迎賓館のパーティで首相周恩耒さんが握手をする姿は感動的でありました。私も握手をして頂きました。彼の手は女性のようにやわらかく暖かかった。
街の中の男女はカーキ色の人民服のみ、子供等は紅衛兵と呼び赤いスカーフを首に巻いて歌をうたいながら行進していく。

人の波、自動車、車のクラクションみんな好きな方向に動いて行く中国人のすさまじいバイタリティを感じる。帰国してカメラの映像の点検をする。それなりに撮れてはいるのだが本当に中身が見えてこない。レンズは見ているのだが、私には見えてこない。

それから仕事もあり六、七回余り中国を旅行をするが、カメラもスケッチブックも持たない旅に変えた。直接自分の目だけで見て頭に残るものだけでいいと。